作品名

セカンドチャンス・ヒーローズ

ペンネーム

太刀魚

作品内容

 その日、世界の終わりを告げる鐘の音が鳴り響いた!
 邪悪な超古代文明の遺産、ジャークストーンの力を使って世界征服を企む悪の秘密結社・ジャーククロス! 奴らは世界各国に怪人を放ち、人々を恐怖で支配しようとしていたのだ!
 だが、しかし! 人類にはまだ希望が残されていた!
 ジャークストーンに対抗するべく生み出された、大いなる正義の意思たるセイギストーンに選ばれ、融合者となって超人の力を得た五人の戦士が、今ここに立ち上がった!
 これは、世界を悪の手から守るため戦い続ける誇り高き戦士達の、正義と絆の物語であるッ!

 * * *

「ワッハハハハッ! 俺様はジャーククロスが一員、マッチョ怪人、キャプテン☆ボンバー・ザ・グレート!」
 筋肉ムキムキでマッチョな巨漢の男が叫ぶ。
 ビキニパンツ一丁で角の生えた悪魔を模したフルフェイスヘルメットを被り、鍛え上げられた肉体美を見せつけるかのようにポージングを決めるその姿から漂う雰囲気は、怪人というより単なる変態だ。
「キャーッ!」
「助けてー!」
「怖いよぉ!」
 悲鳴を上げる子供達。中には泣いている子もいる。
 無理もない。この子達はまだ幼稚園児なのだから。
「お……お前! こんな幼い子供を怯えさせて、恥ずかしくないのか!」
 そんな光景を見て、子供達を預かる立場である保育士の先生が声を上げた。
 明らかに膝と指先が震えているのだが、精一杯虚勢を張って見せる姿はとても立派に見える。
「黙れ! 人間ごときが我らジャーククロスに歯向かうとは笑止千万!」
 すると、筋肉ほぼ全裸変態――もとい、怪人キャプテン☆ボンバー・ザ・グレートが怒鳴った。その怒号だけで空気が激しく振動する感覚に襲われる。
 まるで地震でも起きたかのような衝撃を受けてひるんでしまう先生。そしてキャプテン☆ボンバー・ザ・グレートの言葉が続く。
「大体貴様こそなんだ!? せっかく念願の幼稚園バスジャックを果たしたというに、どうして美人の保母さんがいないんだ! 男は建築現場ででも働いていろ!」
 なんとも理不尽極まりない怒りだった。
「保母じゃない! 保育士と呼ばないか!」
 毅然きぜんと反論する先生の論点もおかしい気がするが、子供を守るために勇敢に立ち向かおうとしている姿には心打たれるものがある。多分。
「何が保育士だ! 保母という温かみのある呼び方を無機質な単語に変えやがって!」
「今は僕のように男性の保育士も大勢働いている! 女性だけが担う職場というイメージを押しつける言葉は相応しくない!」
「保父って呼べばいいじゃねぇか!」
「性別を固定し男女差別にもつながる呼称は多様性の否定に他ならない! ジェンダーフリーの観点にも反しているぞ!」
「息が詰まるわ! ジャーククロスが世界を支配したあかつきには、男女の性差という真っ当な生物学的根拠に基づいた極めて合理的な社会構造を作り上げてくれる!」
 おのれジャーククロス!
 このご時世に幼稚園バスジャックをやらかしただけでは飽き足らず、なんという非道な野望を!
 絶対に奴らを許してはいけない。正義の心を持つ者ならば誰だってそう思うだろう。
 その時、ブレーキ音と共にバスが急停車してドアが開かれた。
「何事だ!?」
 驚くキャプテン☆ボンバー・ザ・グレート。ラットスプレッド・フロント(胸筋強調ポーズ)を決めて車内の揺れを耐えているが、正直かなり見苦しい。
 子供達はみんな目をらしてしまっている。一刻も早くこの怪人を倒さなければ、子供達に一生残るトラウマを刻みつけてしまうかもしれない。
「ジャーククロス怪人に告ぐ! バスは完全に包囲した! 速やかに子供達を解放し、投降しなさい!」
 バスの周囲には何十台もの警察車両が集まり、道路を完全に封鎖していた。
 ジャーククロスの脅威に対抗すべく組織された特殊機動部隊、セイギポリスが出動したのである。プロテクターで全身を固めた隊員達が並び立ち、油断なく盾を構えて警戒していた。
 その先頭で仁王立つのは、眼光鋭い四人の青年だ。
「先回りされたか! だがこちらには人質がいることを忘れるんじゃないぞ!」
 キャプテン☆ボンバー・ザ・グレートの脅迫を聞いて、子供達の顔色が絶望に染まる。悲痛な叫びが響き渡った。
「うわーん!」
「ママァー!」
「イヤーッ!」
「ふふふ、大人しくすれば命までは……」
 ニヤリと笑ったキャプテン☆ボンバー・ザ・グレートの注意がれた瞬間、渾身こんしんの叫びをあげて座席から飛び出したあたしは、キャプテン☆ボンバー・ザ・グレートにカラテキックを放った。
「グワーッ! イヤーってそっちかよーっ!?」
 まともに攻撃を喰らったキャプテン☆ボンバー・ザ・グレートは勢いよく吹き飛び、開け放たれていたドアから外へと転がり出ると、地面に激突してゴロンゴロンと転がりながら滑っていった。
 めっちゃ痛そうだけど、恐らくダメージはほとんど無いと思う。
「き、貴様は!?」
 突然の不意打ちを受けて動揺するキャプテン☆ボンバー・ザ・グレートに、バスから降り立ったあたしは颯爽さっそうと着ぐるみを脱ぎ捨てて正体を明かした。
「バ、バカな! 貴様は故・石○森章太郎先生がデザインを手がけた文部科学省・生涯学習のイメージキャラクター・マ○ビィではなかったのか!」
 驚愕に目を見開くキャプテン☆ボンバー・ザ・グレート。あたしは堂々と言い放つ。
「残念だったわね、ジャーククロス。セイギポリスは既にバスジャックの情報を掴んでいたのよ。計画を阻止するため、あたしは幼稚園を管轄する文科省から派遣された故・石○森章太郎先生がデザインを手がけたイメージキャラクター・マ○ビィに変装してバスに同乗していたというわけ」
「いや知ってたなら俺様がバスを襲う前に止めろよ」
「恩菜!」
 キャプテン☆ボンバー・ザ・グレートの見苦しい悪あがきを遮って、セイギポリス隊員の前に立っていた四人の青年が駆け寄って来る。
 あたしは彼らに向かって大きく頷くと、横一列に並んでキャプテン☆ボンバー・ザ・グレートと対峙した。
 五人の中央に立つ、真っ赤なジャケットを着たツンツン頭の青年が進み出て、右手を掲げると力強く呼びかける。
「みんな! 変身だ!」
「ああ!」
「おう!」
「はい!」
「うん!(あたし)」
 彼に続いて右手を掲げると、それぞれの手首に輝くブレスレット型のアイテム、セイギデバイスに手を触れた。
「「「「「セイギ・インストール!」」」」
 五人の声が重なると同時に、あたし達の身体に光が満ち溢れ、スーツとマスクが装着されていく。まばゆい五色の閃光の中で一瞬にしてその姿を変えた戦士は、誇らしく名乗りをあげた。
「燃え盛る正義の炎! セイギレッド!」
「湧き流す正義の波! セイギブルー!」
「揺れ砕く正義の岩! セイギイエロー!」
「吹き荒ぶ正義の嵐! セイギグリーン!」
「咲き誇る正義の花! セイギピンク!」
「「「「「溢れる正義の心を胸に! セイギーズ参上!」」」」」
 決め台詞と共にビシッ!っとセイギポーズを決めるあたし達。
 ジャーククロスの魔の手に敢然と立ち向かう正義の味方――セイギーズの登場である。
「現れおったな、我らが宿敵セイギーズ! しかし貴様らが名乗り終わるまで体が硬直する怪人改造手術の不具合はいつになったら改善されるのだ?」
「行くぞ! ジャーククロス!」
 セイギレッドの掛け声に合わせて、あたし達は一気にキャプテン☆ボンバー・ザ・グレートへと向かって突撃していく。
「おい待て! 今日は一人で美人保母のおびえる顔を堪能する予定だったから戦闘員を連れてきてねぇんだよ!」
 あたし達は距離を取ってキャプテン☆ボンバー・ザ・グレートを取り囲むと、腰から銃型の武器、セイギガンを抜いて構えた。
 セイギーズの力の源、セイギストーンのエネルギーをビームに変えて発射できる万能光線銃だ。
 銃口に光の粒子が収束すると、エネルギー弾が形成されて撃ち出される。次々と命中する目に痛いカラフルな光線によって、キャプテン☆ボンバー・ザ・グレートはたちまちのうちに黒焦げになってボロ雑巾のように崩れ落ちた。
「せ……せめて肉弾戦で戦わせてくれぇ……」
 セイギガンをホルダーに戻し、包囲を解いて一箇所に集合すると、セイギレッドが口を開く。
「ジャーククロス怪人、キャプテン☆ボンバー・ザ・グレート! バスを襲い無垢なる子供達を恐怖のどん底に陥れ、あまつさえ崇高なるジェンダーフリーの思想を冒涜した罪! 許さん!」
 セイギレッドの言葉と同時に、あたし達は一斉にキャプテン☆ボンバー・ザ・グレートへ人差し指を突きつける。すると、変身時と同じように五色の光があたし達の体から湧き出した。
 やがて光は混ざり合い、黄金色となって渦を巻く。
 説明しよう!
 セイギーズの正義の怒りが限界を超えた時、セイギストーンの封印は解け、恐るべき力が開放されるのだ!
「「「「「セイギ・ゴールデンハンマー!」」」」」
 あたし達が気合を込めて叫ぶと、黄金の光がキャプテン☆ボンバー・ザ・グレートの足元から噴出し、巨大な鉄拳の形を取って奴を空高く殴り飛ばした。
「ぐおーっ! やられたーっ!」
 光輝く巨大拳はキャプテン☆ボンバー・ザ・グレートを飲み込み、そのまま天を貫くようにして空の彼方にまで消えていった。悪の怪人は大気圏の摩擦熱で燃え尽きたのだ。
「ふぅ」
 息をついたあたし達が変身を解くと、辺りは静寂に包まれた。
 次の瞬間、大歓声が沸き起こる。
「すっごーい! さすがはセイギーズ!」
「かっこいいー!」
「助けてくれてありがとー!」
 あたし達の活躍を目の当たりにした子供達から拍手喝采を浴びて、思わず顔がほころんでしまう。
 うーん、なんか照れるなぁ。
 悪と戦うことがあたし達の使命であり、義務なんだってことは分かってるんだけど、やっぱりこうして感謝されると嬉しいよね。
 あたしはチラリと他の四人に視線を向けた。みんな満足そうな表情を浮かべている。どうやら同じ気持ちみたい。
「見事な変装だったぜ。お手柄だったな、セイギピンク」
 セイギレッドが微笑みながら話しかけてきた。あたしは笑顔を返す。それから右手を伸ばし、全員でハイタッチを交わした。

 * * *

「以上で清城幼稚園、バスジャック事件の報告を終了します」
 セイギポリス本部・セイギベースに帰還したあたし達は、直属の上司である影崎簿須長官に報告を行っていた。
 高級そうなメタリックブルーのスーツに身を包んだ壮年の男性で、特徴の無い容姿とは裏腹ににじみ出る威圧感はまるで獰猛な番犬のようだ。
 セイギーズとして日夜ジャーククロスと戦っているあたし達ですら、彼に相対していると緊張を隠せなかった。
「ご苦労だった。一人の犠牲者も出すことなく解決できたのはお前達の働きのおかげだ」
 報告書を受け取った後、そう言って労ってくれた長官だったが、言葉とは裏腹にその目は笑っていない。
「だがここ最近、ジャーククロスの活動は目に見えて激しくなってきている。油断はするな」
「はい、心得ています」
「引き続き任務に励んでくれ」
「「「「「ラジャー!」」」」」
 あたし達は敬礼をしてきびすを返し、部屋を退出した。
 廊下に出てホッと一安心すると同時に、先程までの高揚していた気分が嘘のように冷めていく。戦いが終わった後の虚しさにはなかなか慣れることができない。
 ジャーククロスとの戦いが始まって、もうすぐ一年になるのに、未だに終わりの見えない日々が続いていた。一体いつまで耐え続けなければならないのかと思うと気が滅入ってくる。
 平和を守るということは、途轍もなく大変だと改めて実感させられる。
 でも挫けるわけにはいかない。みんなだって頑張ってる。あたしだけが弱音を吐くなんて許されない。
 絶対にジャーククロスを倒して、この世界を守り抜くんだ。

 * * *

「生、お代わり!」
「ギョーザ追加!」
「天津飯大盛り!」
 テーブルの上に所狭しと並べられていた料理が次々と姿を消しては、新しい注文の声があがる。
 繁華街の一角にある老舗の中華料理屋、宇間井軒。
 仕事終わりの疲れ切った体に染みる美味しい中華を食べさせてくれるということで、地元民の間では有名なお店だった。本格中華から日本人好みの料理まで、何でも味わえるのだから堪らない。
 あたし達もよく利用させてもらっていて、特にジャーククロスとの戦いがあった日は必ず五人で集まり、ささやかな祝勝会を開くのだ。
「新作の麻婆春巻、辛さ強めだけどイケるぜ」
 湯気が立ち上る揚げたての春巻を口に運びながら、セイギブルーこと青山駆潤が言った。
 あまり感情を表に出さず、落ち着いた雰囲気を纏っている彼だけれど、内に秘めた正義の心はとても熱い。常に冷静さを失なわず、セイギーズのリーダーとしてあたし達を纏め上げてくれていた。
「こっちの羽根つき餃子もいいぞ。皮はパリパリしてるのに中がジューシーだ!」
 セイギイエローの黄原出武が親指を立てる。
 明るい性格の彼はムードメーカー的存在で、どんなに絶望的な状況に陥ってもポジティブに切り抜けてしまう強い精神力を持っている。また五人の中で一番背が高く、体格も良いため、戦闘時は真っ先に敵に向かっていくことが多かった。
 そんな彼の隣で黙々と箸を動かしながら食べているのは、セイギグリーンである緑野治日。
 分厚いメガネをかけ、口数も少なくて何を考えてるかよく分からないけど、頭の回転が速く、いざという時には的確な指示を出してくれたり、仲間思いな性格の持ち主でもある。見た目通りの読書が趣味だ。
「おい、恩菜、その唐揚げ食わねぇなら俺が貰うぞ」
 そしてあたしはセイギピンク、桃瀬恩菜。
 でもって、あたしのお皿に手を伸ばそうとしてきたこいつは、セイギレッドを務める赤井捏結。
 いつも自信満々で、自分の意見を押し通すことが多いから、他のみんなと衝突することも多いんだけど、なんだかんだで憎めない奴だ。普段はバカやって騒いでばかりいるのに、時々ハッとするほど鋭いことを言うから侮れない。
「は……? ちょっと! 勝手に取らないでよ!」
 あたしは慌てて唐揚げを奪い返した。
 危ない、もう少しで奪われるところだった。あたしの大好物なのに。恨みを込めて睨むと、当の本人はニヤリと笑っていた。腹立つなぁ!
 こうなったら、あたしも何か取ってやる。そう思って手を伸ばすと、捏結の箸とぶつかった。お互い譲らず押し合う形になって、やがて拮抗状態となる。
「おい、マナーが悪いぞ」
 青山くんがとがめてくるけど、これは戦いなのだ。引くことはできない。捏結もそれを察したようで、さらに力を込めてきた。
 負けてたまるものか! あたしは渾身の力を込め――
「はーい! 追加注文の品をお持ちしました~!」
 その時、店員さんが大きな盆を抱えてやってきた。
 あたし達は咄嗟に互いの箸を引っ込めて、何でもない風を装う。当然、店員さんは何も気づかず、テーブルの上へ料理を並べて立ち去った。
 あたしと捏結は顔を見合わせると、しょんぼりとした表情で食事を再開させた。
 そんなあたし達を見て、黄原くんは遠慮なく笑い、青山くんは顔を伏せて笑いを噛み殺している。緑野くんは相変わらずの無表情だけど、口元が微かに緩んでいるのに気づく程には付き合いが長くなっていた。
「飯の取り合いでケンカ寸前とか、もうちょっと大人になれよ、お前ら」
 呆れた様子で青山くんが肩を竦める。芋焼酎の入ったグラスを傾けながら、同意を得るように黄原くんの方を見た。
 これでもかと餃子を敷き詰めた丼飯をかき込んでいた彼は、大きく頷いた後、「むしろ俺は、それで二人が付き合ってないってことに呆れるよ」と言ってまた笑った。
 それを聞いて、あたしの顔が一気に熱くなる。お酒を飲んでいるから気付かれはしないだろうけど、それでも内心では焦ってしまった。
 セイギーズ結成後の関係である青山くん、黄原くん、緑野くん達と違って、あたしと捏結だけは小学生からの幼馴染み同士だ。昔から仲が良く、ずっと一緒に過ごしてきたこともあって、互いに気兼ねすることなく言いたいことを言ってしまう。
 それはあたし達が積み上げた信頼関係によるものだし、何より居心地が良い。だから、こういう些細なことでもついムキになってしまうのだ。
「いい加減、覚悟を決めろよ捏結。そうしたら、毎度毎度の甘ったるい夫婦喧嘩も大目に見てやらんでもないぜ?」
 青山くんは楽しそうな口調で言うと、グラスに残った芋焼酎をグイッと飲み干した。彼は酒豪の部類に入るらしく、いつもかなりの量を飲んでいるのに、酔っ払ったところを一度も見たことがない。
「冗談きついぜ。こんなジャジャ馬を彼女にするくらいなら、生涯独身を貫く方がまだマシだ」
 捏結はうんざりした調子で答えると、あんかけ炒飯のお皿を持ち上げ、顔を隠すようにしてがっつき始めた。
 失礼な発言だけど、別に不快には思わない。何年こいつの幼馴染みをやってると思ってるのだ。照れてるだけなのは分かってる。
 そう。結局のところ、あたし達の気持ちは同じ。
 この恋心を自覚したのは中学三年生の時だった。それまで友達として接してきたつもりだったのに、いつの間にか彼に対する想いが膨れ上がっていたことに気がついた。
 どうしてかなんて考えるまでもなかった。だって彼は、あたしにとって特別な存在だったから。誰よりも傍にいたいと願っていたから。
 セイギーズに選ばれた時も、捏結が一緒だったから何も怖くなかった。彼が隣に立っていてくれるなら、どんなに恐ろしい敵とも戦える。どこまでも強くなれる。
 けれど、あたし達が想いを告げることはできない。少なくとも、今はまだ。
 あたし達はセイギーズだ。
 悪のジャーククロスを倒し、世界を救うことが使命。恋愛に現を抜かす余裕なんてあるわけない。それはきっと、捏結も同じ。
 だけど、いつか平和な世の中が訪れたら。そうしたら、あたしはこの気持ちを捏結に伝えることができるかもしれない。
 今はただ、そんな日が訪れることを願うばかりだった。

 * * *

「セイギーズ! ここが貴様らの墓場になるのだ!」
 全身に機械部品が融合した異形極まる姿で叫ぶのは、ジャーククロス幹部の一人、クヤジィサ将軍。マッチョ怪人軍団を率いて何度もあたし達を苦しめてきた強敵だ。
 だけど度重なる敗北のせいで幹部の地位も失墜したらしく、この戦いで勝てなければ処刑されてしまうらしい。
 最後の手段として自らを巨大サイボーグ兵器と化した将軍は、鬼気迫る勢いで襲いかかってきた。無数のミサイルを連射し、ドローンを放って援護させ、捨て身の肉弾戦を仕掛けてくる。
 激しい攻撃に晒されつつも、あたし達はチームワークを活かして対抗した。
 ミサイルを迎撃し、ドローンを撃墜し、手足の関節を狙い撃つ。
 追い詰められた将軍はあたし達もろとも自爆しようとしたけど、「させるかぁあああーっ!」と捏結が迷わず突っ込み、将軍の顔面をめり込むほどぶん殴って中断させた。
 次の瞬間、トドメの必殺技が炸裂する。
「「「「「セイギ・ゴールデンハンマー!」」」」」
「ジャーククロスバンザァアアーイ!」
 正義の名を冠した鉄槌が巨大怪人を容赦なく打ち砕く。
 上空で爆炎に包まれて消滅する将軍の断末魔を聞きながら、あたし達は勝利を祝うハイタッチを交わした。
 その日の飲み会はとても盛り上がった。
 もちろんクヤジィサは数いる幹部の一人に過ぎず、これでジャーククロスが壊滅するわけではない。それでも大きな脅威を一つ退けられたのは、素直に喜ばしいことだった。
 特に今日の主役は捏結だろう。まだ興奮冷めやらぬ様子で、普段はあまり飲まないお酒をガブ呑みして、すっかり出来上がっていた。
 あたしですらほとんど見たことがない彼の姿に、嬉しく思う反面で心配にもなる。
「ちょっと、大丈夫?」
「だいじょーぶ、ダイジョーヴ!」
 あたしが尋ねると、呂律ろれつの回らない返事が返ってくる。全然信用できないね、これ。明日二日酔いにならないといいけど。
 まぁ、今日だけは羽目を外すのを許しましょうかね。お疲れさま、捏結。
「恩菜ももっと飲もうぜ」
 捏結が真っ赤になった顔でヘラリと笑ってみせた。
 フラつく足取りで近寄ってくると、いきなり肩を組んできたものだから、吃驚してしまう。
 え? 何々、どうなってんのこれ。なんで肩組んでんのよ。
 まさか今日の戦いでジャーククロスに勝利する自信を得て、あたし同様、今までセイギーズとしての責任感で抑えていた感情を伝えるつもりになったとか?
 待って、心の準備ができてない。
 ていうか、いくら捏結が単純だからって、流石にそこまで短絡的じゃないと思うんだけど。だってジャーククロスの将軍、あと十一人もいるんだよ。多過ぎるよねぇ!
 などと内心で大いに混乱しつつ、表向きは平静を取り繕うあたしだったが、こういう時ってどういう顔をすればいいのかしら。
 笑えばいいのかな。それとも困ればいいのかな。誰か教えてください。
 とにもかくにも、こんな状態では何も答えられないので、「ちょっ、離しなさい」と身を捩って逃れようとする。
 しかし酔っぱらいの腕力とは凄まじいもので、がっちりホールドされていて全く動かなかった。
 そうこうしているうちに、他のみんなも異変に気付いたようだ。青山くんはニヤッと笑い、黄原くんはポカンと口を開けている。緑野くんは微かに眉根を寄せた後、無言のまま目を逸らした。
 うん、やっぱりそうなるよね。
 あたし達の関係がずっと友達以上恋人未満だったのは周知の事実だし、これからの展開が容易に想像できるものね。
 だけどこれは、考えてみればまたとないチャンスじゃないかな。
 ぶっちゃけ、一般人として見るなら捏結のスペックは高い。身長は五人の中では真ん中だけど、男性の平均よりも高いし(と言うか青山くんと黄原くんが背高過ぎなのだ。特に黄原くんは二メートル近いし。ついでに緑野くんはあたしより低い)、日々の戦いで鍛え上げられた肉体は見栄えが良く、性格はバカだけど顔はそこそこイケメンだ。さらに付け加えるなら、実は家事全般が得意だったりする。肉じゃがめっちゃ美味しい。
 今はまだ表立ってアプローチをかけてくる人はいないけど、セイギポリス内部にも捏結を狙っている女性はきっと多いはずだ。
 いつまでも幼馴染みという立場に甘えてたり、セイギーズとしての義務という言い訳に逃げてばかりいたら、気がついた時はもう手遅れになっているかもしれない。
 そんなの嫌だ。絶対に。
 捏結を一番好きなのはあたしだ。誰にも譲れない。
 覚悟を決めたあたしは深呼吸をして気持ちを整えると、真っ直ぐに捏結を見つめ、彼の次の言葉を待――
「もう食べられないぜぇ~」
 ――ったところで寝ちゃいましたよこいつ!?
 完全に酔い潰れ、あたしに寄りかかったまま幸せそうに眠っている。
 テーブルは大爆笑に包まれた。
 クールな青山くんがお腹を抱えて笑い、黄原くんは食べていた海鮮焼きそばがつっかえたのか咳き込んでいる。緑野くんでさえ、顔を伏せて肩を震わせていた。
 こ、この野郎……!
 せっかく勇気を振り絞ろうと思ったのに、台無しにしやがって! 
「ちょっと、起きなさい!」
 ペチペチと頬を叩いて起こそうとするけれど、捏結は全く反応しない。体を揺するとあたしからずり落ちて、お座敷の上に倒れ込んでしまった。大の字になって手足を放り出し、ぐぅすか眠ってやがります。
 結局、飲み会がお開きになっても捏結は目を覚まさず、あたしは悶々とした気分を抱えたままだった。

 * * *

 夜遅く、セイギベース内の職員宿舎(通称セイギ寮)の自室に戻ったあたしは、ベッドに仰向けで倒れ込んだ。
 天井をぼんやり眺めながら考えるのは、やはり捏結のこと。
 あいつは本当に、子供の頃から何も変わらない。
 正義感が強くお節介で、自分が正しいと信じたことは決して曲げようとせず、誰よりも純粋で優しくて。そして今も昔も、変わらず鈍感で。
 でも、だからこそ安心していられるのかもしれない。どんな困難にも立ち向かえると思える。彼の傍にいるだけで力が湧いてくる。
 彼が隣で戦ってくれるからこそ、あたしも自分の力を信じることができるんだ。
 幹部を倒され、ジャーククロスの侵略はさらに苛烈さを増すだろう。奴らとの戦いは、むしろここからが本番になる。
 それでも、あたし達の未来が潰えることは絶対ない。
「好きだよ、捏結」
 ただ一言呟くと、自然と顔が綻ぶ。胸の中にあったモヤが晴れていくようだった。
 今日から改めて、彼への想いを大切にしていこう。いつか伝えるその時まで、決して色褪せないように。
 あたし達は明日からもセイギーズとして戦い続ける。
 その先に何が待ち受けているとしても、恐れることなく、ただひたすら前へ進んでいくだけだ。あたしは決意を新たに、ゆっくりと瞼を閉じた。
 その時、枕元のスマホが鳴った。セイギデバイスには通信機能もあるけど、プライベートの連絡にはスマホを使うことが多い。
 画面を見ると相手は捏結だった。何かあったのかなと思いつつ、電話に出る。
「あ、恩菜? ごめん、こんな時間に」
 もう酔いは覚めているらしく、聞こえてきた声はいつも通りの様子で、ひとまずホッとした。
 泥酔状態でとんでもないトラブルに巻き込まれ、助けを求めてきた、なんて展開が有り得ないとも言い切れないのが捏結だ。
「まだ起きてたし、大丈夫よ」
 あたしが言うと、捏結は少し間を置いて、躊躇とまどいがちに口を開いた。
「えっと、明日のことなんだけど」
 明日だって?
 明日は全員長官から特別休暇を与えられている。もちろんジャーククロスが出現すれば即座に返上しなきゃいけないけど、訓練やパトロールなど、普段の日常任務は免除されていた。
 とは言え、特に予定は入れていない。せいぜい戦いの疲れを癒すため、のんびりごろごろ過ごすぐらいだろうか。
「うん、どうしたの?」
 首を傾げて尋ね返すと、捏結はなぜか言葉に詰まり、再び黙りこくってしまった。
 なんだなんだ、まだお酒が残っているのかしら。心配していると、「あのさ、もし良かったら」捏結が意を決した様子で言う。
 あたしは思わず息を呑んで、続く言葉を待った。
「俺と二人で遊びに行かないか!?」
 一瞬、何を言われたのか分からなかった。
 頭の中で噛み砕くのに数秒かかり、それからようやく理解が追いつく。同時に心臓がドクンと跳ね上がり、全身が熱くなる。顔まで火照ってきたような気がする。
 これってもしかして、デートのお誘いってこと?
 どぎまぎしつつ、必死に平静を取り繕う。
「ど、どしたの急に。いや別に嫌ってわけじゃないんだけど、捏結がそんなこと言い出すとは思わなかったからびっくりしちゃって。セイギーズに選ばれてから2人きりってのも初めてだし、急にどういう風の吹き回しなのかなって思って」
 平静を保ったつもりが、思った以上に早口になってしまった。
 不審に思われたかもと不安になったけれど、どうやらそれは向こうも同じだったようで、あたし以上の動揺ぶりを見せてくれる。
「ま、前からずっと誘おうと思ってたんだよ。だけどなかなかタイミングが無くて、明日の休みを逃したら、次はいつゆっくりできるか分かんないし。ホントは晩飯の時に言おうとしたんだけど、皆いる手前、なんか気恥ずかしくて。酒の勢いに乗っかろうと思ったら、つい飲み過ぎちまうし。自分でもグダグダだと思うけどさ、でも恩菜さえ良ければ」
「行く!」
 捏結の言葉を遮るように即答した。自分でも驚くほど大きな声で。
 ハッとなって口を塞いだものの、もう遅い。電話の向こうからはクソデカい安堵の溜息が聞こえ、捏結は心底ほっとした感じの声音で言った。
「ありがとう、じゃあ明日、十時に清城駅前集合で良いかな」
「うん。楽しみにしてるね」
 待ち合わせの時間を決めてから通話を終える。スマホを置いた後、ベッドの上で枕を抱き締めながら悶絶するように転がった。
 今なら単独でセイギ・ゴールデンハンマーを発動できそうなくらいテンションが上がっている。あたしのことをちゃんと女として見てくれてるんだと実感できて嬉しい反面、緊張で吐きそうになるという不思議な感覚に襲われていた。
 とりあえず、明日着ていく服を考えないと。それから髪型とかメイクもバッチリ決めて、お弁当は……捏結の方が料理上手だから止めておこう。
 これは紛れもなく、あたしにとってもう一つの戦いだ。絶対に負けられない。
 期待と高揚感に包まれながら目を閉じ、あたしは夢の世界へと誘われていった。

 * * *

 翌日の朝。いつもより早く起きたあたしは、鏡の前で何度も自分の姿を確認した。
 大丈夫、おかしなところは無いはず。髪は丁寧に編み込んで纏めてあるし、服はお気に入りのワンピースだ。
 淡いピンクの花柄スカートを揺らしながらくるりと一回転し、笑顔を浮かべる。よし、完璧!
 待ち合わせの時間にはまだまだ余裕があるけど、部屋で待っていてもソワソワして落ち着けそうにない。ショルダーバッグを引っ掴み、小走り気味に寮を出た。
 空を見上げると太陽が燦々さんさんと輝いている。雲一つない快晴はまさにデート日和と言ったところで、あたしの心も真っ青に晴れ渡っていた。
 今日は最高の一日になるって、何の疑いも無く確信できた。
 ウキウキと弾む気持ちを胸に抱きつつ、足取りも軽く駅へと向かう。
 同じ寮に住んでるわけだから、別に違う場所で待ち合わせる必要は無いのだけれど、そこはそれ、デートとなれば雰囲気作りは大事よね。駅で待ち合わせようと言ってきた時には正直、捏結を見直した。
 普段は鈍感なクセに、たまーにこっちの意図を読み取ったかのように粋なことしてくれるからズルい。
 もしかしたら、前から誘おうと考えていたって言ってたし、ネットなんかで色々調べたのかもしれない。あいつは青山くんのように天才肌ではない代わりに努力家だ。その姿勢は見習わなくちゃと思うし、素直に尊敬している。
 そんなことを考えているうちに駅前広場へ着いた。
 しかし約束の十時までにはまだ一時間以上もある。当然、捏結の姿は見当たらない。捏結は時間に正確と言うか、遅刻もしないけど、こんな風に来るのが早すぎることもない。
 まぁ、あたしだって承知の上で来たんだし、適当に時間潰しましょうかね。
 日当たりの良いベンチに腰掛け、スマホを取り出そうとした時、悲鳴が耳に飛び込んできた。
「ひったくりよぉっ!」
 慌てて視線を向けると、この時季にトレンチコートを着て深く被った帽子と首でも括るのかというほどグルグル巻きにしたマフラーで顔を隠した怪しさ極まりない格好の不審者オブ不審者が、お婆さんからハンドバックを奪い取り、ビルの隙間に消えて行く姿が目に入った。
 考えるよりも先に体が動いていた。ベンチから立ち上がり、全速力で駆け出す。
 大丈夫、まだ時間はある。追いかけて捕まえて、近くの交番に引き渡してから戻ってきても、十時には間に合うはずだ。
 建物の陰に入り、路地裏を疾走する不審者の背中を追いかける。幸いにも犯人の逃げ足はそれほど速くなく、少しずつ距離を詰めている。向こうもそれを察したのか、曲がりくねった細い道を利用してジグザグに逃げ始めた。
 そうはさせない。あたしも同じように壁と建物の間を縫うように走っていく。
「止まりなさい! 警察よ!」
 走りながらひったくり犯に呼びかけるが、もちろん止まる気配はない。むしろ挑発するように速度を上げてくる。
 くそ、こっちはワンピース姿で走りにくいのもあって限界が近いのに。ひったくり犯とは言え、一般人相手にセイギストーンのパワーを使うわけにもいかないし。
 デートの出端を挫かれた恨みも相まってイライラしてきた。捕まえたら一発ブン殴ってやると決意を秘めて角を曲がると、突然視界が開けた。
 前方に見えるのは工場らしき大きな建物だ。使われなくなってだいぶ経つのか、外壁の塗装は剥げ、周囲には雑草が生い茂っている。
 ひったくり犯は迷わず敷地内に駆け込み、壊れたシャッターの隙間を潜り抜けて建物の中に姿を消した。
 ここまで来て逃がすものか。あたしも急いで後を追い、工場内へと入る。
 内部は広く、体育館ほどの大きさはあるだろうか。埃っぽい空気の中に鉄錆の臭いが混じっている。思った通り廃工場だったようだ。
 奥へ進むと、ひったくり犯は部屋の中央で背中を向けたまま立ち止まっていた。あたしは呼吸を整えながらゆっくりと近づいていく。
「観念しなさい。もう逃げる場所なんて無いわ」
 返事は無い。だけど諦めた様子でもない。
 何を考えているのかと訝しむと、ひったくり犯はおもむろに振り向き、両手を広げた。
「わざわざご足労いただき、感謝の言葉も無い……セイギピンクくん」
 その言葉を聞いた瞬間、ゾッとした悪寒に襲われた。
 咄嗟に工場の出口に向かって振り向くも、壊れたシャッターの前に新しいシャッターが落ち、退路を絶たれる。さらに他の出口や窓にも次々とシャッターが下ろされ、完全に閉じ込められてしまった。
 続いて天井から強烈な明かりに照らされる。眩しくて思わず目をつむったあたしは、次に目を開けた時の光景に愕然とさせられた。
 さっきまで誰もいなかったはずの空間に人影が現れている。しかも一人じゃない。工場内の至る所から、まるで湧いて出てくるみたいに数を増やしていった。
「ジャーククロス……!」
 ようやく状況を理解する。これは全部罠だ。このひったくりは最初から、あたしをおびき寄せるために仕組まれていたのだ。
 まんまと引っかかってしまったあたしは今、怪人と戦闘員に包囲されている。
 焦るな。落ち着け。冷静に状況を把握して対処を考えないと。
 深呼吸をして、キッと目の前に立つ敵を見据える。恐らくこの場のリーダー格だろうひったくり犯は、何をするでもなくただ悠々と佇んでいる。
 でも迂闊には動けない。セイギピンクとしての直感が告げている。目の前の相手は只者ではないと。
 それでも怯んではいられない。あたしは次に戦闘員達へ視線をやった。
 どうやら今まで戦ってきた奴らとはタイプが違うようだ。悪夢に見るほど倒してきた全身黒タイツとヘルメットの戦闘員じゃなく、体がテカテカと黒光りして、手足や関節、何より頭部が異形だ。
 言うなれば虫人間……それもゴキブリを擬人化させたような姿だった。正直、生理的に受け付けられない見た目をしている。
 ゴキブリ戦闘員達は工場の床だけじゃなく、壁や天井にまでウゾウゾとうごめいていた。
 遠巻きに見ているだけで攻撃を仕掛けてはこないものの、それだけで十分過ぎるほどの精神的ダメージを与えてくる。あまりの気持ち悪さに吐き気すら覚えてきた。
「ぬぅん!」
 ひったくり犯が大声を上げると、全身を黒い電撃が包み込む。
 着ていた服を吹き飛ばし、バチィっと激しい音を立てて弾ける稲妻の中から現れたのは……紛うことなきゴキブリ怪人。
 心の底から外れてくれと願っていた予想は、無慈悲にも的中してしまった。
 怪人は戦闘員よりも一回り大きく、筋骨隆々で強靭そうな体格をしていた。背中に広げたはねを震わせ、不快で耳障りな羽音を響かせながら、不気味に発光している巨大な眼でギョロリと睨みつけてくる。
 その姿を目の当たりにして、改めて確信した。こいつは間違いなく強い。今まで相手にしてきたどの怪人よりも、圧倒的に上回っている。
「本部、こちら桃瀬! ジャーククロスの襲撃を受けています! 至急応援を!」
 セイギデバイスで救援要請を出すも、反応は無い。
「無駄だ。通信は封鎖しておる」
 くそっ、やっぱりか。なら自力でどうにかするしかないわね。
「セイギ・インストール!」
 迷わず変身する。逃げ場がない以上、戦う他に選択肢はない。
 ピンクの閃光に包まれ、一瞬にしてセイギスーツが装着された。
「咲き誇る正義の花! セイギピンク!」
 名乗りを終えると同時にセイギガンを構える。しかし、至近距離で銃口を突きつけられてもゴキブリ怪人は余裕の態度を変えなかった。
「お初に御目にかかる、セイギピンクくん。吾輩はジャーククロス十二神将が一人にして、ムシ怪人軍団長・ゲルマリオスである。以後、よしなに」
 右手を前に、仰々しく頭を下げる。
 ダンディなオジサマならまだしも、ゴキブリ怪人に紳士的な態度で自己紹介されて誰が喜ぶっていうのよ。あと、喋る度にキシキシ鳴るのは止めて欲しいんだけど。ほんと無理だから。
「十二神将……クヤジィサと同じ幹部クラスってわけね。もう次の将軍が出てくるなんて、ジャーククロスは随分と焦ってるようじゃない?」
 精一杯の皮肉を込めて言ってやる。少しでも相手の神経を逆撫でできれば、そこから突破口を探れるかもしれない。
 だが、ゴキブリ怪人改めゲルマリオスは全く動じることなく、それどころか愉快そうに笑って返した。いや虫の頭だから表情なんて分からないけど、雰囲気でなんとなく察せるというか。
「クヤジィサは十二神将の中で最弱……あれを倒した程度で調子に乗ってもらっては困る」
 背筋に冷たいものが走る。あたし達五人が力を合わせ、死力を尽くしてやっと倒せた相手だってのに。それを最弱だと言い切るなんて、残りの将軍はどれだけ化け物揃いなんだ。
 不安に駆られながらも、なんとか平静を装う。今は怯えている場合じゃないんだ。まずは会話を続け、敵の出方をうかがおう。
「少なくともクヤジィサは正面から挑んできたわ。こんな卑怯な真似をしておいて、よく奴の格上を名乗れたものねぇ」
 嫌味たっぷりに煽る。するとゲルマリオスの方もニヤリと笑った。
「こちらとしても始めから計画していたわけではなかったのだがなぁ」
 トントン、と指で自分の頭を突つきながら話を続ける。
「我々は常に貴様らセイギーズの動きを監視しておる。あのように浮ついた様で一人だけノコノコ仲間の元を離れるなど、誘い出してくれと言わんばかりではないか」
 浮ついた様って、まさか捏結とのデートのこと?
 そりゃ、デートの待ち合わせ場所に他の人を連れて行くとか有り得ないじゃん!
「常在戦場の覚悟も無く、吾輩を卑怯者呼ばわりとは。おめでたい奴よ」
 このムシケラ野郎……人の恋路を邪魔した挙句に馬鹿にしやがったな。
 許せない。絶対ぶっ飛ばしてやる。
 怒りが沸々と湧き上がってくる。だけど、ここで感情に任せたら確実に敗北するだろう。
 こうなりゃとことん挑発してやろうと、さらに言い返そうとしたその時だった。
 それまでじっと天井に張り付いていた戦闘員達が一斉に動き出す。しまった、と慌ててセイギガンを向けるが、戦闘員達はこちらへ飛び掛かってくることはなかった。
 ゾロゾロと天井を動き回り、なにやら整列し始める。奴らの動きが止むと、そこにはゴキブリ戦闘員によって大きな文字が書かれていた。
『バカ』
 ぷっちり。頭の中で何かが切れる音が聞こえた。
「ああああもうっ、あんた達のせいで大事なデートが滅茶苦茶になったじゃないクソ害虫どもーッ!」
 激情のままセイギガンを乱射しまくる。あっという間に天井は穴だらけになるが、戦闘員達は慌てる様子もなく整然と攻撃を避け続けた。まさにゴキブリのような気色悪い動きを見て、ますます頭に血が上った。
「このっ、このおっ!」
 苛立ちをぶつけるようにトリガーを引き続けるが、一発たりとも当たる気配が無い。どこまであたしを怒らせれば気が済むのだ。
「貴様の相手は吾輩が務めよう!」
 ゲルマリオンの声が響く。ハッとして顔を下げると、ゲルマリオスが床を蹴って突進してきた。
 そのスピードは尋常じゃなく、瞬く間に距離を詰められる。振り下ろされた拳を受け止めると、まるでトラックに撥ねられたような衝撃に襲われた。凄まじく重く、威力が高い。クヤジィサを最弱と豪語するだけのことはあるようだ。
 近距離では不利と判断し、バックステップで間合いを取る。すかさずセイギガンを連射するが、ゲルマリオスも戦闘員同様、素早く回避行動を取って全てを回避した。いや地面に這いつくばって動くの止めてくんないかな。マジでキモい。
 とにかく射撃では当てられない。分は悪いけど接近戦に勝負を賭けるしない。
「モードチェンジ!」
 セイギガンのバレルとグリップを一直線に変形させると、銃口から刃状のエネルギーが伸びていく。近距離戦闘用モード、セイギソードだ。
 勢い良く踏み込み、横薙ぎの一閃を放つ。だが、やはり簡単に避けられてしまった。
 ゲルマリオスは身を屈めると足払いを仕掛けてくる。あたしは大きく跳躍して避け、そのまま空中に舞い上がった。
「はぁああっ!」
 上空から急降下しつつ、渾身の一撃を振り下ろす。狙いは頭部、斬撃ではなく一点集中の突撃で脳天を貫いてやる。
 しかしゲルマリオスは頭部から生えている二本の長い触覚を鞭のようにしならせ、セイギソードを受け止めた。見た目は細い触角なのにビクともせず、それどころかエネルギーブレードの方が削れ始めている。
 負けてたまるか。こうなればセイギストーンのパワーを全開にしてでも押しきってやる。
 そう意気込んだ時、ゲルマリオスが身を屈め、強烈なアッパーカットを繰り出してきた。
 咄嗟に体を捻って直撃は避けたものの、風圧で体が吹き飛ばされる。バランスを崩したところへ容赦無く飛び膝蹴りを叩き込まれ、放物線を描いて背中から床に激突した。
「ぐぅう!?」
 息が詰まり、視界に火花が散る。意識が飛びかける中、なんとか立ち上がってセイギソードを構え直した。
 痛い、苦しい、気持ち悪い。
 頭の中で警鐘が鳴る。逃げろ。勝てる相手じゃない。そう本能に訴えかけられている。
 それでも、あたしは逃げるわけにはいかなかった。
 あたしはセイギーズ。悪を倒す正義の味方なんだから。
 ありったけの闘志をかき集め、歯を食い縛る。
「まだ折れぬか……その意気やよし」
 余裕たっぷりに笑う怪人の姿が霞んで見える。これはダメージによるものなのか、それともこの先に待ち受けている絶望に恐れ戦いているのか。
 いや、どっちだろうと関係無い。あたしはこの強敵を絶対に倒さなきゃいけないんだ。
「できれば心ゆくまで楽しんでいたいのだが、あまり時間をかけてもおれん。そろそろケリをつけさせてもらおう」
 ゲルマリオスが両手を広げて構えを取る。全身が黒い電撃に包まれ、周囲の空間まで激しく音を立てて放電し始めた。
 ジャークストーンのパワーを電撃に変えて戦うのが奴のスタイルなんだろう。ゴキブリ関係無いじゃん。
 凄まじい力の高まりを感じる。まともに食らえばひとたまりも無いに違いない。
 上等だ。足を止めての大技なら、むしろ有り難い。こっちはもう、まともに動けないんだ。
 セイギソードをセイギガンに戻し、脚を広げて構える。全てのエネルギーを銃口に集中させると、ピンクの光が大きな球体状になって膨らんでいった。
「セイギ・フラワー・バースト!」
 解き放たれたエネルギーが光の花弁を散らせた極太ビームとなり、ゲルマリオスに向かって突き進んでいく。相手もまた両腕に溜めていた稲妻を解き放った。
「ジャークサンダーストーム!」
 渦巻く黒雷は巨大なゴキブリの姿を形作り、はねを広げて飛び掛かってくる。そんなところでゴキブリ要素出さなくていいから!
 心の中で叫びながら、セイギストーンのパワーを限界まで注ぎ込む。
 激しい閃光と衝撃を撒き散らし、二つのエネルギーがぶつかり合う。互いの力が拮抗しているように見えたのも束の間、すぐにこちらのパワーが低下し始めた。
 このままじゃ押し切られてしまう。焦りが募った瞬間、ゲルマリオスがさらにエネルギーを強めた。
 まずいっ、と思った時にはもう遅かった。黒雷のゴキブリはセイギ・フラワー・バーストを押し返し、一気に迫る。必殺技二発分の威力を持ったエネルギーが、容赦なくあたしの体に浴びせられた。
「きゃぁあああああーっ!」
 悲鳴を上げ、吹き飛ぶ体。ゴロゴロと床の上を転がり続け、やがて壁にぶつかると、ようやく止まった。
 痛みに顔を歪ませながらも必死に顔を上げると、ダメージを受けすぎたのか、変身が解除されてしまっていた。
 お気に入りのワンピースはボロ布同然に成り果て、体のあちこちから出血してしまっている。時間をかけてセットした髪も乱れて見る影もない。
 捏結に可愛いって褒めてもらおうと思って、朝早くから一生懸命おしゃれしたのに、全部台無しだ。
 悔しくて、情けなくて、ポロポロと涙が流れ落ちる。
 にじむ視界の中、ゲルマリオスがゆっくりと近づいてきた。
「これで……終わりじゃないから」
 精一杯の虚勢を張って睨みつけると、ゲルマリオスは無言で見下ろしてくる。
「あたしが死んでも、セイギーズは死なない。新たなセイギストーンを受け継ぐ戦士が必ず現れる。ジャーククロスは絶対に滅ぶわ」
 そうだ。あたしが殺されても、正義の心を持つ者がいる限り、世界の未来は途切れたりしない。希望は必ず繋がれていく。
 ごめんね、みんな。あたしはここまでみたい。後は任せたよ。
 だからお願い。世界を救え、セイギーズ。
「安心しろ、殺したりせんよ。貴様には、これから大いに働いてもらわればならんのだからな」
 どういう意味だ。
 それを考えるより早く、ゲルマリオスがあたしの首根っこを掴み上げた。抵抗する気力すら残っておらず、されるがままに吊り下げられる。
「ローチ兵、撤収だ」
 ゲルマリオスが告げると、じっとしていた戦闘員達が動き出す。天井に貼り付いている奴らはまた整列を始めた。あたしを嘲る文字でも書くつもりだろうか。
『トモダチ』
 だから、どういう意味だ。
 疑問符を浮かべる暇もなく、あたしの意識は闇へと沈んでいった。

 * * *

 目を覚ます。
 最初に感じたのは肌寒さだった。それもそのはず、丸裸にされていたのだ。
 拘束はされていないが、当然ながらセイギデバイスを奪われている。変身はおろか、助けを求めることすらできない状態では、残念ながら手足の自由など大した意味を持たない。
 薄暗い照明に照らされた部屋は殺風景なもので、家具らしいものは何一つ置かれていない。窓は無く、唯一の出入口である扉には鉄格子が嵌められていた。
 ゲルマリオスに敗れ、囚われの身となったであろうことから考えれば、恐らくここはジャーククロスのアジトなのだろう。地下牢かどこかに監禁されているに違いない。
 皆はどうしてるかな。少なくとも捏結はあたしが行方不明になったことが分かるはずだ。心配して探し回ってくれてるかな。
 だとしたら嬉しいけど、きっとこの場所を突き止めることはできないだろう。
 だけど、諦めちゃダメだ。生きている限り可能性はある。この程度の苦境、正義の心があればどうとだってなる。
 自分に言い聞かせるように呟いていると、近づいてくる足音が聞こえた。振り返ると、鉄格子の前にはゲルマリオスの姿があった。相変わらずの不気味な雰囲気を纏っている。
 反射的に胸と股間を隠すように体を抱き締めると、奴は呆れたように溜息を吐いた。
「昆虫が人間の裸を見て興奮すると思っとるのか」
 え、こいつガチで虫なの? 人間ベースじゃなくて?
 あたし百%ゴキブリに負けたの?
 得も言われぬショックを受け、アルファベット三文字で表現される体勢になっていると、ゲルマリオスの後ろから現れたゴキブリ戦闘員……ローチ兵、だっけか……が鉄格子の鍵を開け、あたしの腕を左右から掴んだ。
「拷問にでもかけるつもり?」
 せめてもの反抗の意思を込めてたずねるが、ゲルマリオスは答えない。そのまま腕を引っ張られ、部屋の外へ連れ出される。
 黙って歩き出したゲルマリオスに続き、ローチ兵に引っ立てられる形であたしも進むしかなかった。
 薄暗い廊下は静まり返っており、あたし達の足音だけが響いていた。壁や床は継ぎ目のない滑らかな質感をしており、かなり高度な技術で作られたものだと分かる。もしかしたら、ここは単なるアジトじゃなく、ジャーククロスにとって重要な場所なんじゃないだろうか。
 悔しさに歯噛みする。本当ならここには、皆と一緒にジャーククロスを壊滅させるべく颯爽さっそうと乗り込んでいたはずだったのに。それが今は、敵の手下に引きずられて歩いているなんて。
 しばらく歩いていくと、突き当たりにある大きな両開きのドアの前で立ち止まった。ゲルマリオスがドア横のパネルに触れる。
「連行しました」
 短く報告するように言うと、重い音を鳴らしながらドアがゆっくりと開いた。部屋の中は明るく、思わず顔を背ける。眩しさに目が慣れてくると、ようやく室内の様子が見えてきた。
 不自然なほど真っ白な壁と床に囲まれ、天井に埋め込まれたいくつものライトが光を放っている。まるで病院の手術室のような空間だ。
 ゲルマリオスが室内に入ると、壁の一部が反転してモニタが現れる。画面に映し出されたのは、深いシワが刻まれた白衣姿の老人だった。
「貴方は……典細博士!?」
 その顔には見覚えがあった。機械から生物まで、あらゆる分野に精通した稀代の天才科学者でありながら、その思想の危険さ故に国際社会から追放された人物、在江辺典細博士。
「どうして博士がこんなところに……まさか!?」
「その通り。今のワシは偉大なるジャーククロスの一員じゃ」
 モニタの中のマッドサイエンティストはニヤリと笑う。あたしは戦慄し、同時に激しい怒りを覚えた。
「許せない! 危険な研究だけでは飽き足らず、悪魔に魂を売って世界を滅ぼそうとするなんて!」
 ローチ兵に押さえつけられながらも身を捩り、典細を睨みつける。だが、彼は何食わぬ顔で受け流した。
「ワシの偉大さを認めぬ世界など、どうなろうが知ったことか。ここなら思う存分、好きなだけ研究ができる。そこのゴキブリ男もワシの作品じゃ。素晴らしい出来栄えじゃろう?」
 ゲルマリオスを作り出したのは典細なのか。確かに圧倒的な戦闘力と高い知能を兼ね備えた、恐るべき怪人ではある。
「その才能を、どうして平和のために活かさないの!」
 あたしの言葉に典細が反応するよりも早く、ゲルマリオスが口を開いた。
僭越せんえつながら、博士。議論はまたの機会にしていただいてもよろしいでしょうか」
「むぅ」
 ゲルマリオスの一言に顔をしかめる典細。しかし、もっともな意見であったのか、それ以上は何も言わなかった。
「性格設定を「クソ真面目」にしたのは失敗じゃったかのぉ。融通が利かん」
 独り言のように呟くと、視線をこちらに向ける。その目は狂気に染まっていた。
「小娘、お前は実に運がいい。完成したばかりのワシの新発明……その実験台第一号となる栄誉を授けよう」
 奴が言い終えると同時に、目の前の床が開き、手術台のような装置がせり上がってきた。床の下から伸びる無数のケーブルと接続されていて、手足を乗せる部分には拘束具が取り付けられている。
 嫌な予感がした。あたしに何をするつもりなんだ。
 青ざめた顔で典細を見ると、奴は邪悪な笑みを浮かべていた。
「教えてやろう。それはジャーク・コンバータマシーンじゃ。貴様の体に融合しているセイギストーンを、ジャークストーンへと変換するためのマシンなのじゃよ」
 こいつは今、何を言った?
 セイギストーンを、ジャークストーンに変える?
「ふざけないで! セイギストーンは大いなる正義の心の結晶! 邪悪な力で穢すことなんてできない!」
 毅然きぜんとして叫ぶと、典細が鼻を鳴らす。
「ジャークストーンとセイギストーン、どちらも超古代文明の遺産……つまりは超古代人による人工物じゃ。ならば現代人の、しかも最高の天才たるワシが作り変えられぬ道理はなかろう」
「できるはずがない! あんたなんかに、あたしの正義の心を踏みにじることなんて絶対に!」
 そうだ。この胸の中に燃える正義の心だけは、誰にも奪えない。
 そう確信して強く拳を握り締める。
「今のうちに好きなだけ吠えておくがいい。このジャーク・コンバータマシーンはセイギストーンの変換だけに留まらず、精神を支配してジャークストーンの融合者として相応しい人格に造り替えてくれる。頭の悪いお前にも分かるように言ってやれば、洗脳マシーンなのじゃ」
 全身から血の気を引くのを感じた。セイギストーンを奪われ、さらに心までも悪に染められるというのか。
 絶望に囚われそうになりながら、それでもあたしは叫び続けた。
「あたしは負けない! 絶対に悪には屈しないんだからぁっ!」
「ふん。これ以上やかましい声を聞かされるのは我慢ならん。小娘をジャーク・コンバータマシーンにセットしろ!」
 ローチ兵があたしの腕を引っ張り、マシーンの前へ連れて行こうとする。振り払おうとするが、屈強なローチ兵の腕力からは逃れられない。
「放せ! このっ、放せぇっ!」
 身を捩って暴れるが、ローチ兵はびくともせず、あたしは成す術もなく引きられていく。必死に踏ん張ってみるものの、足の裏が床の上を滑るだけだった。
「止めてっ! 誰か助けてっ!」
 無駄だと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。やがてマシーンの真横にまで辿り着くと、足を払われ、マシーンの上に仰向けで倒れ込む。
「いやぁああっ! 放してぇっ!」
 逃れようと手足を振り回すも、あっさり両手首を掴まれる。力を振り絞って殴りつけようとしたが、両腕を左右に開かれ、手首にベルトを巻きつけられた。続いてローチ兵が足元側に回る。
「来ないで! あたしに近寄らないで!」
 恐怖に顔を歪め、ローチ兵を蹴り飛ばそうと脚を振るう。しかし、それも難なく受け止められてしまった。
 そのまま両脚を広げられる。絶対に嫌だと、渾身の力で脚を閉じようとしたが、無情にも両脚を大きく開かされた。足首も手と同様にベルトで固定され、完全に動けなくなる。
「ヤダぁああっ! 見ないでぇえっ!」
 恐怖よりも、あまりの羞恥に涙がにじんだ。捏結にさえ見せたことのない姿を、憎むべき怨敵の前に晒される屈辱感に耐えられず、あたしは目を固くつむる。
「だから吾輩何も感じんて」
「ワシもとうに枯れとるわ」
「セイギ・インストール! セイギ・インストール! お願い! 力を貸して! あたしをセイギピンクに変身させて!」
 心の中で強く祈り、あたしは全身全霊を込めて願った。だけどあたしの体は何も変わらない。
 全裸にされ、手足を広げた体勢のまま、拘束具によって自由を奪われている。
 ローチ兵がマシーンの下側から何本ものケーブルを引き出し、先端の電極をあたしの体中に取りつけていった。
 まるで解剖前の検体のような気分だ。これから自分の身に起こることを考えると、とても冷静ではいられない。
「さっきまでの威勢はどうした? ん? ほれ、またわめいてみぃ」
 典細の声を聞き、悔しさと怒りに唇を強く噛み締める。あたしを洗脳する準備が着々と進められているのに、何一つ抵抗できない。
 それがあまりにも情けなくて、あたしの目から大粒のしずくこぼれた。
 最後にあたしの額へ電極を取りつけると、ローチ兵はマシーンから離れ、壁際に移動する。
 典細があたしを見下ろしながら、待ちきれないとばかりに笑みを浮かべた。子供のように純粋で、邪悪で、残忍な笑顔を。
「では、記念すべき最初の実験じゃ」
 起動準備にかかったのか、マシーンから低い駆動音が鳴り始めた。その音を聞くだけで心臓が凍るような感覚に襲われる。
「お……お願い、止めて……あたしは悪になんてなりたくない……」
 弱々しく懇願するが、そんな願いなど聞き入れられるはずもなかった。
 モニタの画面が典細の手元に切り替わり、玩具のような押しボタンが表示される。シワだらけの指がゆっくりと、スローモーションのようにボタンへ近づいていく。
 指が近づくにつれ、心臓の鼓動が速くなっていくのを感じた。
 恐怖と不安に押し潰され、呼吸が激しく乱れ始める。頭がおかしくなる。
「止めてぇえっ! 洗脳しないで! あたしの心を壊さないでよぉおおおっ!」
 ついに堪えきれなかった。喉が裂けそうなほどの絶叫を上げ、首を振りたくって許しを乞う。手足の自由を取り戻そうと、半狂乱になって体を揺すった。
 だが手首や足首に巻かれたベルトは僅かも緩まず、暴れる度に食い込んでくる。その苦痛がさらに絶望感を募らせ、あたしの精神を削り取っていった。
「お願いだからベルトを外して! ここから出して! 誰か、誰か助けてっ! 誰かぁあああっ!」
 もう自分が何を叫んでいるのかすら分からなかった。ただ自分を失うことへの恐怖だけがあたしを支配し、心の底から慈悲を求めて泣き喚く。
 だけどどんなに哀願しても、誰も救いの手を差し伸べてくれることはない。囚われのヒロインを颯爽さっそうと助ける正義の味方は現れてくれなかった。
「止めて止めて止めてぇえええぇえ―――ッ!」
「ポチッとな」
 悲痛な叫びを打ち消すように、場違いなほど軽い声が響いた。
 全身を貫く衝撃と共に、あたしの視界は真っ白に染まる。
「いやぁああああああああああっ!」
 全身を強烈なエネルギーの奔流ほんりゅうが駆け巡る。神経を直接刺激されるような痛みが走り、意識が一瞬飛びかけた。
 それでも気を失うわけにはいかない。気絶してしまったら、二度と目覚められないかもしれなかった。
「うぐぅっ! はあっ! あうっ! う……くぅううっ! んんっ! うあぁあああっ!」
 激痛に悶えながら、懸命に耐える。全身はもうびっしょりと汗に濡れていた。
 荒い息を繰り返し、胸を大きく上下させる。少しでも苦悶を和らげようと、大声を上げてあえいだ。
 ま……負けない! あたしの心はまだ屈してない!
 絶対に洗脳なんかされないんだからっ!
 自分に言い聞かせるように、何度も心の中で繰り返す。歯を喰いしばり、涙で霞む目を開いて、必死に自我を保ち続けた。
「ふぁっ!? んぁあああああーっ!」
 だけど、それはほんの数秒のことだった。今までで最大のエネルギーが注ぎ込まれ、頭の天辺から足の爪先までを、体の中から焼き尽くされるような感覚に陥る。
 体が大きく仰け反りかけ、しかしベルトで縛られた手足は動かせず、背中だけが弓なりに跳ね上がった。
 息をつく暇もなく、再び凄まじいエネルギーが流れ込み、体は何度も激しく痙攣けいれんする。エネルギーは休むことなく送り込まれ続け、あたしは実験台のカエルみたいにビクビクと跳ね続けるしかなかった。
「ぬぅ……計算よりセイギストーンの抵抗力が強いようじゃのぅ」
 頭上から降ってきた典細の声に、あたしはハッとして目を開けた。
 視界がぼやけて焦点が定まらないけど、不満げに眉を寄せ、顎に手を当てているように見える。
 そう言えば、奴はこれが最初の実験だと言っていた。予め用意されたデータよりあたしの力が上回っているせいで、マシーンの性能が追いついていないのかもしれない。
 今にも途切れそうな思考力をフル回転させ、希望を見出したあたしは笑みを浮かべる。
 マシーンがオーバヒートして壊れるまで、絶対に耐え抜いてやるんだ。そして必ず脱出してみせる。
 あたしはセイギーズの一員、セイギピンク。ジャーククロスに屈したりするもんですか。
「やむを得ん。ゲルマリオス、お前のパワーを貸せ」
「よろしいのですか?」
 壁際で腕を組んで様子をうかがっていたゲルマリオスが顔を向けてくる。
「不本意じゃが、失敗の許されん実験じゃからの。今はジャークストーンの変換を完了させることが最優先じゃ」
 あたしは愕然がくぜんとした。マシーンのエネルギーに加え、ゲルマリオスの強大なパワーを上乗せされたら、どこまで抵抗できるか分からない。
 絶望的な状況に追い込まれたことを悟り、意識が急速に遠のき始める。
 ダメ……弱気になっちゃダメ。
 まだ諦めちゃいけない。あたしは決して悪の心に負けたりしない。
 だってあたしは、正義のヒーローなんだもの。悪の力なんてきっと跳ね返せる。
 薄れていく理性を繋ぎ止め、あたしは最後の最後まで戦い抜く覚悟を決めた。全身を襲う苦痛を堪えながら、強く唇を引き結ぶ。
「肉体の変換と精神の支配に分けていたマシーンのエネルギーを、全てセイギストーン変換に回す。お前は自らのエネルギーでこやつを洗脳するのじゃ!」
「かしこまりました」
 無表情のまま軽く一礼すると、ゲルマリオスはあたしの側に近寄ってくる。
 床から新たなケーブルが伸びてきて、ゲルマリオスと、あたしの額につけられた電極とが接続された。
 次の瞬間、あたしの中に流れ込んでくるエネルギーの質が変わった。意思が宿ったかのように暴れ回り、体だけでなく心の中までも蹂躙してくる。
 辛うじて耐えられていた苦痛が一気に膨れあがった。
「うわぁああああっ! うぐぅうっ! 止めてぇえっ! んあっ! あたしの中に入ってこないでぇえっ!」
 心身を同時に襲うあまりの苦しみに、喉の奥からかすれた悲鳴を上げる。
 体を捩って逃れようとするも、ベルトの拘束はびくともしない。むしろ暴れたことで体がきしみ、さらなる痛みに襲われる始末だった。
 泣き叫び、首を振りたくって身悶える。
 虫の大群に頭の中を貪られているかのような感覚が絶え間なく続いていた。
「頭が痛いぃいっ! わ……割れちゃうよおぉおっ!」
 脳味噌が焼けただれてしまうんじゃないかと思うほどの頭痛が襲いかかる。頭が痛くて痛くて破裂してしまいそうだ。
 自我がドロドロに溶かされ、あたしがあたしでなくなっていくような気がする。
 せ……洗脳される……!
 このままじゃ、あたし……本当に洗脳されてしまう!
 あたしは必死になって抗った。だけどどんなに拒んでも、悪意に満ちたエネルギーは次から次に容赦なく押し寄せる。もういつ意識が飛んでしまってもおかしくないほどだった。
 あたしはただ絶叫を上げながら頭を左右に振り乱す。
「いやぁああっ! 誰か助けて! 捏結! みんなぁっ! あたし、もうダメ! これ以上耐えられないっ! 早く、早くあたしを助けに来てぇええっ!」
 半狂乱になりながら、何度も仲間に救いを求める。起こるはずのない奇跡に縋るしか、あたしに残された手段はなかった。
 だけど、いくら祈ろうと、願おうと、誰も現れはしれない。
 それどころか、次第に抵抗の意志が失われていき、あたしの精神が支配されていく。心が犯され染められていく。
 そう思うことすら、自分で考えていることなのか分からなくなっていく。
「助けて! 捏結! お願いだからぁっ! あたしを助けに来て! 来てよぉおっ! じゃないとあたし、捏結の敵になっちゃう! 捏結と戦わなくちゃいけなくなる! そんなの嫌だよぉおっ! あぁあああああーーーッ!」
 子供のように喚き散らし、涙と鼻水と汗にまみれて号泣する。
 幼い頃からの捏結との思い出が次々と頭に浮かんできた。初めて出会った日のこと、友達になった日のこと、恋心を自覚した日のこと、そして一緒にセイギーズとして選ばれ、世界の平和を守るために戦い続けて来た日々のことが。
 今までの全てが光となって駆け巡っていく。そのどれもが、かけがえのない宝物だ。絶対に失いたくない大切な想いの結晶だ。
 なのに、それらは全て砂の城の如く脆く崩れ去り、渦巻く闇の底へと呑み込まれていく。絶対の闇があたしという存在を塗り潰していく。
 そしてとうとう、何もかもが消え失せた。
 真っ暗だ。完全な暗闇だけがあたしの世界を支配する。
 あたしは何も感じなくなっていた。まるで魂そのものが消滅したように。
 直後、激しい光があたしを包み込んだ。頭の芯まで痺れるような甘い快感が走り抜け、全身がビクンビクンと痙攣けいれんする。
 同時に、あたしの中で何かが砕け散るような音が響いた。
 気がつくと、マシーンの駆動音は止み、部屋には静寂が戻っていた。
 あたしはゆっくりと目を開け、ぼんやりした頭を振る。あれだけ激しかった苦痛が嘘みたいに消え去り、今までに経験したことのない充足感に満たされていた。
「成功じゃ! ジャークストーン反応百%! 完全変換完了じゃ!」
 頭上から典細の嬉々とした声が聞こえてきた。
 ローチ兵があたしの体から電極を外し、手足の拘束を解く。ベルトに強く締め付けられていた部分は赤く腫れ上がり、ズキズキとした鈍い痛みが残っていた。
 ふらつく足取りでマシーンから離れると、その場にへたり込む。苦痛は去ったものの、代わりに強い快感に襲われていて立つこともままならなかった。
 全身が火照ほてり、呼吸も乱れている。あたしは大きく肩で息をしながら、しばらく呆然と天井を見上げていた。
「気分はどうだ」
 ゲルマリオスが尋ねてくる。
 あたしはトロンと蕩けた瞳で彼を見上げ、熱い吐息を漏らしながら答えた。
「最高の気分です……体に満ち溢れるジャークストーンのパワーを感じる……気持ち、いい……んっ」
 うっとりと呟いて軽く身震いすると、両手で胸元を押さえる。指先から感じる鼓動に合わせて、体の奥から無限に力が湧き上がってくるようだった。
 こんなにも心地良い感覚は初めてかもしれない。
 あたしの肉体と融合していたセイギストーンは、ジャーク・コンバータマシーンによってジャークストーンへと変貌を遂げたのだ。
 生まれ変わったような清々しさに自然と頬が緩む。もう正義だなんてつまらない理想を背負う必要は無い。これからは思う存分、超人の力を自分のためだけに振るうことができる。
 考えただけでワクワクしてきた。今すぐにでも暴れ回りたい衝動に駆られるが、未だ治まらない快感のせいで体が上手く動かない。
「はぁ……はぁ……はぁ……っ!」
 荒い息を繰り返し、時折体を小さく跳ねさせる。
 ようやく少し落ち着いたところで、あたしは片膝を突く体勢になり、うやうやしく礼をした。顔を上げ、頬に朱を差して微笑んだ。
「あたしを洗脳してくださり、ありがとうございます。おかげでとても素晴らしい力を手に入れることができました。今よりこの恩菜は貴方様の忠実なる下僕……どうぞ、何なりとご命令くださいませ」
 深く頭を下げ、ゲルマリオス……否、ゲルマリオス様への忠誠を誓い上げる。
 あたしは晴れやかな表情を浮かべながら、ひざまずいて主たる御方の言葉を待つ。しかしゲルマリオス様は「ぬぅ」と顔を曇らせた様子で、顎に手を当てて首を傾げた。
「典細博士、この者の処遇については如何なさるおつもりか?」
 ゲルマリオス様はモニタに映る典細に問いかける。そ
 うか。ゲルマリオス様はあくまで作戦の実行役に過ぎない。洗脳したあたしのことを配下に置くかどうかの決定権はないのか。
 嫌だな。あたしを洗脳してくださったのはゲルマリオス様なんだから、この方のお傍で働かせてほしいのに。
 あたしは不安げな面持ちで様子をうかがう。だけどそんなあたしの思いとは裏腹に、典細はあっさりと言い放った。
「知ったことか! ワシは今の実験で得られたデータを元に新たな研究に取りかからねばならんのじゃ! 後は勝手にやっておれ!」
「はぁ……では吾輩の一存で決めさせていただきますが、よろしいので?」
 質問に答えることなく、典細はそのままプツリと通信を切った。
 なんて失礼な態度だろう。ゲルマリオス様も怒っているんじゃないかと思ったけど、特に気にする素振りもなく、溜息をついて頭を振った。
「困ったお人だ。創造主ゆえ逆らうことはできんのだが」
 やれやれといった感じでぼやく。
 まぁ、いくら頭脳は天才でも、所詮は表の世界から追放されたマッドサイエンティストですからね。礼儀を期待する方が間違っているのでしょう。
 それより、これであたしは正式にゲルマリオス様の部下となったわけだ。これからはこの偉大な主に付き従い、ジャーククロスが世界を支配する日のために全力で戦わなくちゃいけない。
 使命感と共に沸き起こる高揚感に身を焦がし、あたしは熱い視線でゲルマリオス様を見つめた。
「ゲルマリオス様、あたしは何をすればよろしいんでしょうか? あたしの能力を最大限に活かせる役目を与えていただきたく存じます」
 早く任務に就きたいと訴えかけると、ゲルマリオス様は黙ったまま頭部の触覚を動かした。悩んでいるような雰囲気に、あたしの胸中がざわつく。
 やはり自ら洗脳したとはいえ、セイギーズだったあたしを信用できないのだろうか。裏切らない保証などないと思っているのかもしれない。
 ある意味で当然の反応だ。だからって引き下がるわけにはいかない。ここで信頼を勝ち取らなければ。
 あたしの身も心も全て、彼のためにあるのだと証明しなければいけないんだ。
「ゲルマリオス様……」
 びるような甘い声でささやく。うるませた瞳でじっと見上げ、両脚をゆっくりと開いた。女の身で戦い続けなければいけなかった日々には辛さもあったけれど、それが報われる瞬間がすぐそこまで迫っていた。
 あたしは目を伏せて腕を広げ、ゲルマリオス様の抱擁ほうようを待とうとする。
 だが、一向に彼のたくましい腕が伸びてくる気配はなかった。不審に思って見上げると、ゲルマリオス様は微動だにせず、無言のままこちらを見下ろしている。その顔からは感情を読み取ることができない。
 あたしは困惑して眉根まゆねを寄せた。これから始まるはずの蜜月みつげつを前にして、どうして何もしてくれないの。
 そこでハッと気づいた。そう言えば、この人。
「あの……ゲルマリオス様」
「うむ」
「人間の間では、あたしの様に敵対組織から寝返った女は、信頼を得るため男に体を捧げるのが通例となっておりまして……」
「昆虫は左様な習性を持ち合わせておらぬ」
 ですよねぇ。遊びで交尾する虫なんて聞いたことがない。
 でも、これだけ知能が高いんだから少しくらい興味を示してくれてもいいじゃない。ああ、性格設定もクソ真面目なんだったっけ。
「人間の感覚はよく分からん」
 ゲルマリオス様は頭を振り、溜息混じりに呟いた。
「えっとですね、要するにあたしはジャーククロスに忠誠を示すために、貴方様に全てを捧げると申しているんです。あたしをゲルマリオス様のモノにしてください。あたしにできることなら何でもしますから」
 あたしは内心の苛立ちを隠しつつ、ゲルマリオス様に詰め寄る。
「まぁ待て、吾輩は別にお前の忠誠心を疑っているわけではない。どの軍に所属させるべきか考えていただけだ」
 必死になってアピールするも、ゲルマリオス様は冷静な口調であたしを押し止めた。
「セイギピンクとしての戦闘力を鑑みれば、ゴリラ怪人軍団か、ツイフェミ怪人軍団か……」
 顎に手を当ててブツクサ呟いているゲルマリオス様。
 どっちも嫌ですけど、特に後者は絶対にお断りだ。何ですかその軍団。ギャグで言ってるんですか。確かに連中、改造せずとも素で怪人みたいなものですが。敵に回すとめちゃくちゃ鬱陶うっとうしいだろうし。いやでも、ネットが無ければ何もできない奴らに世界征服なんて無理ですよ!
「お待ちください! そんなクソ……げふん! 素晴らしい軍団も光栄ですが、あたしは是非ともゲルマリオス様の配下として働かせていただきたいのです!」
 つい本音が漏れそうになったが、どうにか言い直せた。
 あたしは胸に手を当て、真っ直ぐに目を見据える。
「何卒、あたしをムシ怪人軍団の末席に加えていただきたく存じます。ゲルマリオス様の手足となり、必ずやジャーククロスを勝利へと導いてみせましょう」
 深々と頭を下げながら訴える。
 するとゲルマリオス様は再び触角を動かし、しばらく思案するように沈黙した後、やがて小さく首肯しゅこうした。
「ふむ、確かに一人くらいは人間ベースの怪人がいた方が面白いかもしれぬ」
 あたしは思わず歓声を上げたくなったが、グッと堪えた。こんなところで浮かれてはいけない。
 居住いずまいを整え、改めて敬礼の姿勢を取る。
「ありがとうございます! それでは早速、あたしをムシ怪人に改造してください!」
「よかろう」
 即答してくださったゲルマリオス様が壁のパネルを操作すると、床が開いてジャーク・コンバータマシーンが収容された。
 続いて床だけでなく、壁までが変形し始める。ガシャガシャウィーンガッコッブシュゥーッと騒々しい音を立て、瞬く間に部屋全体が変化を遂げていった。
「ゲルマリオス様、よろしいでしょうか」
「どうした」
「何故、わざわざ部屋を変形させなければならないのでしょう?」
 あたしは不思議に思って尋ねた。何もこんな大掛かりな装置を作らずとも、それぞれ専用の部屋に移動すれば事足りそうなものだが。
「ああ……」
 ゲルマリオス様は短く嘆息し、「典細博士曰く「かっこいいからじゃ!」だそうだ」と続けた。マッドサイエンティストってアホしかいないのかしら。
「人間の感覚はよく分からん」
 再度ぼやくゲルマリオス様。お言葉ですが、一般的な人間にだって分かりませんよ。
 あたしのツッコミを他所に、変形を終えた部屋の中央には五つの巨大な繭が出現していた。どれも大人の背丈ほどのサイズがあり、床から伸びた何本もの血管のようなチューブが内部に養液を流し込んでいる。
「ジャーク・シンカマユだ。ちょうど最後の一つが空いておった故、お前に使うとしよう」
 五つの繭のうち、四つはそれぞれ赤、青、?、緑に発光し、ドクンドクンと心臓のように脈打っていた。
 残りの一つだけが灰色のまま静止しており、それがあたしの分らしい。光っているジャーク・シンカマユの動きは力強く、生命力に満ち溢れていた。
 これからあたしも、この中で新しい肉体を手に入れるんだ。
 期待と興奮が抑えきれず、あたしは自分の繭に歩み寄り、そっと手を触れると、優しく撫でた。
「よろしくね。素敵なムシ怪人にしてくれなきゃ嫌だよ?」
 返事の代わりに微かな振動を感じ取り、思わず笑みを浮かべてしまう。
 ああ、早く成虫になりたい。この子の中に潜り込んで一つになりたかった。
 繭の表面はゼリーのように柔らかく、軽く押し込むだけで指先が沈んでいく。はやる気持ちに突き動かされ、一気に繭の中へ入り込もうとした時、ゲルマリオス様が呟いた。
「そう言えば、博士はこうも仰っていたな……「ワシは体のラインが出るようぴっちりと糸で縛り上げるより、野暮ったい繭の中に薄っすらと中のシルエットが透けて見える方が好きじゃ!」……これはどういう意味なのだ?」
「恐れながら、あたしごとき常人が世界最高頭脳とも呼べる典細博士のお考えを読み解くなど到底叶わぬことです」
 早口で言い切り、ゲルマリオス様の返事を待たずに繭を抱き締めた。
 体重をかけて体をぐっと沈み込ませると、難なく繭の内部に取り込まれる。全身を圧迫する柔らかさと温もりに、自然と吐息が漏れ出した。想像していたよりもずっと心地良い。
 床から伸びてきたチューブが繭に繋がって養液を注入していく様子が、繭の表面越しにぼんやりと見えた。養液は肌を通じて染み渡り、すぐに体が芯から熱くなってくる。
 あたしは膝を抱えて背中を丸め、胎児の様な姿勢でうずくまった。
 体の内側から、あたしという存在が書き換えられていくのを感じる。
 繭全体がピンク色に輝き始めるのを目にしながら、あたしはゆっくりと意識を手放していった。

 * * *

 あたしは湾岸工業地区の片隅にあるビルの前に佇んでいた。
 時刻は夜中の二時を過ぎ、周囲に人の気配はない。月明かりすら雲に遮られた闇の中、遠くに見えるネオンの光が妙に眩しく感じられる。
 ぼんやり眺めているうち、うずうずと光に向かって飛び出したくなるが、慌てて欲求を抑え込んだ。
 まだ早い。焦っちゃだめ。
 深呼吸して心を落ち着ける。もっと上手く自分の習性をコントロールできるようにならないと。
 しかし、あいつ遅いな。呼び出したら秒ですっ飛んでくると思ったのに。
 時折、吹き抜ける風がマントを揺らし、背中にチクチクと刺激を与える。ずっと押し込めているせいで、もう我慢の限界だった。
 ストレスに悶え、その場で地面をばしばし踏む。うっかりアスファルトを砕いて穴を空けてしまった時、背後から聞き慣れた声が響いた。
「恩菜!」
 振り返れば、そこには待ち望んでいた人物が立っている。息を切らせ、肩を上下させる様子から、急いで駆けつけてくれたことは分かった。
 あたしが頭からすっぽりマントを被った格好をしてるのを気にする様子がないのは、気が焦っているせいか、暗くてよく見えていないのか。別にどうでも良かったけど。
「酷いよ、捏結。一時間も待たせるなんて」
 わざとらしく拗ねて見せると、彼は申し訳なさそうな顔になった。
「悪かったって。だけど、恩菜の方こそ今まで何やってたんだよ? 俺がどれだけ心配したか……」
 捏結の言葉を聞き流しながら、ビルの屋上へと視線を向ける。準備完了のハンドサインが返ってきたのを確認してから、あたしは彼に向き直った。
「あたしのお願い、二つとも無視したんだね」
 冷たい声で言うと、捏結は気不味げな表情になる。
 あたしが捏結を呼び出した際、付け加えた条件が二つあった。
 一つ目、「今すぐ来て」
 これは別に、遅れられたところで特に問題なし。
 肝心の二つ目、「一人で来て」
 理由はもちろん、確実に葬るため。
 単純バカの捏結なら、待ち望んでいただろうあたしからの連絡にホイホイ釣られると思ってたんだけどな。
 素早く周囲を見回す。真っ暗だけど、今のあたしには問題ない。闇に紛れて、大勢のセイギポリス隊員がこちらを取り囲んでいるのがハッキリ見えていた。
 数はおよそ五十人前後。このビルを完全に包囲し、何かあれば即座に突撃できる態勢を取っているようだ。
 捏結はバツが悪そうに目を逸らした後、小声で答えてくる。
「別に俺は誰にも言わなかったんだけど……どうも長官には気づかれていたみたいだな。帰れとも言えないし、仕方ないだろ」
「ふーん」
 さすがは影崎長官。あたしの仕組んだ罠は完全に見抜いてるみたいだね。まぁ、元から大して期待もしてなかったけど。
 いつまで待たせやがると屋上からの圧が鬱陶うっとうしいし、そろそろデビュー戦と洒落しゃれ込もうか。
 親指を立てて合図を送ると同時、屋上から強烈なライトが浴びせられた。突然の光に照らされ、セイギポリス隊員が慌てふためく。
 暗視ゴーグルとかつけてたら最悪だろうなと思いながら、あたしは背中のはねを思い切り広げた。ようやく解放できた喜びに心が弾み、笑わずにはいられない。
 邪魔なマントを吹き飛ばし、自分の本当の姿を曝け出した。
 全身を覆うピンクの体毛。特に首周りにはえり巻きのように分厚い毛が生えている。このモコモコ具合は自分でもお気に入りだ。
 お尻からは太い虫の腹部が伸び、頭にはくしみたいな形の触覚と、人間の目とは別に大きな複眼が付いていた。
 そして背中には、怪しくも美しい紋様が描かれた四枚のはねが生えている。
 その見た目は、どこからどう見ても蛾そのもの。
 あたしはジャーク・シンカマユの祝福を受け、蛾のムシ怪人として生まれ変わったのだ。
 捏結の奴、ぽかんとした間抜け面しちゃって。あはは、傑作!
「屋上に複数の敵影が!」
 セイギポリスの誰かが叫んだ。ライトの逆光で浮かび上がる、四つの異形のシルエットを見て取ったようだ。
 あたしははねを震わせ、大きく羽ばたかせると、一瞬で屋上に舞い降りた。
「お待たせ、皆」
 あたしが声を掛けると、待機していた仲間達が集合する。
 一番体の大きい一人が前に進み出て、眼下に見える捏結とセイギポリスの連中をにらめ付けた。
「愚かなるジャーククロスの敵に、死を!」
 勇ましき叫喚きょうかんに呼応し、全員で整列する。
 各々ポーズを取って名乗りをあげた。
「レッドビートル!」
 先頭はさっき叫んだばかりの彼。カブトムシの怪人にして、あたし達のリーダーだ。
 真紅の体は鋼のように頑強で、頭部にはカブトムシの象徴たる一本角が雄々しく伸びている。ゲルマリオス様をもしのぐ体格も相まって、まるで甲冑を纏った騎士のような風格があった。
「ブルースパイダー!」
 続いて声高に名乗ったのが、青い体をしたクモの怪人。
 ずんぐり気味で丸っこく、肩と脇からそれぞれ左右に一本ずつ、合計六本の腕を持っている。正確に言うならクモは昆虫じゃないんだけど、例によって典細博士が「クモの怪人を外せるものか!」と謎の主張を譲らなかったらしい。
「グリーンバッタ!」
 次は緑色の体をしたバッタの怪人だ。
 スラッとしていてあまり重量感は無いけど、その脚力は凄まじい。このビルだって、彼ならばはねを使わず跳躍だけで屋上に登れてしまうだろう。あと、なんか自分の名前に多大な不満を抱いているようだ。
「イエローワスプ!」
 黄色い体をしたハチの怪人が声を張る。
 あたしと同じで女だから、他の三人より体つきはずっと細い。それでも体から分泌される猛毒はあたし達の中で最強を誇る。お尻から虫の腹部が生えているのもあたしと一緒だ。ハチミツをたっぷり混ぜた劇甘カレーが大好物だったりする。
「ピンクモス!」
 最後にあたし。あたしはもうセイギピンクでも、桃瀬恩菜でもない。
 あたしの名はピンクモス。
 偉大なるジャーククロスと主君ゲルマリオス様に忠誠を誓った、悪の怪人なのだ。
 あたし達は並び立ち、揃って胸の前に腕を構えた。腰を落としてしゃがみ込むと同時に叫ぶ。
「「「「「怪人戦隊! ムシレンジャー!」」」」」
 スペシャルファイティングポーズを決め、背後で五色の爆煙が盛大に噴きあがる。
 これが我らムシレンジャーと、セイギポリスの決戦の始まりを告げる狼煙のろしとなった。
「撃てっ! 撃てぇえーいっ!」
 号令が飛ぶや否や、無数の銃口が一斉に火を吹いた。すかさずレッドビートルが両手を広げて前に出る。
「ビートル・バリケード!」
 彼の体が赤い輝きに包まれたかと思うと、周囲に光の障壁が発生した。銃弾は全て弾き返され、あたし達に届く前に全てビルの外へ落ちる。
 説明しよう!
 我々ムシレンジャーはベースとなった昆虫の特性にジャークストーンのパワーを加えることにより、様々な特殊能力を発揮することができるのだ!
 これこそ、Power of Half-inch Soul!
 略してPHS、ピッチ能力である!
 そしてレッドビートルのピッチ能力「ビートル・バリケード」は、カブトムシの頑強な外骨格のごときバリアを展開してあらゆる攻撃を跳ね返すというものだ。
 まぁ、あたし達は怪人だから、普通の銃弾なんて生身でも余裕で耐えられる。だから今の技は防御のためじゃなく、敵の勢いを削ぐためのものだ。
 実際、セイギポリスの連中は銃撃が全く通じないと見て、明らかに動揺している。
「行くぞォ!」
 レッドビートルが叫び、あたし達は一斉に飛び降りる。
 先陣を切ったのはグリーンバッタだ。ビルの外壁を駆け下り、一番近いセイギポリスの隊員に向かって襲い掛かる。
 相手は慌てて盾を構えようとしたけれど、遅い。ダッシュの勢いをそのまま乗せたグリーンバッタの蹴りに盾ごと吹っ飛ばされ、壁に叩き付けられた。
 ずるずると地面へ崩れ落ち、動かなくなる。間違いなくあばらは折れてるね。下手すりゃ内臓破裂かも。
 周囲の隊員達が銃口を向けるが、引き金を引く前に次々と蹴散らされていく。五、六人ほど瞬殺されてからようやく発砲してくるも、グリーンバッタはヒラリと跳び上がって弾丸を回避し、壁蹴りでさらに上空へと跳ね上がった。
 空中で背中のはねを大きく広げ、急降下して強烈なキックを叩きつける。頭からアスファルトにめり込んだ隊員は脳漿のうしょうをぶち撒け、呆気なく絶命していた。
「くそっ! 距離を取れ!」
 誰かが叫んだ。それを聞いた隊員達が弾かれたようにその場から離れ……ようとしたようだけど、すぐに全員の動きが止まる。
 不自然な体勢で硬直したまま、糸で吊られた人形みたいにもがき始めた。
 いや、実際に吊るされているのだ。隊員達の頭上のビル壁に潜むブルースパイダーが、指先から出したクモ糸で彼らを縛りあげている。
 何とか逃れようと懸命にあがいているようだけど、拘束から逃れることは不可能だ。ちょっと武装した程度の人間に引きちぎれるような代物じゃない。
 ブルースパイダーが六本の腕をブンッと大きく振り回すと、縛られていた隊員達の体が次々と吊り上げられる。クモ糸は奴らの首にまで食い込んでいて、宙吊りの状態で手足をバタつかせることしかできない。
 しばらくもがいてたけど、やがて一人残らず、ぐったりと力を失って垂れ下がった。やあ、首吊りだ。ガハハ。
 あっという間に十人以上が殺され、さすがにひるんだのか、セイギポリス部隊には明らかな乱れが生じていた。
「こいつら、今までの怪人と全然違うぞ!」
 悲鳴じみた声が聞こえてくる。正直、無理もないだろう。奴らの言う通り、今までのマッチョ怪人軍団ならセイギポリスでも十分戦えたのだ。
 と言うか、そもそもあの連中はまともに世界征服する気があるのか疑わしいアホな作戦ばかり仕掛けてきた。
 街中のゴミ箱をひっくり返したり、ウーバーイーツで嘘の注文をしまくったり、子供を集めてクソ不味い&クソ音痴なディナーショウを開いたりと、ほとんど小学生レベルの悪戯ばっかりだった。改造手術の影響で脳味噌まで筋肉になってしまったんだろうか。
 おかげでセイギポリスも何か問題が起きればとにかくジャーククロスの仕業にしていたし、実際その通りだった。真面目に任務を遂行しようとしたのはクヤジィサ将軍くらいで、今にして思えば、彼が十二神将最弱と嘲笑あざわらわれたのは部下に対するストレスで弱体化したせいかもしれない。
ひるむな! 撃ち続けろーっ!」
 また別の男から号令が飛んだ。正義を守るという使命感が、あたし達への恐怖心を凌駕したようだ。
 だが銃撃の再開より早く、今度はイエローワスプが飛び出す。けたたましい羽音を立てながら一瞬で間合いを詰めると、その勢いのまま鋭い爪を突き立てた。
 プロテクターの隙間を狙って的確に切り裂いていく。ただしグリーンバッタやブルースパイダーと違い、イエローワスプの攻撃は相手の表皮を軽く傷つける程度に留まっていた。
「こんなかすり傷などで!」
 隊員達が叫んで銃を構える。しかし次の瞬間、奴らの体が激しく痙攣けいれんし始めた。白目を剥き、口から泡を吹きながら、バタバタと無様に倒れ込む。
 イエローワスプの猛毒によるものだ。彼女の手の爪は毒針としても機能しており、引っかれただけで即効性の致死毒を流し込まれることになる。
 三人が一方的にセイギポリスを殲滅している中、不意にエンジン音を響かせて一台の装甲車が突っ込んできた。
 どうやら生身では勝ち目がないと理解したらしく、車両で突撃するつもりらしい。悪くない判断だけど、結局無駄だ。
 レッドビートルが素早く装甲車の前へと回り込む。彼は絵に描いたような大型パワーファイターなのだが、スピードも並外れている。
 運転席の隊員が慌ててハンドルを切るが、もう遅い。レッドビートルは装甲車に体当りすると、そのまま車体を持ち上げた。装甲車の重量など意に介さず、軽々とぶん投げる。
 投げ飛ばされた車は地面に激突して大爆発を起こした。周囲のセイギポリスが巻き込まれて吹き飛んでいるのが見える。
 皆、初陣だから張り切ってるね。この分じゃ、あたしの出番はないかなぁ。
「恩菜!」
 屋上の端に腰掛けて高みの見物と洒落込んでいると、突然後ろから呼びかけられた。
 振り向くまでもなく声で分かる。捏結だ。
「んー? どったの?」
 あたしはいつも通りの笑顔で振り返る。
 視線の先の捏結は怒りながら泣いているような変な顔をしていて、思わず噴いてしまった。
「どういうことだ、恩菜! どうしてお前がジャーククロスの怪人なんだ!」
 捏結は笑われたことを気にする様子もなく、感情に任せたまま問いただしてきた。
 あたしは立ち上がり、ムシ怪人の体を見せびらかすように両手を広げる。
「あたしは生まれ変わったんだよ。どう? この姿。最高に可愛いでしょ」
 その場でくるりと回り、蛾の腹部をフリフリと動かしてみせる。
 我ながらキュートでプリティな仕草だと思うんだけど、捏結にはウケなかったようで、余計に険しい表情になってしまった。残念だ。
「改造……されちまったのか。くそっ、なんでこんなことに!」
 悔しそうに歯噛みしながら、捏結はうつむいた。
 しかし、すぐに顔を上げると右手のセイギデバイスに左手を添えて構えを取る。
「セイギ・インストール!」
 叫びと共に、彼の全身が赤くまばゆい輝きに包まれた。
 光が収まると、赤いスーツとマスクに身を包んだ戦士が姿を現す。
「燃え盛る正義の炎! セイギレッド!」
 変身して名乗りを上げると、捏結は拳を握り締め、力強く前へ足を踏み出した。
「ふぅん、あたしと戦うつもりなんだ? 捏結……ううん、セイギレッド」
「俺は必ずお前を取り戻す! 待ってろ、恩菜!」
 セイギソードを振り上げ、一気に攻めかかってくる。
 あたしははねを広げて飛び上がると、空中から鱗粉を撒き散らした。濃いピンク色の霧のような物質が辺り一面に降り注ぐ。
目眩めくらましのつもりか? こんなもので!」
 セイギレッドは臆することなく斬りかかる。
 だがその時、セイギソードのエネルギーブレードがグニャリと揺らいだ。
「何っ!?」
 この鱗粉にはセイギーズの力の源である、セイギストーンのエネルギーを吸収、分散させる効果がある。あたしは他の四人の様に通常の戦闘力が高くない分、対セイギーズに特化した能力を与えられていた。
 エネルギーを奪われたことでセイギソードは刃を失い、ただの棒切れになってしまう。セイギレッドは慌てて距離を取ると、セイギソードをセイギガンに組み替えて連射してきたが、そのエネルギー弾も鱗粉によって拡散させられた。
 セイギレッドが無意味な攻撃を続ける間、あたしは更に鱗粉の散布量を増やす。濃さを増したピンクのベールはセイギレッドの姿をほぼ完全に覆い隠した。
「くそ……毒か!?」
 セイギレッドの声が苦しげに震えている。腕を振って鱗粉を吹き飛ばそうとしているようだが、そんなものじゃ悪あがきにもなりゃしない。
「蛾の鱗粉に毒は無いよ」
「え……でも、ゲームとかじゃ大抵、蝶や蛾のモンスターは毒を持ってるぞ」
「あくまで創作された設定だね」
「ど、毒蛾ってのもいるじゃないか!」
「あれは体毛が毒針になってるだけ」
「な、なんだってー!?」
 昆虫の雑学にセイギレッドが愕然がくぜんとした声を出す。そんなショック受けることかなぁ。
 まぁでも、あたしは本物の蛾じゃなくて怪人だから、攻撃に使える別の性質を鱗粉に備えている。今まさに、それが発動しようとしていた。
 あたしは触覚を擦り合わせ、高周波の音波を発生させる。この音波がスイッチとなり、セイギレッドを包み込んだ鱗粉が爆発を起こした。あたしの鱗粉は爆薬の役目を果たすのだ。
「うわあああっ!」
 轟音が鳴り響き、セイギレッドが吹き飛ばされる。ビルの屋上から落下していく彼を追って、あたしも飛び降りた。
 セイギレッドは体を回転させて受け身を取り、地面を転がると素早く起き上がる。
 うーん、やっぱり威力が弱いね。この程度の爆発じゃセイギスーツの装甲を破壊することは出来ない。
 と言って、鱗粉の量を増やし過ぎれば、あたし自身も巻き添えでダメージを受けてしまう。加減が難しいところだ。
 セイギレッドはセイギガンを収納し、拳を構えて地面を蹴る。エネルギー武器は使えないと見抜き、肉弾戦に持ち込むことにしたらしい。
 確かに正面からの殴り合いなら、あたしの方が不利だろう。だけどね。
 あたしにパンチが当たる直前で、セイギレッドが咄嗟に横へと飛ぶ。直後、彼の立っていた場所にグリーンバッタの急降下キックが突き刺さった。
 セイギレッドは側方転回で体勢を整え、グリーンバッタにセイギガンを向ける。しかし、伸ばした右腕が不自然に真上へ跳ね上がった。ブルースパイダーの糸に腕が絡め取られたせいだ。そのまま振り回され、空中に放り投げられる。
 投げ飛ばされた先には、根本からへし折った電柱を持ったレッドビートルが待ち構えていた。体をねじり、電柱をフルスイング。苦痛の叫びを上げて、セイギレッドは地面に叩きつけられた。
 すかさずイエローワスプが飛びかかり、確殺の一撃を見舞うべくセイギレッドの首筋を狙う。セイギレッドはセイギソードの刃を全開にして、辛うじてイエローワスプの攻撃を防いだ。イエローワスプは舌打ちすると、後方に飛び退いた。
 あたしの周りにムシレンジャーの皆が勢揃いする。既にセイギポリス隊員は全滅していた。
 あたしは一人じゃない。例えあたしが弱くても、五人が力を合わせれば負けるはずがない。
「一人の相手に五人がかりだと! そこまで堕ちたか、セイギピンク!」
「ふん! あんたにそのセリフを言う資格はないっての!」
 胸を張って人差し指を突き付ける。
「いやお前だって同類だろ」
 煩いよ、ブルースパイダー。
「残りのセイギーズが増援に現れたら厄介だ。一気にケリをつける!」
 レッドビートルの言葉を受け、全員が横一列で構えを取った。
「ピンクモス! ムシレンジャーストームだ!」
 オーケー! と即答したいところだったけれど、少し躊躇とまどってしまう。だってこれ、あたしだけ恥ずかしいんだもん。
 だけど、モタモタしてられないのも事実だし、仕方ない。あたしは蛾の腹部に手を添え、大きく息を吸い込んだ。
「んん……っ!」
 お腹の底に力を溜めると、熱い塊が身体の奥から込みあげてくる。その塊は徐々に大きく膨らみ、熱を持って腹部の中を進んでいく。あたしは息を荒くして身を捩らせた。
「ふぅうっ、んうっ、くうっ……」
「あいつガン見してるぞ」
「これも生き物のサガか……」
 黙れ外野。覚悟しろ捏結。
「んっ、はあぁっ!」
 限界まで熱さが膨れ上がったところで蛾の腹部の先端がクパァと開き、そこから人間の頭部ほどの大きさをした楕円形の卵が吐き出される。産み落とす瞬間はちょっと気持ち良かった。
 呼吸を整えながら、あたしは両手に卵を抱えて皆の方を振り返る。そしてビシッと宣言した。
「ムシレンジャーストーム! 行くわよっ!」
 あたしの号令に合わせて、全員が一斉に駆け出す。レッドビートルはThe ◯avesを歌いながらカ◯ダンスを踊り始めた。
 卵にジャークストーンのエネルギーを送り込むと、卵はピンク色に発光しながら脈動を始める。それを高く掲げ、はねで空中へ舞い上げた。
「イエローワスプ!」
「任せんしゃい!」
 空中高くに跳び上がった卵にイエローワスプが追いつき、ヘディングで叩き落とす。同時に卵は黄色の光を放ち始めた。
「グリーンバッタ!」
「オーケィ!」
 グリーンバッタが卵の落下地点を目指して走る。ジャンプし、全力のシュートを放った。緑色の光に包まれた卵が弾丸のような速度で撃ち出される。
「ブルースパイダー!」
「オーライ!」
 広げた六本の腕の間にクモ糸ネットを張ったブルースパイダーが、飛んできた卵のスピードを殺さず受け流し、弾き飛ばす。ネットの中で卵の光は青く変わった。
「レッドビートル!」
「ムシレンジャーストーム! フィニッシュ!」
 両腕を大きく広げて高々と跳び、空中で回転するレッドビートル。
 よくあの図体であれだけ身軽に動けるものだと思うけど、中世の全身甲冑騎士も宙返りとか出来たらしいから、別に不思議でもないのかな。
 レッドビートルは回転の勢いを乗せ、頭部の角で卵をかっ飛ばした。真っ赤なエネルギーをまとって、卵は一直線にセイギレッドへと向かう。
 顔面に命中すると同時、卵は爆散した。まぶしい閃光と共に爆風が辺り一面を吹き荒れる。
「ぐわあああっ!」
 悲鳴を上げて吹き飛ばされるセイギレッド。
 爆発の衝撃で変身が解け、手足を振り回しながら紙くずみたいに空を舞い、夜の海へと落ちていった。海面に大きな水飛沫みずしぶきが上がる。
「やったか!?」
「あの爆発だ。生きてはいまい……」
 ハイタッチを交わすあたし達。ムシレンジャーは見事、初陣を勝利で飾ったのだ。
 その時、空の向こうからプロペラの飛行音が迫ってきた。
 上空に視線を向けると、セイギポリスの武装ヘリコプター、セイギガンシップが複数機、こちらに飛んできているのが見える。
「レッドビートル、あれには多分セイギーズが乗ってる」
「うむ、今回の作戦はここまでだ。撤収する!」
 あたし達は各々はねを羽ばたかせ、雲に覆われた夜空へと飛び立った。

 * * *

 高度一万メートルの上空に浮かぶ、巨大なスカラベ型の飛行戦艦。
 これこそは我々ムシ怪人軍団の前線基地にして本拠地、スカラヴェンジャー号である。最後方にくっついている球形の物体はもちろん糞玉ではなく、ゲルマリオス様の細胞からローチ兵を培養するバイオプラントポッドだ。
 スカラヴェンジャー号に帰還したあたし達はゲルマリオス様の前にひざまずき、先刻の戦闘の報告をしていた。
「よくやった。総統閣下も大変お喜びになるだろう」
 ゲルマリオス様が満足げにそう言った。その言葉を聞き、あたし達は揃って頭を下げる。
「恐れながら、ゲルマリオス様。このピンクモスに次なる作戦の提案がございます」
 あたしは姿勢を伸ばし、進言を行う。
「申してみよ」
「はっ! まずはセイギーズおよびセイギポリスの殲滅が最優先と考えます。あたしには攻撃目標に関する全ての情報があります。奴らが対策を取る前に総攻撃を仕掛けるべきかと!」
 あたしは顔を上げ、真っ直ぐにゲルマリオス様を見据えた。
 その視線を正面から受け止め、ゲルマリオス様はゆっくりと口を開く。
「うむ……それについては吾輩も総統閣下にお伺いを立てたのだが、残念ながら却下された」
「なぜでしょうか?」
 あたしは首を傾げた。
 ジャーククロスにとってセイギーズは最大の障害のはずなのに、どうして却下されるのだ。奴らがセイギベースを移転させる前に叩き潰すべきじゃないのか。
「恐らく、セイギーズを大した脅威とは認識していないのだろう」
 まぁ、所詮はたかが五人……いや、今は四人の相手だ。セイギポリスにしたって組織力はジャーククロスと比べ物にならないし、スルーするというのも分からなくはないけれど。
「しばらくは破壊活動と資金集めに専念せよとの命令だ。不満はあるだろうが、よろしく頼む」
「「「「「ジャークッ!」」」」」
 全員で立ち上がり、ジャーク敬礼を行った。

 * * *

 それから、ムシレンジャーは各地で悪の限りをつくす日々を送った。
 銀行を襲い、宝石店に押し入り、盗んだバイクで走り出す。ありとあらゆる犯罪行為を働き、ジャーククロスへの恐怖心を世間に植えつけていく。
 敵らしい敵は存在しなかった。セイギポリスは相手にならず、セイギーズは現れない。あたしが抜け、捏結が死に、三人になった戦力ではムシ怪人軍団に対抗できないと悟ったのだろうか。
 欲望のおもむくままに暴虐を繰り返すことが楽しくて仕方がない。悪事は気持ち良い。どうして今まで、正義だなんて妄執もうしゅうに囚われていたのだろう。こんなにも素晴らしいことなら、もっと早くに知りたかった。
 あたしを洗脳してくださったゲルマリオス様には感謝しかない。
「よぉし! 連続ストライクだ!」
 ある日の昼下がり、あたし達はハイウェイでボウリング大会を開いていた。ピンは道路を走っていた自動車、ボールはその辺のコンクリートを適当な大きさに砕いて作ったものだ。
 投げられたボールが次々と車を砕き、「バキィ!」「ボコォ!」と小気味よい音を響かせる。ぶっちゃけ、力任せにぶん投げたコンクリートで自動車をただぶっ壊しているだけであり、ボウリングのルールなんてまるで無視しているのだが、面白いので気にしていない。ストライクだって雰囲気で言ってるだけだ。
 スコア(これもノリ)一位はレッドビートル。一投で車体を軽々と突き破り、爆発炎上させていく。二位はグリーンバッタ。ただしボールは蹴っ飛ばしている。
 三位以下は似たようなもので、ブルースパイダーは既に飽きてしまい、焼け焦げた自動車に座ってあやとりの研究にいそしんでいた。こいつの趣味は今ひとつ分からない。
「完成だ! 長い間、工夫を重ねて発明した新しいあやとり……「踊るチョウ」と名付けよう!」
 なんだそりゃ。あたしへの当てつけか?
 三十本の指の間で複雑怪奇に絡み合う糸を見て、肩をすくめた。
「ねー、ピンクモス」
 呼ばれて振り向くと、イエローワスプがハチミツ飴を舐めながらこちらを見つめている。
「何?」
「向こうに見えるタワマン、こないだのゲームみたいに崩したいんだけどさぁ」
 こないだのゲーム……ああ、ジェンガのことかな。
 彼女は精神年齢が低いと言うか、子供っぽいところがあった。このボウリング大会だって彼女が言い出しっぺなのだ。
「さすがに無理でしょ。あれ結構デカいし」
 また無茶なことを言い出してくれる。
「ムシレンジャーストームで吹っ飛ばせば楽勝だよ! ほら、卵産んで!」
「嫌よ。必要も無いのにあんな恥ずかしい真似したくない」
 産卵の感覚は自分で慰める時と似ているから、どうしても変な気分になってしまうのだ。
 あたしは腕を組んでそっぽを向いた。
 イエローワスプは飴を口の中で転がしながら頬を膨らませる。
「いいじゃん別に。他に誰も見てないし」
「それでもイヤ」
「ぶぅ~、ケチぃ」
「じゃ、あんたが産みなさいよ。あんたもメスなんだから」
「アタイ、働きバチだもん」
「寄生バチも混じってるでしょ」
 実際、イエローワスプのピッチ能力は生物の体内に卵を寄生させ、ムシソルジャーを生み出すことができるものだ。ただ、ムシソルジャーは宿主のチェストをブレイクして体外に出てくるので、今まで使ったことはない。だってグロいじゃん。
 とその時、ハイウェイに爆音が響き渡る。何事かと視線を向けると、大型タンクローリーが炎上していた。
「しまった……狙わないでおこうと思ってたのに、ついテンション上がって……」
 どうやらコンクリートのボールでは物足りなくなってきたらしく、レッドビートルは自動車同士を衝突させて遊んでいたようだ。
 それで夢中になるあまり、ガソリン満載の危険物を爆発させてしまったと。
「ピンクモス! 風起こしで炎を消してくれ!」
「無理に決まってるでしょ! それに鱗粉が飛んだら余計に燃えるわよ!」
 うわ、爆発の衝撃で道路にヒビが入ってきた。完全崩壊するのは時間の問題だろう。
「全員退避ーっ!」
 レッドビートルが叫び、あたし達ははねを広げて空へ飛び立った。
 その直後、ハイウェイが崩れ落ちる。空中に浮かんだまま下を見ると、崩壊した道路の瓦礫がれきと燃え盛る自動車の残骸で大惨事となっていた。
 今回の作戦は現金輸送車の強奪だったのだが、せっかく確保した輸送車は肝心の現金もろとも炎に包まれてしまった。任務失敗だ。ゲルマリオス様に叱られなきゃいいけど。
 憂鬱になりながらも、皆で一緒にこんな馬鹿騒ぎをするのも悪くないかと思えてくる。
 あたし達は顔を見合わせ、思い切り笑いながらスカラヴェンジャー号へと戻っていった。

 * * *

 あ。
 ブルースパイダー忘れてきた。

 * * *

 セイギーズに動きが無いまま半年が過ぎようとしていた。
 あたし達は相変わらず悪行三昧の日々を送っていて、世の中はどんどん混乱しているらしい。SNSのトレンド上位にはジャーククロスの名前ばかりが並んでいるのだと、イエローワスプがはしゃいでいた。
 彼女はハチミツを使った料理やお菓子のレシピの公開で、多数のフォロワーを獲得しているのだ。どうせならジャーククロスの華々しい活躍を紹介してもらいたいものだが、「垢バンされるに決まってんじゃん」と一蹴されてしまった。ちくしょう。
 そんなある日、ゲルマリオス様より新たな任務が言い渡された。
 直ちに目標ポイントへと向かい、意気揚々と作戦を開始したあたし達だったのだが。
「なぁ、どーするよコレ」
 ブルースパイダーが目の前に広がる光景を見て顔をしかめる。
「……聞かれても、困る」
「わーい、おイモ焼けたぁ」
 デカい体を縮めて頭を抱えるレッドビートルを尻目に、イエローワスプは焼き芋(ハチミツソースがけ)にかぶりついていた。
 ここは世界最大のネット通販会社「チグリス・ユーフラテス社」の物流センターだ。センターを占拠し、物資を奪うことが今回のミッションである。
「しっかし景気よく燃えてんな、おい」
 グリーンバッタが溜息混じりに言う通り、センターは一面火の海と化していた。巨大な倉庫のあちこちで火柱が上がり、爆発音と共に鉄屑の破片が宙を舞う。
 こりゃもうダメだなと、レッドビートルに撤収を提案しようとしたところで、ヘリの接近する音が聞こえてきた。
 見上げると、黒煙の向こうからセイギガンシップが現れた。
「そこまでだ! ジャーククロス!」
 聞き覚えのある声に目を凝らすと、開け放たれたキャビンドアの中に、赤いジャケットを着たツンツン頭の男の姿が見える。
 捏結……まさか、生きていたの!?
「ほぅ、ムシレンジャーストームの爆発を生き延びるとはな」
「よくやく正義の味方のお出ましか。待ちくたびれたぞ」
 レッドビートルはニヤリと笑みを浮かべた。ブルースパイダーも指をゴキゴキと鳴らし、戦闘態勢を取る。
 予想外の捏結の生存につい動揺してしまったが、焦る必要はなかった。
 こちらは五人、向こうは四人。しかも手の内を全て知っている相手なのだ。圧倒的に有利な立場であることに変わりはない。
「あれぇ? 何か増えてない?」
 イエローワスプが小首をかしげる。
 彼女の言葉に改めてセイギガンシップを確認すると、捏結の後ろには青山、黄原、緑野……そして最後にもう一人、白を基調にした服を着た、髪の長い女がいた。
 新しいセイギーズ!
 第六のセイギストーンと、その適合者が現れたというのか!
「とおっ!」
 捏結がセイギガンシップから飛び降り、後の四人も続く。
「「「「「セイギ・インストール!」」」」
 空中で五色の閃光が弾けると、セイギスーツを装着した戦士達が着地した。
「燃え盛る正義の炎! セイギレッド!」
「湧き流す正義の波! セイギブルー!」
「揺れ砕く正義の岩! セイギイエロー!」
「吹き荒ぶ正義の嵐! セイギグリーン!」
「輝き照らす正義の光! セイギシルバー!」
 各々の名乗りを終え、彼らは一斉にポーズを決めた。
「気高き正義の魂を信じて! セイギーズ見参!」」」」」
 セイギレッドを中心に横並びになったセイギーズが、拳を突き上げ叫んだ。
 あのセイギシルバーとかいう女があたしの代わりって訳ね。
 ふんっ、せいぜい頑張りなさい。
「しゃらくさいわ! ローチ兵、やれぃ!」
「ジーッ!(×たくさん)」
 レッドビートルの命令に従い、ローチ兵達がセイギーズに向かっていく。
 対する奴らは臆することなく立ち向かった。
「皆! スーパーセイギモードだ!」
 セイギレッドの声に応えて他の四人が「了解!」と返事をし、胸の前で両腕を交差させる。
 スーパーセイギモードだって?
 知らないよ、そんなの。それに奴らは右腕のセイギデバイスだけじゃなく、左腕にもセイギーズのエンブレムが描かれた腕輪をしていた。
 どうやらこの半年間で、セイギーズはより強力なパワーアップを果たしたようだ。
「「「「「スーパーセイギ・アップデート!」」」」」
 五人の体が再び閃光に包まれ、セイギスーツの上から新たなプロテクターが装着されていく。胸や腰回りだけでなく、肩や膝など全身が強固に覆われ、マスクの額にはそれぞれのエネルギーシンボルを模したパーツが追加された。
「スーパーセイギアームズ・デコンプレッション!」
 セイギデバイスから光の粒子が噴き出し、彼らの手の中へと集束していく。粒子は次第に形を成し、五つの武器となって実体化した。
「「「「「セイギーズ・スーパーセイギモード!」」」」」
 新しい武器を構え、再び叫ぶ。
 まるで勝利は決まったと言わんばかりの自信に満ちた態度に苛立いらだちが抑えられない。
 何なのあいつら。調子に乗りやがって。
「ローチ兵! ぶっ殺して!」
「ジーッ!(×たくさん)」
 大量のゴキブリ戦闘員が突進する。最初に迎え撃ったのはセイギイエローだ。
「セイギメイス! うぉりゃああああっ!」
 巨大な鉄柱を振り回し、迫るローチ兵を次々にぎ倒してゆく。一撃ごとに大地が揺れ、衝撃で周囲の瓦礫がれきが舞い上がった。
 丸太にも等しいそれはどう見ても棍棒と呼べる代物ではないのだが、本人はあくまでメイスと言い張るつもりらしい。
「セイギトンファー!」
 続いて飛び出したセイギブルーが両手に持ったトンファーを回転させ、群がるローチ兵を殴りつける。渦巻く水流が敵を巻き込み、次々と打ち倒してゆく。
「セイギカッター!」
「セイギボウ!」
 セイギグリーンとセイギシルバーは離れた場所から遠距離攻撃を放つ。
 セイギカッターは直径一メートル近い円盤状のジャイアントカッター、セイギボウは長さが二メートルほどのロングボウのようだ。
それぞれ旋風と光線を放ち、ローチ兵を斬り裂き、撃ち抜いていった。
「セイギサーベル! たぁああーっ!」
 セイギレッドは両手持ちの大剣を構え、ローチ兵の群れに飛び込んでいく。剣身が紅蓮ぐれんの炎を纏い、振り下ろされた刃が空中に赤い軌跡を描いた。
「セイギ剣法! 天誅てんちゅう一文字斬り!」
 炎を撒き散らしながら大上段から切り下ろす。たったの一太刀だが、その威力は凄まじく、数体のローチ兵がまとめて吹っ飛んだ。
「ぬうっ! ローチ兵では相手にならんか! 下がれぃ!」
 レッドビートルの指示を受け、ローチ兵は後退していった。いくらでも増やせる駒とはいえ、無駄死にさせてはゲルマリオス様のお怒りを買ってしまう。
 あたし達は顔を見合わせて全員でうなずき、セイギーズ達を見据えた。
「「「「「怪人戦隊ムシレンジャー出動!」」」」」
 全員でスペシャルファイティングポーズを取り、気合いを入れる。
 ムシ怪人軍団の誇りにかけて負けるわけにはいかない。互いに横一列で整列し、正面からにらみ合った。
「ジャーククロス! 現代社会を支えるため日夜汗水を垂らし働く物流業界の人々に対する非道なる行為! 絶対に許さん!」
 セイギレッドが叫び、拳を握る。火災のことを言ってるんだろうけど。
「いや、アレやったの俺等じゃねぇよ」
 グリーンバッタが呟いた。
 これは本当だ。あたし達を快楽殺人者か何かと勘違いしてもらっては困る。こちとら組織の利益のために働く真面目なサラリー怪人なのだ。
 あたし達の行動は物流センターに侵入した後、チグリス・ユーフラテシアン(正社員の通称)を数人捕まえて、作戦の邪魔をしないよう縛っただけだ。
 そうして、いざ物資を運び出そうとしたところで、物流センター従業員の九割以上を占める派遣社員の連中が突然暴れ出し、身動きの取れないチグリス・ユーフラテシアンを集団リンチするわ、倉庫の中をめちゃくちゃにするわで収拾がつかなくなったのだ。挙句の果てに誰かが火を付けたらしく、物流センターは火の海に呑まれてしまったという次第である。
 狂気に支配された表情で暴れ回る派遣社員達の姿には、怪人であるあたし達ですらドン引きしてしまった。
 これが世に聞く、ブラック企業の闇というやつなのだろうか。あんな風になるくらいなら、悪に魂を売ってジャーククロスの配下になった方がマシだとさえ思えた。
「天をも恐れぬ悪行の数々! 今こそ正義の裁きを受けるがいい!」
 あ、聞いてないなこれ。
 まぁいいか、どのみち戦うつもりだったわけだし。
 本当にバカな捏結。せっかく生き延びられたんだから、そのまま静かに暮らせばよかったものを。今度こそ地獄に送ってあげるよ。
「どおおーっ!」
 掛け声と共にセイギイエローが突撃する。セイギメイスを振り上げ、一気に叩き潰そうとしていた。
「だああーっ!」
 応えるようにレッドビートルが頭部の角を突き出して駆け出していく。
 両者が激突した瞬間、大型トラックが正面衝突でも起こしたかのような轟音が響き渡った。衝撃波が地面を揺るがし、巻き上げられた土煙が周囲を覆い隠す。
「ぬぬっ……! やるな痩せ人間!」
「お前もな……! この蟲野郎!」
 二人のパワーは互角のようで、両者は一歩たりとも引かない。全力を込めて武器を押し合う二人を中心に、地面に亀裂が入り始めた。
 威力は凄まじいが、このままじゃ膠着こうちゃく状態だ。状況を打破するべく、グリーンバッタがはねを広げて跳び上がる。急降下キックを浴びせようとしたその時、素早く割り込んだ影があった。
「うぉりゃあっ!」
 セイギブルーがセイギトンファーを高速回転させ、グリーンバッタのキックを弾き返した。
「ちぃっ!」
 空中でバランスを崩したグリーンバッタが舌打ちをする。信じられない。グリーンバッタの必殺技が防がれるなんて。
 セイギブルーはこの機を逃さず、距離を詰め、セイギトンファーの連続攻撃を叩き込んだ。グリーンバッタは後退しながら蹴り技で応戦するが、再び跳び上がる隙を与えてもらえないようだった。
 援護しようとイエローワスプが空へ飛ぶ。だがそれを見越していたのか、行く手を阻むようにセイギカッターが投げつけられた。イエローワスプは慌ててかわしたが、セイギカッターは軌道を変え、再び彼女を狙う。
 どうやら自動追尾機能が付いているか、セイギグリーンが自在に操作できるらしい。イエローワスプの毒を警戒し、遠くから一方的に攻めようという算段だろう。姑息こそくだが効果的、セイギグリーンらしい戦法と言える。
 ブルースパイダーも同様だった。高速で無数に打ち込まれる光の矢を、六本の腕で必死にさばき続けている。クモ糸で矢を捕らえるのは困難だし、貫かれてしまえば致命傷は免れないだろう。変幻自在、攻守万能のブルースパイダーの能力は封じられてしまっていた。
 つたない。セイギーズの奴ら、完全にあたし達に対応した戦術を編み出している。
 こちらの攻撃パターンと弱点を的確に見抜き、最も有効な方法で攻め立てているのだ。手の内が丸裸なのは、あたし達の方だったということなのか。
「恩菜ぁっ!」
 間近で響いた声にハッとして視線を向けると、セイギレッドが目の前まで迫っていた。セイギサーベルを構えて飛びかかってくる。咄嗟とっさに飛び上がって鱗粉をばら撒いたが、セイギレッドは構わず突っ込み、セイギサーベルの刃に炎を纏わせた。
 ちょ! どこまでバカなのあんた!
 あたしの鱗粉を浴びた状態で火なんか使ったら……!
「ぐああっ!」
「きゃうっ!」
 案の定、引火した鱗粉が爆発を起こし、あたしをも巻き込んでセイギレッドを爆炎の中に呑み込む。炎を吹き飛ばそうとはねを広げた時、炎を突っ切ってセイギレッドが斬り込んできた。
 こいつ、捨て身で!?
 確かに鱗粉を無効化できるけど、普通そんなこと考える!?
 これだから熱血バカって嫌いなのよ!
「セイギ剣法! 天誅てんちゅう一文字斬り!」
 燃え盛る紅蓮ぐれんの斬撃が迫りくる。あたしは破れかぶれで出せる限りの鱗粉を放出した。
 先程以上の爆発が巻き起こる。全身を焼かれる痛みにもだえながら、どうにかセイギレッドを振り切って、空高く舞い上がった。
 地上を見下ろすと、ムシレンジャーの皆がセイギーズに苦戦しているのが見える。
「皆! バラバラじゃ各個撃破される! 集合して!」
 叫ぶと同時に地面へと降りる。すぐに皆が集まってきた。
 いや、レッドビートルがいない……まさか!?
「認めるよ……君は本物の戦士(おとこ)だ……」
「強敵(とも)と……呼ばせてもらおう……」
 背後で聞こえた声に振り返ると、レッドビートルとセイギイエローはお互いの顔面にクロスカウンターをキメ合ったまま硬直していた。
 あーもう、男ってバカばっか。ブルースパイダーにクモ糸で引き寄せてもらう。
「このままではジリ貧だな」
 クモ糸を引っ込めたブルースパイダーの言葉に、全員が同意するように溜息を吐く。
 正義のヒーローの名は伊達じゃなかった。正直、セイギポリスをナメ過ぎていたようだ。
 だけど、ここで逃げるわけにはいかない。悪には悪の誇りがある。例え刺し違えても、ジャーククロスへの忠誠を示さなければ。
「この一撃に全てを賭ける! ピンクモス! ムシレンジャーストームだ!」
「オーケー!」
 一発逆転のチャンスはこれしかない。こんなこともあろうかと、ローチ兵がセイギーズにやられていた間に産んでおいた卵を取り出した。
「赤いの、あからさまにガッカリしてるぞ」
「知るかッ!」
 卵を掲げ、上空に舞い上げる。真面目にやれ捏結との怒りを込めて。
「ムシレンジャーストーム! いいわね、行くわよ! イエローワスプ!」
「任せんしゃい! グリーンバッタ!」
「オーケィ! ブルースパイダー!」
「オーライ! レッドビートル!」
「ムシレンジャーストーム! フィニッシュ!」
 オーバーヘッド角アタックで打ち出された卵が猛スピードで飛んでいく。これが直撃すれば、いかにスーパーセイギモードでも無事じゃ済まないはず。
 あたし達は固唾かたずを飲んで行方を見守る。
「そうはさせない! 皆! セイギ・インターセプトだ!」
 セイギレッドの声に呼応して、セイギーズ全員が体を捻って低く構えた。
「セーッ! ハッ!」
 一斉に駆け出した奴らがそれぞれのポジションに散らばっていく。
 まずはセイギイエローが腰を落として両腕を突き出し、飛んでくる卵を上方向に弾いた。次にセイギグリーンがジャンプし、跳ね上げられた卵を空中でパスする。走りながらキャッチしたセイギシルバーは卵を脇に抱えてセイギブルーの元へ。受け取ったセイギブルーが卵を地面にセッティングした。
「セイギレッド! セイギングトライだ!」
「オーケー! トイヤー!」
 最後にセイギレッドが大きくジャンプし、卵に向かって駆け込んでくる。ジャンプした意味あるの?
「YAーーーHAーーー!」
 魔獣の如き雄叫びをあげて右足を振り上げたセイギレッドが、直立にセットされた卵目掛けて強烈なキックを放った。
 瞬く間に打ち返されたムシレンジャーストームがあたし達に迫る。反応する余裕もなく衝突すると同時、煙幕が広がった。
「な、何だコレは!?」
 煙幕が晴れると、ネバネバとした白濁の粘液があたし達全員を拘束してしまっていた。まるで意思を持っているかのように、粘液はあたし達の体に絡みついて離さない。
「ぬぐぐ、動けん!」
 怪力無双のレッドビートルでさえ抜け出せないでいる。
 あたしは自爆覚悟で鱗粉を爆発させて粘液を吹っ飛ばそうとしたけど、はねが広げられず、鱗粉が飛ばせなかった。
「見たか! ムシレンジャーストーム返し……セイギーズハリケーン・ムシレンジャーホイホイ!」
 セイギレッドが得意げに胸を張る。
 ちょっとこれ、イヤ過ぎるんだけど! せめて普通に爆破しなさいよ!
「よし! セイギキャノン・フォーメーションだ!」
「「「「ラジャー!」」」」
 セイギーズがまた陣形を組む。今度は何をするつもりなんだ。
 あたし達が身動きできないのを確認した後、セイギーズはそれぞれの武器を放り投げた。セイギストーンのエネルギーに包まれた五つのスーパーセイギアームズが、空中で一つに組み合わさっていく。
 セイギメイスを中心に、左右にセイギトンファー、後方にセイギボウ、下部にセイギカッターがドッキングする。最後にセイギサーベルが先端に装着されて、完成したのは巨大なバズーカ砲だった。
「セイギキャノン・セットアップ!」
 セイギレッドがセイギキャノンの後ろに立ち、残りの四人が左右に分かれて砲身を支えている。
 五人の体から光が溢れ、混ざり合い、黄金を超えて白金のエネルギーに輝き始めた。それはセイギキャノンへと収束し、凄まじいエネルギーの奔流ほんりゅうを生み出す。
 あれは拙い。絶対ヤバイ。当たったら死ぬ。マジで死ぬ。
「「「「「セイギ・プラチナム・バーストストライク!」」」」」
 眩い白金の閃光を放ちながら発射される、超弩級の破壊光線。
 視界を埋め尽くすほど巨大で膨大な熱量が大気を震わせ、轟音と共に突き進む。
 その光の塊を、あたし達は為す術もなく見つめることしかできなかった。
「愛を取り戻せ! 恩菜!」
 いや、死ぬから。
 エネルギーの渦に呑み込まれ、意識が白く塗り潰された。

 * * *

 ――知ってる天井だ。
 目が覚めると、どうやらベッドの上に寝かされているらしい。勘違いじゃなければ、ここはセイギベース内の医務室だろう。
 室内にベッドは一つだけで、すぐ側に医療機器らしい装置が置かれている。今は作動していないのか、装置のモニターは何も映していなかった。
 薬品の匂いが染み付いた清潔感あふれる室内は、馴染んでいるはずなのに、酷く居心地が悪いように感じられた。
 記憶が曖昧で、自分が今まで何をしていて、どうしてこの部屋にいるのか、よく思い出せない。頭が割れるように痛くて、目を閉じても世界が揺れるような不快感があった。
 体が重い。全身に鈍痛が走っている。首を動かすのも億劫おっくうだけど、とにかく現状を把握しようと体を起こす。
 その時、ジャラッと金属音が鳴った。見れば手首には鎖付きの手錠がかけられていて、ベッドに取りつけられた金具に繋がっている。
 だけど、それ以上にあたしを動揺させたのは、自分自身の腕だった。表皮全体に薄ピンク色の体毛がびっしりと生えている。どう見ても人間の腕じゃない。
 思わず身を引いた拍子に、消えたモニターに映り込んだ自分と視線が合った。
 首周りのモコモコした体毛。額から伸びたくしのような触覚。頭部の大きな複眼。それが今のあたしの姿。
「ああ……あ……そんな、嘘、嫌ぁあっ!」
 認めたくない。信じたくない。これは夢だと言ってほしい。
 でも違う。分かってる。ムシ怪人・ピンクモスとしての記憶が甦ってくる。
 震える手で背中を撫でれば、蛾のはねと腹部が指先に触れた。意識した途端、それまで気にならなかった、体型による寝苦しさが耐え難いものに変わる。
 反射的にベッドから飛び出そうして、手首の鎖に引っ張られ、前のめりに突っ伏した。自分の間抜けぶりが情けなくて、悔しさから涙が零れる。
 今の行動だけじゃない。
 ゲルマリオスの罠に落ち、敗北したこと。典細に洗脳され、ジャーククロスに忠誠を誓ったこと。自ら望んでムシ怪人への改造を受け、ムシレンジャーとして悪の限りを尽くしてきたこと。
 何もかもが悔やんでも取り返しのつかない失敗だ。
 一番許せなかったのが、大切な仲間であるセイギーズに対して刃を向けたことだった。あたしは最低最悪の裏切り行為を働いたのだ。
 それにしても、どうして突然洗脳が解けたんだろうか。
 可能性として考えられるのは、セイギーズとの戦闘で膨大なセイギストーンのエネルギーを受けたことにより、ジャークストーンに変換されてしまったセイギストーンが、なんかこう上手いことなって、元のセイギストーンに再変換されたとか。
 それと連動して、あたしの洗脳も同時に解除された……みたいな。
 だけど、心が元のあたしに戻っても、体は人間に戻らなかった。
 それはきっと、あたしを洗脳した技術と怪人に改造した技術が別のものだからだろう。あたしはもう、二度と人間に戻ることはできないのかもしれない。
 これからあたしは、何のために生きればいいんだろう。そもそも、生きていく資格があるんだろうか。自問すればするほど分からなくなってくる。
 答えの出ない思考の泥沼どろぬまに沈んでいると、不意にドアの外から話し声が聞こえてきた。聞き耳を立てるつもりはなかったけど、怪人として強化された聴力のおかげで内容が筒抜けになってしまう。
「何度でも言ってやる! 俺は絶対にあいつを信用しないからな!」
「落ち着けよ、駆潤。もう洗脳は解けたって博士も言っていたじゃないか」
「怪しいもんだぜ。セイギベースに忍び込むための芝居かもしれない」
「本気で俺達を全滅させる気なら、とっくに攻められてる。今更芝居なんか必要無いだろ!」
 言い争いながら近づいてくるのは、捏結と青山くんの声だった。
 確かに青山くんの性格なら、一度悪に堕ちたあたしのことを信用しないだろう。
「駆潤の言うことは仕方ないよ、捏結。お前だって殺されかけたじゃないか。ピンクモス……悪い、百瀬に対する警戒は怠らない方がいいだろうね」
「同感です」
 いつも朗らかな黄原くんも、滅多に口を開かない緑野くんも、不機嫌さを露わにしている。当然だと割り切ろうと思っても、罪の重さに押し潰されそうになる。
「皆さん、もうすぐ病室です。彼女の前で言い争うのは止めましょう」
 ただ一人の知らない声。恐らくセイギシルバーに変身した女性だろう。
 口調と声色から察するに、あたしとは正反対の穏やかで優しげな性格をしているようだ。
 やがて全員の話し声と足音が止む。あたしは慌てて涙を拭って呼吸を整え、少しでも平静を装う努力をした。
 深呼吸を終えると同時、ドアが開かれる。最初に入ってきたのは捏結で、その後ろに他の皆が続いた。
 離れていたのは半年程度なのに、こうして顔を合わせるのは何年ぶりかと思えるほど懐かしく感じられる。
「恩菜! 目が覚めていたのか!」
 真っ先に声を掛けてくれたのは捏結で、すぐさまベッドに駆け寄り、目に見えて安堵の表情を浮かべている。
 黄原くんの言葉通り、あたしは彼を本気で殺そうとした。それなのに捏結があたしに向ける目は、あの頃と変わらない優しいものだった。
 反対に、部屋の入口で立ったまま動かない三人の視線が痛くて辛い。彼らから向けられる眼差しには、嫌悪や軽蔑の色が強く浮かんでいる。
「あ……あの、自己紹介させてもらってもいいですか?」
 部屋の空気に耐えかねたのか、セイギシルバーの女性がおずおすと口を開いた。捏結が横にずれると、彼女が一歩前に出る。
 つややかな黒髪を腰まで伸ばし、背筋は少し曲がっているものの、芯の強さを感じさせる立ち姿だった。
「は、初めまして……白銀椎華です。セイギシルバーを拝命しています」
 やや早口気味に名乗り、ペコリとお辞儀をする。
 何と言うか、今まであたし達の中にはいなかったタイプだ。
「うん……こちらこそ、初めまして。桃瀬恩菜だよ」
 あたしも挨拶をしてみたけど、正直、どんな顔をすればいいのか分からなかった。
「それとも、ピンクモスって名乗った方が良かったりする?」
 つい冗談めかしてみるが、返ってきたのは冷たく刺々しい反応ばかりだった。
 特に青山くんの目つきが怖い。元々鋭い目元を一層険しくさせていて、今にも襲いかかってきそうな雰囲気さえある。
「バカなこと言うな! 恩菜はもう、元の恩菜に戻ったんだよ!」
 捏結が身を乗り出し、あたしの手を、怪人の手を握ってくれた。細かい体毛が刺さるだろうに、嫌な素振りも見せず、ぎゅっと強く握り締めてくる。
 温かい手の平に包まれるだけで、胸の奥が締めつけられるように苦しくなった。
 ずっと黙っていた青山くんが深く溜息を吐いてから、腕を組んで口を開く。
「はっきり言っておく。俺はお前を信じられない。二度と仲間だとは思えないだろう。洗脳が解けたって話も疑っている」
 不満げな目を向けた捏結を手で制し、青山くんを真っ直ぐに見つめ返す。
「分かってる。セイギーズのリーダーとして、その判断は正しいと思うよ」
 彼の言葉はぐうの音も出ない正論だ。もしあたしが青山くんの立場なら、同じことを言うに違いない。
「まぁ、今はとにかくゆっくり休んでくれよ。回復したら、なるべく自由に行動できるよう長官に頼んでやるから」
「ありがとう、捏結」
 人間の姿に戻れない以上、良くて軟禁、悪ければ独房に放り込まれるだろう。それでも、捏結の気遣いが嬉しかった。
 ドアを開けた青山くんに続いて、皆が部屋から出ていく。最後に捏結が一度振り返って笑みを見せ、そのまま廊下へ消えた。
 バタンと音を立ててドアが閉まる。一人になると、静寂と孤独だけが残された空間は一気に暗く沈んだ。
 再び涙が込み上げてきて、毛布に包まって声を押し殺して泣いた。

 * * *

 数日が経った。
 その間、あたしは医務室と研究室を往復し、体中を隅々まで検査される毎日を過ごしていた。
「うん……データに異常はない。君の体と融合しているのは間違いなくセイギストーンだ」
 顎に手を当てて何度も小さく頷きながら、白衣を着た壮年の男性が呟く。
 彼はセイギポリス研究班(通称セイギラボ)の責任者である、所扇周祭博士だ。
「君の洗脳がセイギストーンの変換によるものとするならば、完全に解けていると見て間違いないだろう」
 心強い言葉に、あたしはひとまず胸を撫で下ろす。
 これですぐに皆の信用が回復するわけはないけれど、データの裏付けが取れただけでも十分だ。
 博士はしばらくパソコンを操作したり、他の研究員と話し合ったりと忙しなく動き回っていたが、一通り作業が終わったのか、椅子にもたれて深く長い溜息をつく。それから眼鏡を取って、眉間を指で揉むような仕草を見せた。
「お疲れの様子ですね。この数日、ほとんど寝る間もなかったって聞いています。あたしのせいですみません」
 ねぎらいの意味を込めて頭を下げると、博士は弱々しく笑って首を振る。
「それが僕の仕事だ。気にすることはないさ」
 言いながらも、再び溜息を漏らす。そして苦笑いを浮かべ、独り言のように続けた。
「だけど、典細先生がジャーククロスに加担していたなんてね……」
 その表情からは、彼がどれだけ落胆したのかが良く分かる。
 博士はデスクの上に置いてあった写真立てを手に取った。写真に写っているのは、屈託のない笑顔を浮かべる男の子と、男の子の肩に手を乗せる男性。
 子供の頃の周祭博士と、若き日の典細の姿らしい。写真の中の典細は、今よりもまだ理性的で温和そうな印象を受けた。
「先生は本当の天才……いや、もはや天才などという言葉では表せない程の人だった。悪の手先になどならなければ、科学の歴史を塗り変えていただろうに……」
 そう語る口調には、悔しさと無念さがにじんでいた。どう声を掛けるべきか迷っているうちに、博士はふっと自嘲気味な笑みを見せる。
「つくづく僕は凡愚ぼんぐだよ。恩師の暴走を止められなかったばかりか、科学者として彼の足元にも及ばない」
 博士はそう言って目を伏せると、手に持っていた写真を元の場所にそっと置いた。
 その言葉は単なる自虐ではない。裏に込められた意味を汲み取り、あたしは静かに首を振った。
「博士……あたしの体は……」
「うん。僕には君を人間に戻す手段は分からない」
 はっきりと口にされると、改めて現実を突きつけられた気分になる。覚悟していたこととはいえ、ショックだった。膝の上で握った拳に力が入る。
「怪人の肉体を解析する方法さえ分からない。君の体はブラックボックス同然なんだ」
 淡々と語られる事実に唇を噛んだ。薄々分かっていたことだが、こうして直接言われるとこたえるものがある。
 このまま一生、怪人のまま生きていくしかないのだろうか。
「せめて、蛾のはねや腹部を切除することだけでもできないでしょうか?」
 あたしが懇願すると、博士は難しい顔でうつむいてしまう。
「危険だ。先生は自分の研究成果に他人が手出しすることを極端に嫌っていた。怪人の体に外科手術をトリガーとして発動する……例えば自爆装置のような罠が施されている可能性も否定できない」
 思わず息を飲む。迂闊うかつな真似は命取りになりかねないということか。
 あたしが黙り込むと、博士は申し訳なさげに視線を落として頭を掻いた。
「本当に申し訳ない」
 力なく呟いて、博士は項垂うなだれる。
 沈黙が気まずくて何か喋ろうと口を開こうとした時、博士のデスクに通信が入った。
「僕だ……うん、データに間違いはないよ。分かった、彼女に伝える」
 短いやり取りを終え、博士があたしを見る。真剣な眼差しだった。
「長官が呼んでいる。話があるそうだ」
 あたしは全身に緊張を走らせる。間違いなく、今後の処遇についての話だろう。
 どんな結果になろうとも受け入れるしかないけど、それでも不安は隠せなかった。
「君の洗脳は完全に解けていると報告してある。影崎長官なら悪いようにはしないはずだ」
 よっぽどおびえた顔をしていたのだろう。博士は苦笑交じりに、励ますように声をかけてくれる。小さく会釈して応えつつ、研究室を出た。

 * * *

 数分もかからない距離がとても長く感じた。長官室の前に立つと、深呼吸してから扉をノックする。
「入りたまえ」
 室内から返事があり、あたしはゆっくりとドアを開ける。長官は正面の大きな机で肘をついて両手を組み、射抜くような視線を向けてきた。
 その威圧感は相変わらず凄まじく、自分が置かれた現状も相まって冷や汗が噴き出して止まらない。触覚は小刻みに震え、はねも縮こまっている。
 部屋の中には捏結を始め、セイギーズのメンバーも勢揃いしていた。誰もが険しい表情で、じっと押し黙っている。
 重苦しい空気に耐えかねたのか、あたしに向かって捏結が口を開きかけ、しかしすぐに青山くんに手で制された。
「まずは、よく戻った……と、言っておこうか」
 低く落ち着いた声で、長官が語りかけてくる。その声色に敵意は含まれていないが、あたしの帰還を歓迎しているわけでもないだろう。
 あたしは姿勢を正し、一歩進み出ると深く頭を下げた。
「覚悟はできています。あたしは正義を守るセイギポリスの一員でありながら、悪に堕ち、ジャーククロスの怪人として多くの罪なき人々を傷つけました。どうか法の裁きを受けさせてください」
 あたしの言葉に、長官は目を閉じて考えるような素振りをする。やがて組んでいた手をほどき、指先でテーブルを軽く叩いた。
「まぁ、そう結論を急ぐな。君がジャーククロスの一味として犯した罪は許されざるものだが、洗脳されていたことを踏まえれば情状酌量の余地はある」
 思いがけず寛大な言葉をかけられ、あたしよりも周りの皆がより強く驚きの反応を見せた。
 特に青山くんは、信じられないと言わんばかりに目を大きく見開いている。長官に向かって身を乗り出した彼を、今度は捏結が止めた。
「それに君の情報を信じるなら、これから戦うジャーククロスの怪人はムシ怪人と同等か、それ以上の戦闘力を持っているのだろう。だとすれば、セイギストーンの適合者である君は、我々にとっても貴重な戦力となる」
「待ってください、長官!」
 捏結の腕を押し退け、青山くんが長官に詰め寄る。
「彼女は怪人なんですよ! そんな奴を、どうしてまた仲間として受け入れようとするんですか!」
 彼の訴えを聞き、長官は大きく溜息を吐いた。
「青山、君の気持ちは分かる。だが、これからの戦いはより激しさを増すことが間違いないのも理解できるだろう。博士も洗脳は解けていると保証してくれた。ならばここは、安易に彼女を切り捨てるべきではない」
 冷静に語る長官に対して、青山くんはそれでも納得いかないといった様子だ。唇を噛み締めながら、恨めしげにあたしをにらみつけていた。
 あたしはうつむいて視線を逸らす。居心地が悪くてたまらなかった。
「それに、これは上からの指示でもあるのだ。彼女が怪人であることには変わりないが、今は静観せよとな」
「上、って……警察庁がですか?」
 怪しんで尋ねる青山くんに、長官は渋い顔を見せる。
「いや、内閣からだ」
 あたし達は揃って首をかしげた。長官は面倒臭そうな調子で先を続ける。
「今まで現場の方針に口出ししてきたことはなかったが、今回ばかりは話が別らしい。詳しい理由は回答を差し控えられたがね」
 さすがに国家が相手では青山くんも引き下がるしかないようだ。不服ながらも大人しく口を閉ざした彼を見て、長官はあたしに視線を移す。
「桃瀬、お前には引き続きセイギポリスの一員として働いてもらう。異論はないな?」
 長官に問われ、あたしは黙ったまま首肯しゅこうする。ここで断れるはずもなかった。
「ありがとうございます。多大なる温情に感謝します」
 姿勢を正し、深く頭を下げる。
 捏結だけは心底ホッとした顔をしていたけど、他の四人は不満げに眉根まゆねを寄せたままだった。
「ですが長官、一つだけお伝えしたいことが」
 頭を上げてから切り出すと、長官は無言のまま続きを促した。
「あたしには正義を守る使命を果たす自信がありません。人の心を取り戻せても、こんなに醜悪な蛾の体じゃあ……」
 言い淀むと、長官は「ふむ」と呟く。
 少し間を置いてから、ゆっくりと立ち上がった。
「知っているかね? 蝶と蛾に明確な生物学上の区別はないのだ。また日本語と違い、両者を呼び分けていない言語も多い」
 長官はそう語りつつ、あたしの方へ歩み寄ってくる。目の前まで来ると、あたしの肩に手を置き、真っ直ぐに見つめてきた。
「今より君は七人目のセイギーズ……舞い踊る正義の蝶! セイギパピヨンだ!」
 力強く宣言する長官の声が室内に大きく反響する。唐突な言葉に唖然となるが、有無を言わせず納得させられるだけの力が込められていた。
 あたしは思わず気圧されて、「はい!」と答えてしまう。
 そう言えば、セイギーズ結成の際も似たようなやり取りをした覚えがある。ジャーククロス出現という未曾有みぞうの危機に戸惑うばかりのあたし達を、長官が鼓舞して纏めあげたんだっけ。
 当時の光景を思い出しつつ、またセイギーズの一員に戻れたんだと実感すると、胸の奥に熱いものが込み上げてきた。
 ただ、あたしが実際にセイギパピヨンの名乗りを上げる日が来ることはないだろう。
 それでも、長官に認めてくれたという事実だけで充分だった。しおれていた触覚がピンと伸びる。
 あたしはもう一度、深々と頭を下げた。

 * * *

 それからはセイギベースの片隅にある倉庫区画のさらに奥に小さな居室を与えられ、軟禁状態とはいえ、比較的恵まれた生活環境で過ごせるようになった。
 セイギベースはセイギポリス本部と職員の居住区以外に、商業施設や娯楽施設も備えており、ほぼ一つの街として機能している。
 もちろん殆どのエリアには立ち入りが許されず、常に監視の目が光っているが、居室内では特に制約は課せられなかった。食事は何でも出前を頼めるし、テレビやゲームも自由に楽しめる。
 ただインターネットはジャーククロス関連のニュースが嫌でも目に入るし、ついムシレンジャーでエゴサしてしまうこともあって、使わないようにしていた。
 何事もなく数ヶ月が過ぎたある日の深夜、あたしは公園のように整備された区画で夜風に当たっていた。
 ここは数少ない立ち入りの許可されたエリアだが、人の多い日中に訪れることは躊躇とまどわれた。正体を隠せるわけもないし、裏切り者を見るような周囲の視線は耐え難かった。
 背の高い常緑樹の天辺に立ち、ぼんやりと夜空を見上げる。満月の輪郭がくっきりと浮かび上がっており、地上に落ちる影はいつもより濃い。
 以前は虫の鳴き声が聞こえていたと思うけど、ムシ怪人が暴れ回ったせいで駆除されてしまったのか、今は静まり返っていた。
 綺麗なお月様を見ていると、蛾の習性が刺激され、空を羽ばたきたい衝動に襲われる。
 本当に飛んでしまうと監視役に撃ち落とされかねないので我慢しているけれど、せめてはねを目一杯広げてみる。狭い部屋の中ではずっと窮屈な体勢を強いられているから、こうやって体を伸ばせる時間は貴重だった。
 はねを広げて体を伸ばすと、物陰に隠れている監視役が露骨に反応するのが分かる。見張られるのは仕方がないとして、せめて気づかれないようにしてくれないものだろうか。
 もしかしたら本人は完全に気配を消しているつもりなのかもしれないけど、ムシ怪人の感覚の前では全く意味を成していない。あれなら青山くんみたく、面と向かって敵意をぶつけられた方がまだマシだ。
 不機嫌な気持ちを紛らわすように触覚をゆらゆら動かしていると、不意に右手首から着信音が鳴った。
 あたしの右手首皮下には、ジャーククロスの小型通信端末が埋め込まれている。本部やセイギデバイスとも交信が可能だったので、今も普段使いとして重宝していた。
 連絡してきた相手を見ると、捏結からだった。そもそも、あたしに連絡をくれる人が捏結か長官か博士しかいないんだけどね。
 とにかく応答しようと通話ボタンを押す。
「あ、恩菜。まだ起きてたか?」
「蛾は夜行性だもん」
「だから、そんな言い方するなって」
「捏結のリアクションが面白くて、つい」
「俺はお前のこと信じてるよ。だから安心しろ」
「ありがと。嬉しいよ」
 彼の声を聞くだけで心が和らぐ。
 捏結は本当に優しい。セイギレッドとして多忙な日常を送りながらも、必ず時間を作って毎日顔を見せてくれる。一緒にご飯を食べたり、映画やゲームを楽しんだり。
 時々、夢なんじゃないかと錯覚するくらいだ。
「それに昼行性の蛾だっているだろ」
 ただ、昆虫の勉強をすることがあたしのためになると考えているのだけは間違っている気がする。善意の行動だから文句も言いづらい。
 捏結らしいと言えばらしいんだけど、覚えたての昆虫トリビアをドヤ顔で披露するのは止めてくれ。
「どしたの。何か用?」
「やっと任務が終わったからさ、そっちに行ってもいいかなって」
「そりゃ、あたしは全然構わないけど」
「うし! んじゃ、また後で」
 通信が終わると、あたしは嬉しさを抑えきれず、木の上からひらりと飛び降りた。監視役がギョッとする気配を感じるが、無視して立ち去る。
 早く彼と会って話したい。その一心で足を急がせた。
 捏結の将来を思うなら、あたしと関わらないよう突き放すべきなんだろう。だけど、それを口にすることはどうしてもできなかった。彼があたしの側にいてくれなくなることを想像しただけで胸が張り裂けそうになる。
 捏結の方から見限られるならまだしも、自分から別れを切り出すなんて、絶対に無理な話だった。
 三十分くらい経って、捏結がやってきた。
 聞けば出動した昼から何も食べてないとのことで、宇間井軒のテイクアウト用冷凍餃子と炒飯で夕食(と言うか夜食)にした。
 レンチンしただけだけど、あたしの手が触れた料理を食べてくれるのは捏結くらいのものだ。向かい合わせにテーブルを挟んで座ると、彼は美味しそうに食事を頬張ってくれる。それだけで幸せな気分になれた。
「今日の任務はどんな感じだったの?」
「ああ、今回はスーパーマーケットに現れたシックスヘッドアイスメガグラウンドトパスサメ怪人と戦ったんだ」
 捏結は戦いの様子を楽しげに語ってくれた。
 ムシレンジャーが倒されて以降、ムシ怪人軍団は表に出てこなくなり、今はサメ怪人軍団が侵略活動を引き継いでいる。サメなのに陸上で活動する怪人ばかりなのは理解に苦しむ。
 本当にあのマッドサイエンティストはロクな怪人を作りやがらない。ピンクモスに改造されたあたしは、まだ幸運な部類だったのだと痛感させられる。
 ちなみに今回の怪人は泳ぎの上手いスキンヘッド店員が目に出刃包丁を突き刺したところへ口の中にメントスコーラを突っ込みセイギ・プラチナム・バーストストライクでフィニッシュを決めたのだとか。
「恩菜がいれば、もっと楽に勝てたんだ。いい加減、駆潤も認めればいいのにな。恩菜はセイギーズの一員に戻ったんだって」
 捏結は真剣な表情で語る。その気持ちは本当に嬉しいけど、あたしとしては複雑だった。
 今のセイギーズにあたしの居場所はない。それは揺るがしようのない事実で、捏結があたしを信じてくれていても、他のメンバーが受け入れるとは思えない。
 青山くん達はあたしと顔も合わせてくれないし、こうして捏結が会いに来てくれることにも反対しているようだった。
 仕方がない。体が怪人のままじゃ、洗脳が解けたことさえ疑われてしまうのだから。
 せめて、体も元の人間に戻れれば……いや、同じことだ。どうしたって、あたしが裏切り者であることに変わりはない。むしろ怪人の体であるからこそ、現状を受け入れられる余裕があるのかもしれない。
 人間に戻れた状態で皆から拒絶されたら、きっと耐えられなかったと思うから。
 あたしは複雑な心境のまま、呑気な顔で満腹になったお腹を撫でる捏結を見つめていた。

 * * *

 青山くん達と違い、意外にも白銀さんは時々だけど顔を出してくれた。
 流行りのお菓子を差し入れてくれたり、ドラマの感想とか他愛ない世間話をしてくれたりする。
 見た目の印象ではもっとお淑やかな女の子かと思っていたんだけど、実際は結構ノリが軽いというか、砕けた性格をしているみたいだ。
 セイギーズに女性がいないこともあって、同性同士の話題を楽しめるのは嬉しい。
 できればもっと早く、人間として出会えていれば良かったのに。きっと親友になれただろう。
「恩菜さん、ずっと部屋に閉じこもってばかりじゃ退屈でしょう? 今日は外に出てみましょうよ」
 よく晴れた休日、白銀さん……椎華さんは外出を提案してきた。
 あたしが立ち入りを許可されているエリアには、少しだけど商業区も含まれている。ショッピングを楽しむこともできないわけじゃない。
「でも、あたしの姿を見たら、他の人達がおびえるんじゃ……」
 昼間の外出はたしかに魅力だけど、怪人姿のあたしを見て悲鳴をあげる人々の姿を想像するだけで気が滅入る。
「大丈夫ですよ。セイギシルバーが一緒なんですから」
 そう言って椎華さんは笑顔を見せる。
 そこまで言ってくれるなら断れない。あたしは彼女の好意に甘えることにした。
 二人で並んで大通りを歩く。一応、害意がないことを示すために、はねの上からベルトで体を巻いている。それでもやっぱり、道行く人達はこちらを見ると背中を向けて立ち去ったり、小さな声でヒソヒソとささやき合ったりした。
 そんな光景を目の当たりにしても、椎華さんは一切動じることなく堂々とした態度を保っている。ヒーローに相応しい、強い精神力だと感心させられた。同時に、自分の弱さが情けなくもあった。
 椎華さんが案内してくれたのは、小さな雑貨屋だった。あたしが服屋に行ったって意味ないだろうからと配慮してくれてのことらしい。
 怪人のあたしは常時スッポンポンだ。体毛が服代わりにはなってるけど、改めて考えれば凄い格好だと思う。今更だけど。
「いらっしゃいませ」
 店内に入ると、商品棚の奥から店員が顔を出した。プロテクターとフルフェイスヘルメットで完全武装し、一般職員に支給されているセイギサスマタを手にしている。
「あの、無理して接客してもらわなくても」
「我々にも商売人としてのプライドがあります。相手の姿でお客様を区別などいたしません。ですが怖いものは怖いのです」
 プロ根性って凄い。
「恩菜さん、これなんか似合うと思いますよ!」
 椎華さんは陳列された小物の中からイヤリングを取り出し、耳元に当ててくる。ガラス玉で作られた桃の飾りがついた、可愛らしいデザインのものだった。
「うーん、どうかなぁ。あたしより、椎華さんの買い物をした方がよさそうだけど」
「そんなことありません。怪人にされても恩菜さんは綺麗な顔をしてるんだから、オシャレくらいしないと勿体ないですよ」
 褒めてくれるのは嬉しいけど、この体で着飾ったところで何になるのか疑問だった。
 だけど、椎華さんと一緒に色んなアクセサリーや雑貨を見るのは楽しい。結局、勧めてもらったイヤリングを買って店を出る。椎華さんはキノコ好きらしく、小さなナメコのキャラクターぬいぐるみを選んでいた。キノコ怪人軍団とか、いませんように。
 その後はカフェテラスで甘いスイーツを堪能しながら、椎華さんと雑談に花を咲かせる。彼女と話していると心が軽くなり、怪人になってしまったことを忘れられた。こんな時間がいつまでも続けばいいのに。
 ただ、会話の中で分かったことが一つ。
 どうやら椎華さんは捏結に想いを寄せているようだ。無理もない話だし、もし捏結が椎華さんを選んだならば、あたしは潔く彼を諦めなければならない。
 できるだろうか。捏結の存在だけが、今のあたしにとって唯一の救いなのに。
 今はただ、その日が来ないことを願うばかりだった。

 * * *

 基本的にヒッキー生活を送っているあたしだが、一切仕事をしていないわけじゃない。今日はその、貴重な労働の機会である。
 セイギベースの多目的ホールには小さなステージが組まれており、マイクを握った女性職員が愛想良く喋っている。パイプ椅子を並べた観客席に座っているのは、小学校低学年程度の子供達だ。
「良い子の皆! もしジャーククロスに襲われたら、慌てず、騒がず、落ち着いて避難しようね! セイギポリスへの緊急通報ボタンも忘れずに持ち歩くんだよ!」
 空いている手で小型の携帯式通報装置を振りながら呼びかける司会役の職員。実際に押してみて、大きな音にわざと驚いて見せる。
 子供達の反応は冷ややかで、肩を落としていた。最近の子供ってノリが悪いよね。
 このイベントはよくある、交通ルールとかを教える安全教室のジャーククロス版だ。今の世の中では最も重要な知識と言っても過言じゃない。
 怪人から逃げている時に信号を守っている暇なんてないが、かと言って確認もせずに車道に飛び出したなら、今度は車にかれてしまう危険性がある。
 非常時に多くの情報を瞬時に判断し、最適解を導き出すには正しい教育と反復訓練が不可欠だ。だからこうして、定期的に講習を開いているのだが、肝心の子供達は欠伸あくびをしたり、居眠りしたりと全くやる気がない。
 子供ゆえの想像力や危機意識の低さと言ってしまえばそれまでだが、自分の命に関わることなんだから、もう少し真剣に取り組んでほしいものだ。
「おい、そろそろ行け」
 カーテンで仕切られたステージの裏から様子を見守っていると、男性職員が声をかけてきた。その言葉に、子供達のやる気の無さを見る以上に憂鬱な気分になる。
 だが仕方ない。これがあたしの仕事だ。頬を叩いて気合いを入れ、カーテンの隙間からステージに足を踏み入れる。室内の照明が暗くなり、足元にスモークがかれた。
「ややっ! こ、これは?」
 司会役が驚いたような仕草を見せる。
 同時に、それまで無関心だった子供達の視線がこちらに集中した。
「ふーはははははっ! 我らジャーククロスに立ち向かうための勉強に励む愚かな子供達よ! このムシレンジャーがメッタメタのギッタギタにしてやろうぞ!」
 あたしは大袈裟に高笑いをしながら翅を広げ、両腕を上げて威嚇した。
 後ろからは他のムシレンジャーのコスプレをした職員がダルそうに出てくる。衣装は技術班手製の段ボール工作なのだが、妙にクオリティが高い。子供の頃からテレビの工作番組を熱心に視聴して腕を磨いていたとか何とか。高見◯っぽさんのご冥福をお祈りします。
「大変だ! ジャーククロスが現れたぞ!」
 司会役の声に合わせて緊迫感を高める音楽が流れ始める。
 ここで普通のヒーローショーなら「良い子の皆! 心を一つにしてセイギーズを呼ぼう!」なんて展開に持っていくんだろうけど、生憎これはそんな微笑ましい企画ではない。
「やっちまえ!」
「おらあ!」
「くらえー!」
 椅子を蹴飛ばして立ち上がった子供達が一斉に駆け寄ってくる。全員であたしを取り囲むと、手に持ったチャンバラ刀やピコピコハンマーを思い切り叩きつけた。
「おのれ、生意気な子供達めー!」
 一応、芝居を続けるが、子供達はもうそんなものに興味がなく、ひたすら武器を振り回しているだけだ。下手に動けば怪我をさせてしまうかもしれないので、あたしはただ棒立ちになって耐えるしかない。
 他のムシレンジャー役は「アバーッ!」とか「ンアーッ!」とか言って即行で逃げた。毎度ズルい。
 要するに、怪人退治という飴を子供達にぶら下げて、講習を真面目に受ける気にさせようという魂胆だ。はっきり言って逆効果でしかないと思うんだけど、悲しいかな、あたしに文句を言う権利は無いのである。
 ムシレンジャーはニュースや新聞で連日取りあげられていたから、悪役として最適だということは分かる。子供達も講習に関わる外部の大人達も、あたしのことはピンクモスの格好をしたコスプレ女だとしか思っていない。まさかセイギベースに本物がいるとは誰も考えないだろう。
 子供達の攻撃は一向に止む気配がなく、それどころか勢いを増していく。
 もちろん怪人の体に子供の力では痛くもかゆくもない。玩具の武器じゃなく、本物を使われたとしても同じことだ。
 しかし、肉体的なダメージはいいとして、精神的にキツかった。これが純粋な正義感から来るものや、ジャーククロスへの怒りや憎しみに依るものならば、まだ納得できる。
 でも、子供達の感情はそういったものではなく、単純に暴力を振るうことによる高揚感だ。抵抗できない相手を一方的に痛めつけられるという状況を面白がっているにすぎない。
 男の子だけじゃなく、女の子まで平然と殴ったり叩いたりしてくる。これが男女平等教育の成果などだとしたら嘆かわしい。
 セイギストーンに選ばれ、セイギーズの一員となってから、あたしはずっと人々の、特に子供達の心に夢と希望を与えられるヒーローであろうとしてきた。
 それが今は、子供達に殴りつけられる人形同然の扱いを受けている。
 悔しくて情けなくて悲しくて、涙が出そうになるけれど、悪役には泣くことなんか許されない。気を張って必死に耐え続けた。
 一通り攻撃を終えた後、子供の一人が飽きたのか疲れたのか、退屈そうに欠伸あくびをする。その子に続くようにして、他の子供も一人、また一人と離れていく。司会役に参加賞のお菓子をもらい、さっさとホールから去っていった。
 ようやく解放された安心感と、虚しさが入り混じった気持ちを抱えながら、あたしもドアの方に向かう。
 せめて「お疲れ様」の一言でも掛けてもらえれば報われた気にもなるのに、職員達は誰もこちらを見ようともせず、黙ってステージの片付けをしているだけだった。
 ホールを出て、裏手に回る。もう少し進めば、講演に参加した子供達の送迎バスが止まっている駐車場だ。
 その手前、建物の隙間になっている場所を覗くと、古びたベンチに一人ぽつんと座っている女の子の姿があった。
「絽莉ちゃん」
 声を掛けると、女の子はぱっと顔を上げた。
「桃お姉ちゃん!」
 嬉しそうな声と共に、女の子が立ち上がる。こちらに向かって走ってきて、そのままの勢いで飛びついた。
 頭を撫でてあげると、絽莉ちゃんもぎゅうっと抱きついてくる。
 絽莉ちゃんは蛾怪人の体を気味悪がらない。今もあたしの首周りに生えたモコモコの体毛へ、気持ち良さそうに頬擦りしていた。
「えへへ、ふわふわ~」
 この毛触りとモフモフ加減がお気に入りらしい。他にも触覚を顔に押し付けたり、蛾の腹部を抱き枕にしてみたりと、あたしの体のあちこちを楽しんでいる。
 玩具にされていると言う点ではさっきの講習と同じだが、こっちは全然嫌じゃない。むしろ嬉しいくらいだった。
 絽莉ちゃんは今回の講習を受けに来た子供達の一人だ。あの子達は全員が親を失った子供達で、同じ児童福祉施設で生活している。講習は小学校や幼稚園だけでなく、そういった施設の子供達にも行われていた。
 あたしが絽莉ちゃんと最初に出会ったのも、講習が行われた日だった。
 彼女は一人だけ講習に参加せず、こうして人気のない場所で遊んでいたのだ。そこへボコられ役を終えたあたしが偶々たまたま通りかかった。
 てっきり泣いておびえられるものと覚悟したが、絽莉ちゃんは逆にあたしへ近づいてきて、はねを触らせてほしいと言ってきた。
 後で聞けば、絽莉ちゃんのご両親がまだ生きていた頃、ベランダで見つけた青虫を蝶だと思って飼い始めたら、蛾が羽化してしまったことがあったそうだ。すっかり情が移っていた絽莉ちゃんは最後まで蛾の世話を続け、ご両親も反対することなく見守ってくれた。
 絽莉ちゃんにとって蛾は、大好きなご両親との思い出の象徴だったのだ。
 これで絽莉ちゃんのご両親がジャーククロスの侵略によって命を落としたのなら、あたしは腹を切って詫びなければならなかったが、幸いにも(とは口が裂けても言えないが)ご両親の死因はジャーククロス出現前の交通事故らしい。
 それ以降、あたしは絽莉ちゃんの暮らす施設の子供達が講習を受けに来るたび、こうして彼女と話をするようになった。嫌な思いしかしないあの仕事で、唯一楽しみにしている時間だった。
「絽莉ちゃんも皆と一緒に講習を受けなよ。悪い怪人をやっつけちゃおう!」
「桃お姉ちゃんは悪い怪人なんかじゃないもん」
 絽莉ちゃんは首を横に振る。講習の最後に、あたしをどつき回す時間があるのをこの子は知っている。だから、あたしのことを庇ってくれていた。
 優しいね、と頭をポンと叩く。
 すると今度は、「桃お姉ちゃんの方が優しい。だから好き」なんて言うものだから、思わず胸がきゅーんとなってしまった。
 可愛すぎる。こんな妹がいたら、シスコンになるのは確実だ。
 ただ気になるのは、絽莉ちゃんはあたしと出会う前から講習に参加していなかったこと。真面目な絽莉ちゃんが勉強をサボりたがるとは思えない。
 どうしてなのか、何度理由を聞いても答えてくれなかった。
 そして、もう一つ。絽莉ちゃんの体には、不自然な傷やあざがあった。本人は転んだって言ってるけど、腐っても警察官であるあたしには、それが嘘だと分かってしまう。
 ジャーククロスの暴虐によって大勢の犠牲者が出て、親を失った子供の数も増え続けている。施設によっては限界以上の子供を受け入れざるを得ず、その子供達も以前よりはるかに重い心の傷を抱えるようになった。それらの歪みは、セイギポリスの目の届かないところで噴出しているのかもしれない。
 嫌な想像が頭に浮かぶ。だけど、あたしにはそれ以上踏み込む権利も資格も無い。
 あたしにすがってくれるこの小さな手を、引っ張ってあげることはできないんだ。
「おい、絽莉!」
 道の向こうから誰かが叫ぶ声が聞こえた。
 見ると、一人の男の子が腕組みをして立っている。
 その男の子のことは知っていた。庶太くんと言って、絽莉ちゃんとは幼馴染みなんだそうだ。
 やんちゃ盛りでわんぱくで、さっきもあたしに散々ハリセンをお見舞いしてくれた。
「あ……庶太くん、何?」
 絽莉ちゃんは不安そうに、あたしの陰に隠れてしまう。
「集合時間だ、さっさと来い!」
 庶太くんは強引に、あたしの後ろにいる絽莉ちゃんの手をぐいっと引き寄せた。
 絽莉ちゃんは困ったようにあたしの顔を見てくるけど、あたしにはどうすることもできない。ただ「またね」と笑顔を向けるのが精一杯だ。
「この気色悪い怪人め! どっか行け!」
 あたしの足を蹴っ飛ばし、絽莉ちゃんを引きずるようにして、庶太くんは行ってしまった。
 二人の背中を見送りながら、あたしは昔を思い出していた。
 小さい頃の捏結も、あんな感じだった気がする。あたしのことが気になるくせに、素直になれず、何かと突っかかってきたものだ。
 大丈夫だよ、絽莉ちゃん。庶太くんはきっと、君の味方になってくれる。
 だから、立派で素敵な女の人になって、あたしの分まで幸せに生きてほしいな。

 * * *

 更に一ヶ月が経ち、サメ怪人軍団軍団長・ハヤシバラ将軍が倒された。
 最近はサメ怪人軍団も作戦行動の場を本来の海に移し、主に何かの資材を運搬し続けていたようだ。恐らくはジャーククロスの次なる計画のためだと思われるが、結局詳細は分からないままだった。
 そしてセイギベースは第二の十二神将撃破の報に沸き立つ間もなく、慌ただしさに駆られていた。ハヤシバラが死の間際に放ったサメ竜巻攻撃によって、無数のサメが都内各所に降り注いだからだ。
 甚大な被害を受けた街は数え切れず、セイギポリスも総出となって救助作業に当たった。
 誰もが必死の形相で走り回る中、あたしは日当たりの良い屋根の上でぼけーっと、うつ伏せになって寝転んでいた。広げたはねに陽光を浴び、時折吹く風に触覚をなびかせ、心地良い気分に浸っている。
 だって、救助活動を手伝いたくても信用してくれないんだもの。しかもセイギベース内が相当混乱しているのか、監視役もどこかへ行ってしまった。
 今更逃げ出すつもりなんてないけど、せっかくの自由行動のチャンスなので、日差しの暖かさを満喫することにしたのだ。これがホントの虫干し。
「桃瀬の奴、どこへ行きやがった!」
 しょうもないことを考えていた時、不意に怒声が聞こえてビクッとする。
 顔を確かめずとも分かる。青山くんだ。
 あたしが寝転んでるこの屋根の近くにいるらしい。あたしは触覚を立て、彼の声に集中する。
「監視役をいて姿を消すなんて、やっぱりジャーククロスのスパイだったんだ!」
 あたしが聞いているとは知らず、彼は興奮した様子でまくし立てている。
 いやちょっと待って。監視をいたって何。向こうが勝手にあたしから目を離したんだよ。あの野郎、あたしを見失ったことが青山くんにバレて、嘘つきやがったな。
 って言うか、あたしの居場所が知りたいなら連絡してくればいいじゃん。確認もせずにスパイ扱いとか、心の底から泣きたくなってきたんだけど。
「所扇博士から連絡です。彼女はセイギベース内から動いていないから心配するなと」
 新しく話しかけてきたのは椎華さんの声だ。あたしのことを擁護してくれているんだろうか。
「ふん……いっそ逃げ出してくれれば、長官も考え直すかもしれないのに」
 青山くんは溜息を吐いている。だから、そんなことしないってば。
「白銀、お前にしても、いつになったら捏結を落とせるんだ」
 その言葉にドキッとなる。
 以前のランチで聞いた、椎華さんが捏結を好きだって話。別に疑問は感じなかったけど、落とすって言い方は何だ。
「ずっとやってますって。でもあの男、本気であんな蛾女に惚れきってるんです。何度誘っても手を出そうとしないし、ラブコメの鈍感主人公の方がまだ可愛気がありますよ」
 吐き捨てるような椎華さんの口調に、心が乾いていくような感覚を覚える。
 つまり、椎華さんは本気で捏結を好きなわけじゃなく、あたしと捏結を引き離して、あたしを完全に孤立させるために近付いただけだって言うのか。
 だったら、彼女があたしと仲良くしてくれたのも。
「赤井さんの方が駄目なら、せめて蛾女から別れを言わせろって貴方の指示で仕方なく演技を続けてましたけど、蛾女も蛾女で身の程知らずに諦めるつもりはないみたいだし、これ以上、あんな蛾女と友達ごっこなんてウンザリです!」
 ああ、そうだよね。そりゃそうだ。
 こんな醜い怪人のあたしと、友達になってくれる人なんかいるはずがない。
 分かってたのに、どうしてあたしは浮かれてたんだろう。
「怒鳴るな。誰かに聞かれたらどうする」
「別にいいじゃないですか!」
「捏結の耳に入ったら面倒だ。とにかくこの作戦は撤回しよう。次の手を考える」
「私はもう手伝いませんからね! 害虫駆除の時だけ呼んでください!」
 怒りに任せて言い放ち、椎華さんはその場を去ったようだ。
 最後まであたしの名前を呼んでくれなかったな。まぁ、当たり前だけどね。
 青山くんが壁を殴る音が聞こえてくる。
「他の怪人と一緒にくたばっていれば簡単だったものを! 何であいつだけ生き残ったんだ!」
 そんなこと、あたしが知りたい。
 チグリス・ユーフラテス社、物流センターでの戦闘の記録によれば、セイギ・プラチナム・バーストストライクの直撃を受け、ムシレンジャーは物流センターもろとも爆散した。
 その後、瓦礫の撤去作業中に気を失っていたあたしが掘り起こされ、セイギベースに移送されたのだ。他のメンバーは肉体の破片すら見当たらなかったらしい。
 あたし一人が生き残ったのは、セイギストーンのエネルギーを分散させる鱗粉の効果によるものではないかと、周祭博士の見解が添えられていた。
「死んでいれば、よかったのかな」
 体を起こし、独りごつように呟いてみる。
 洗脳が解けて、セイギパピヨンの名前をもらって、もう一度チャンスを与えられて。
 なのに周囲はあたしを未だに洗脳されていると、ジャーククロスのスパイだと決めつけて。
 別の世界へ変わったようにさえ思えるセイギベースに閉じ込められて、ただ日々を過ごしていくうち、ふと思うようになったことがある。
 気が付かないフリをして、ずっと心の奥底に押し込め続けてきた気持ち。
 ムシレンジャーの皆に、仲間に会いたい。
 あたしはジャーククロスによって洗脳され、改造された。
 それでも、ムシレンジャーの一員として感じていた絆は、偽りではなかったと素直に思える。
 街を破壊し、多くの命を奪った怪人達。だけどそこに、人間の犯罪者のような悪意は無かった。
 彼らはそういう存在として作られたから、そういう存在であっただけだ。
 昆虫が獲物を食べ、外敵を排除するのと同じに。その行動に善悪の価値観などないのだ。
 ジャーククロスとして、ムシレンジャーとして、ピンクモスとして、悪の怪人のまま死んでいれば。
 あふれ出る涙をこらえられず、膝を抱えて泣き続けた。

 * * *

 それから数日、あたしは自室に閉じもっていた。
 あれ以来、椎華さんは一度も姿を見せていない。捏結とも顔を合わせづらくて、何をするでもなしにベッドの上で過ごしていた。
 このままじゃいけない。分かってはいても、立ち上がる気力が湧いてこない。いっそ、このまま消えてしまえればどんなに楽だろう。
 そんな生きているのか、死んでいるのかも分からない、無為に時間を浪費していくだけの日々は、長官からの緊急招集で終わりを迎えた。
 レベル五。あたしがセイギーズとして戦っていた時ですら経験しなかった、最大級の非常事態だ。
 駆けつけた長官室には、既にセイギーズのメンバーが揃っていた。
 飛び込んできたあたしの姿を見て、青山くんが敵意の目を向け、椎華さんはあからさまに目を逸らす。どうにか平静を装い、隠れるように部屋の隅に立った。
「何であいつまで……」
「長官! 何が起こったんですか?」
 青山くんの発言を遮って捏結が問いかける。
 長官も内輪揉めをしている場合ではないと判断したのか、無言でうなずき返し、モニタの表示を切り替えた。
 全員の視線が集中する中、モニタに表示されたのは穏やかな海の風景だった。場所は日本に近い太平洋上らしく、特に異常があるとは思えない。
 だがよく見ると、海中で何かがうごめいている。その影は徐々に大きくなり、大量の水飛沫を上げて海面から姿を表した。
 それはムカデのような外観を持つ巨大な要塞だった。海上に頭部を持ち上げ、無数の脚をうねらせている。その姿はまるで、鋼鉄の怪獣のようにも感じられた。
 あまりの光景に言葉を失っていると、モニタにノイズが走り、画面が切り替わる。続いて映し出されたのは。
「地球人類の諸君。吾輩はジャーククロス十二神将が一人にして、ムシ怪人軍団軍団長・ゲルマリオスである」
 因縁の相手、憎むべきゴキブリ怪人の姿だった。
 ついにムシ怪人軍団が再び動き出したのか。あたしは拳を握り締める。
「まずは我々ムシ怪人を生み出した、科学という叡智えいちを育てた人類に敬意を表する」
 相変わらずのバカ丁寧な態度で語りかけるゲルマリオスは、しかし次の瞬間に声色を変えた。
「だがもはや、貴様ら人類にこの星を預けておくことはできん!」
 画面越しですら伝わる、圧倒的強者の威圧感。捏結達が息を呑んだのを感じる。
 直接奴と相見えたあたしは尚更だった。心臓が激しく鼓動し、手足が小さく震え出す。
 そんなあたし達にお構いなしとばかりに、モニタの中で演説は続けられていく。
「自らを万物の霊長などとおごり高ぶり、己の欲望のまま自然を破壊し続ける愚者どもよ。貴様らは我ら昆虫を害虫とさげすむが、人間こそこの星を食い潰す害虫そのものではないか!」
 皆の表情が怒気に満ちていく。ふざけたことを抜かすな、って心境なんだろう。
 ゲルマリオスの言葉に微かな共感を覚えてしまうのは、あたしがムシ怪人に改造されたせいだろうか。
「我ら昆虫はこの地球上で最も繁栄している種族である。これ以上、貴様ら人間に駆逐される立場に甘んじはせぬ。今ここに、地球人類への全面攻撃を宣言させていただく!」
 再び画面が切り替わり、ムカデ型巨大要塞の映像が表示される。口の部分が開くと、内部から砲身のようなものが現れた。
 エネルギーが渦を巻いて充填されていくのが見て取れる。ムカデ要塞が頭部を真上に向けたところで、砲撃が発射された。
 放たれた閃光が空を貫き、轟音と共に雲が消し飛ぶ。衝撃波は海上にまで届き、大波を引き起こしていた。
 こんなものが地上に直撃したらどうなるのか、想像もしたくない。
 ゲルマリオスは本気で人類を滅ぼそうとしているようだ。
「サメ怪人の連中、これを作ってたのか……」
 呆然と呟く黄原くん。
「ムカデは昆虫じゃない……」
 どうでもいいよ緑野くん。
「作戦開始まで二四時間の猶予を与えよう。人類諸君の賢明な判断を期待する」
 一方的に告げられると、モニタの映像は切れてしまった。
「つい十分ほど前、全世界に同時放送された映像だ。見ての通り、我々人類とジャーククロスとの全面戦争が始まることになる」
 重苦しい空気の中、長官が話し始める。
「セイギーズは直ちに出動し、ムシ怪人軍団の殲滅および巨大要塞の破壊を遂行するのだ」
「「「「「ラジャー!」」」」」
 五人が一斉に敬礼して応える。誰もが世界の平和を守るという使命感を熱く燃え上がらせていた。
 あたしだけが返事をすることができずにいる。皆の様子を見守りながら、ただ黙って立っているだけだ。
「セイギパピヨン。お前も出動するんだ」
 長官の言葉に、あたしは耳を疑った。
「待ってください、長官!」
 間髪を容れずに青山くんが異を唱える。
 長官の前に詰め寄り、デスクに両手を叩きつけた。
「お言葉ですが、それだけは受け入れられません! ムシ怪人軍団はあいつの古巣みたいなもんでしょう! そんな場所へ連れて行って、まんまと裏切られたらどうするつもりですか!?」
 怒りに満ちた声でまくし立てる青山くん。長官は黙って手を組み、青山くんの視線を受け止める。
 それを見て、青山くんは長官の言わんとすることを察したようだった。
「まさか、これも……」
「政府の命令だ」
 長官の返答を聞いて、青山くんは言葉を失う。
 しかしすぐに唇を噛み締め、両手を強く握り締めた。
「政治家は何を考えてるんだ! スパイ同然の奴に背中を預けて戦えるわけないじゃないか!」
 激情に任せ、吐き捨てるように叫ぶ。他のメンバーも口には出さないが、同じような気持ちなのは明らかだった。
「いい加減にしろよ、駆潤! 恩菜が俺達の仲間だってことは、今までの生活で分かってるはずだろ? こいつは絶対に裏切ったりしない!」
 捏結が青山くんの肩を掴み、必死に訴えかける。
 だが彼は振り向きざまに腕を振り払い、睨みつけるように言い返した。
「お前こそ、いつまでふざけた色ボケを……!」
 我慢が限界に達したのか、青山くんが拳を振り上げる。全員の間に緊張が走った。
「止めろ青山!」
 部屋が揺れるほどの大声。長官だ。一瞬にして室内は静まり返る。
「も、申し訳ありません!」
 青山くんはその場で深く頭を下げた。他の皆も冷や汗を流している。あたしも心臓が止まるかと思った。
 場が収まったのを見計らい、長官は大きく溜息を吐く。
「俺も彼女の件に関する政府の介入は気に食わん。独自に探りを入れているが、結果が分かるにはもう少しかかりそうだ」
 そして全員の顔を眺め回してから、力強く言った。
「とにかく今はムシ怪人軍団との、ジャーククロスとの決戦に何としても勝利しなければならん。セイギパピヨンの力は絶対に必要だ。彼女の参戦を認めてくれ」
 誰も口を開かない。お互いの顔を見るばかりで、意見を言う者はいなかった。
 拙いな。ここで長官が強引にあたしを出動させたとしても、こんなバラバラの状態で勝機があるとは思えない。それこそ全滅しに行くようなものだ。
「長官、お願いがあります」
 あたしは沈黙を破り、口を開いた。
 全員がこちらに注目する。覚悟を決めなければならない時が来たのだ。
「セイギーズのメンバーに、あたしの生殺与奪の権限を与えてください。あたしが裏切ったと思ったら、彼らの判断で始末してもらって構いません」
 さすがの長官も眉間にしわを寄せた。
 捏結が慌てて近づいてきたので、鳩尾みぞおちに肘鉄をかまして黙らせる。
「後悔しないか?」
 しばらく考えてから、長官はそう訊ねてきた。
「はい。あたしは仲間を信じていますから」
 迷いのない口調で言うと、長官は静かに息を吐き、それから皆を見渡した。
「異論は」
 ここに至っては青山くんも反論できないのか、渋々といった様子ながらも黙っている。他の三人はずっと押し黙っていた。
「……分かった。許可しよう」
「ありがとうございます」
 長官に向かって一礼する。
「ただし! 条件がある」
 長官は厳しい顔つきになった。
 念には念を入れて、爆弾の首輪でも付けていけと言われるのか。
「生きて帰れ。必ずだ」
 意外な言葉だった。長官の目をじっと見つめ返す。
 一瞬も揺らぐことのない眼光。出任せを言っているとは思えなかった。
「ラジャー!」
 姿勢を正して敬礼すると、長官は満足げな笑みを浮かべた。
「よし! セイギーズ出動だ!」
 捏結があたしに親指を立て、勢いよく部屋を飛び出した。
 続いて青山くんが、ものすごーく不本意そうな顔をしながらも大人しく出て行く。それを見て、残り皆も後に続いた。
 最後はあたしだ。皆の背中を追いかけられる。もう一度、皆と一緒に戦うことができる。
 込みあげてくる嬉しさを抑えきれず、あたしは満面の笑顔になっていた。

 * * *

 セイギガンシップに乗り込み、太平洋のムカデ要塞へと急ぐ。
 セイギーズは既に変身しており、スーパーセイギモードになっている。最高速度で飛び続けていると、やがて大海原の上に突き出す巨大な影が見えてきた。
「敵襲! 前方より多数の怪人反応あり!」
 操縦席から報告が飛んでくる。要塞の方を見ると、空を埋め尽くさんばかりのローチ兵が押し寄せてきていた。
「回避は無理だな……戦闘態勢! ヘリはここまででいい!」
「了解! ご武運を!」
 ドアを開け、セイギーズの皆が外へ飛び出す。
 スーパーセイギモード時は背中に装着したセイギブースターを使い、制限時間付きだが飛行も可能なのだ。あたしは当然、自前のはねで空を舞う。
「一気に雑魚を蹴散らし、要塞に突入する!」
 青山くんの指揮の元、五人が各々のスーパーセイギアームズを手にローチ兵を迎え撃つ。
 セイギサーベル、セイギトンファー、セイギメイス、セイギカッター、セイギボウ、それぞれの必殺技が放たれ、瞬く間に数十体規模の敵をほふっていく。
 一点集中の攻撃により、ローチ兵の大群に大きな穴が空いた。そこを全員で飛び抜ける。奴らを振り切って眼下を見下ろすと、要塞全体が視界に映った。
 間近に見ると、改めてその巨大さに圧倒される。海上に出ているだけでも50メートル近い高さがあるだろうか。
 主砲の威力は考えるまでもなく、上陸しただけで都市を壊滅できるだろう。絶対に破壊しなければならない。
「ずぉりゃあああっ!」
 セイギメイスを構えたセイギイエローがドリルのごとく高速回転しながら突撃し、ムカデの額に当たる部分へ全身全霊を込めた一撃を放った。
 轟音と共に要塞が揺れる。装甲の一部を砕き、突破口が開かれた。すかさずあたし達は内部に突入する。
 要塞の内部は狭くて薄暗かったが、行動に支障はない。壁や床には様々なパイプやケーブルが張り巡らされ、不気味な駆動音を立てていた。
「先に行け。少しでも妙な真似をしたら、そのキレイな顔をフッ飛ばしてやる」
 セイギブルーがあたしに指示を出す。
 それは分かったけど、セイギトンファーを鼻先に向けるのは止めてほしい。グリーンバッタのキックを跳ね返せるほどの威力があれば、あたしの頭は豆腐みたいに潰されるだろう。
 あたしは周囲に気を配りながら、一本道の通路を進む。ローチ兵や怪人の気配は感じないが、ここは敵の本拠地だ。いつ襲われてもおかしくない。
 しばらく進むと、突き当りにドアがあった。警戒しつつドアを開けると、その先は広い空間になっていて、部屋の中央で何者かが待ち構えているようだ。
 その姿を目にした瞬間、あたしは驚きで目を見開いた。
「久しぶりだな、ピンクモス」
「レッドビートル!? それに……」
 ブルースパイダー、グリーンバッタ、イエローワスプ。
 セイギキャノンによって葬られたはずのムシレンジャー達がそこにいた。
「お前ら、生きてたのかっ!?」
 あたしをかばうように飛び出したセイギレッドが叫ぶ。
「怪人だからな。コアさえ無事なら肉体などいくらでも再生できる。俺達は再生ムシレンジャーだ」
「再生怪人だって? カッコイイぜ……!」
 空気読めバカ。
「なぁ、恩菜にもコアあんの?」
 あるかバカ。
「こりゃおあつらえ向きじゃないか。お前が奴らを倒したら、スパイじゃないって信用してやるよ」
 セイギブルーの言葉を聞いて、内心で溜息をつく。
 スパイがどうとか言う以前に、あたし一人であの四人に勝てるわけがないのだ。あたしはムシレンジャーの中で最弱なんだぞ。
「待てよ、一人で戦わせようってのか!」
「お前は黙ってろ。どうした、戦えないのか、セイギパピヨン」
 セイギレッドが異議を申し立てるも一蹴される。
 この場面で初セイギパピヨン呼びとか、青山くんって、こんな性格悪かったかなぁ。
「いいよ、セイギレッド。ここはあたしに任せて、先に行って」
「だけど……!」
「確かに勝ち目は無いけど、足止めくらいはしてみせる。皆は力を温存しておくべきだよ」
 この先で待ち受けるゲルマリオスは恐ろしく強い。こんな所でセイギーズを消耗させるわけにはいかないんだ。
 広げたはねを羽ばたかせ、床を蹴って宙に浮く。鱗粉がジャークストーンにも効果があるかは分からないけど、あたしの武器はこれしかない。何とか時間を稼げればいいけど。
「あたしは舞い踊る正義の蝶! セイギパピヨン!」
 ずっと言いたかった名乗りを高らかにあげ、全速力で突っ込む。
 レッドビートルは腕組みしたまま微動だにしない。構うものか。このまま玉砕覚悟の体当たりを食らわせてやる。
 更に加速しようとした時、レッドビートルの陰からブルースパイダーが飛び出してきた。
「スパイダー・ストラングル!」
 両手の指先から噴射された青い糸があたしに絡みつく。部屋の天井や壁にまで貼り付いた大量のクモ糸に、一瞬で体の自由を奪われた。
 しまった……!
 これは最大で直径十メートルにも及ぶ巨大なクモの巣を自在に操る、ブルースパイダーのピッチ能力だ。その粘着力と拘束力はレッドビートルでも引き千切れない。
「くそっ! 放せっ!」
 力任せに振り解こうとするが無駄だった。はねは動かせず、鱗粉も飛ばせない。一瞬で詰んでしまった。
 てかこれ、いつぞやのムシレンジャーホイホイみたいだな。色んな意味で嫌すぎる。
「チッ、大口叩いといてこのザマかよ」
 セイギブルーの舌打ちが聞こえたので、どうにか首だけ捻じ曲げると、セイギーズの皆は無事にクモの巣を避けられていたようだ。
 ピッチ能力は強力な分、一度使うとしばらく使用不能になる。これで皆がブルースパイダーの餌食になることはないだろう。
「大人しくしていろ、ピンクモス。セイギーズを始末した後、ゲルマリオス様にお許しをいただけるよう頼んでやる」
 レッドビートルが身動きできないあたしの頭をポンと叩く。
 聞き分けのない子供をあやすような態度に、怒りが込みあげた。
「ふざけるなっ! あたしはピンクモスじゃない! セイギパピヨンだ! 二度とジャーククロスなんかに戻るもんかっ!」
 必死に身を捩りながら怒鳴りつける。するとブルースパイダーが冷めた声で口を開いた。
「勇ましいことだが、セイギーズに居場所があるようには見えんがね。それとも昆虫の知能では人間の絆とやらを理解できんだけかな?」
 くっそこいつら、要塞に入ってからのあたし達の様子をずっと見てやがったな。
「変な意地張ってないで帰っといでよ。アタイらは別に気にしてないもん。また一緒にゲームしようぜぃ」
「それに一人欠けちまったら、俺達ムシレンジャーのスペシャルファイティングポーズは決まらないしな」
 イエローワスプとグリーンバッタもあたしを迎え入れようとしてくれているらしい。
 誘惑に負けそうになるが、ぐっとこらえた。長官が与えてくれたチャンスを棒に振ることはできない。
 あたしが成すべきは、正義と平和を守る任務を全うすることだけだ。
「セイギパピヨン! 今助ける!」
 セイギレッドの声に振り返る。皆の制止を押し退けて、こちらへ駆け寄ろうとしていた。
 あたしに構わず先に行け。
 そう叫ぼうとした時、手首の通信端末が震えた。
 これは長官からの緊急連絡だ。だけど他の皆には届いていないのか、ひたすら四人でセイギレッドを止めようと格闘している。
 とにかく今は通信に出よう。クモの巣の中で指先を動かし、応答ボタンを押す。
 何故かノイズ音が酷く聞き取りづらい。全集中で耳を傾け――
 聞こえてきた言葉に、全身の血が凍るような衝撃を受けた。
「皆、逃げて!」
 ありったけの大声を振り絞って叫ぶ。
 揉みくちゃになっていた皆が一斉にこっちを見た。全員、何言ってんだコイツという様子だ。
 それでも黙るわけにいかない。あたしは続けてまくし立てる。
「早く逃げて! 今すぐ! 米軍のミサイルが狙ってる!」
 皆の反応は変わらない。
 逆に不信感が強まってしまったらしく、あたしに向けられる視線はますます険しくなった。
「何を訳の分からないことを。同士討ちでも狙ってるのか? とうとう化けの皮が剥がれ……」
 セイギブルーの言葉は最後まで続かなかった。
 凄まじい轟音と共に壁が吹き飛び、爆炎が視界を埋め尽くす。一発だけじゃない。連続して何度も何十発ものミサイルが降り注ぐ。
 防御も回避もできないまま、一瞬で意識を刈り取られた。

 * * *

 目を覚ました時、見えたのは瓦礫がれきの山となった部屋だった。
 あたし達のいるムカデ要塞の頭部分は崩落していて、外の海が見えている。一体、どれだけの爆撃があったんだろう。
 どうやらあたしはまだ生きているようだ。手足を動かせるし、痛みもない。
 これほどの攻撃を受けてよく助かったものだと感心するも、ふと、目の前に赤いバリアが張られていることに気が付いた。
 ビートル・バリケード!
 じゃあ……!
「全ての力を余さず防御に回さねば危なかったな……助かったぞ、ピンクモス……」
 あたしのすぐ後ろにレッドビートルが立ち、ピッチ能力を発動させていた。周囲には他の三人も押し合うようにして集まっている。よくよく見れば、レッドビートルを中心にした数メートルほどの円内だけが無傷のままだった。
 彼らは、ムシレンジャーは、あたしの言葉を信じたんだ。
 ミサイルによる一斉攻撃を予感し、それを防ぐことのできる能力を迷わず使った。そして、あたしも一緒に守ってくれた。
 レッドビートルはジャークストーンのエネルギーを使い果たしたのだろう「ここから先に絶対行かせない覚悟がバリケード……」よく分からないうわ言を呟いてぶっ倒れた。
「どうなってるんだ、これは」
「セイギーズごと殺そうとしたってのか?」
 ブルースパイダーとグリーンバッタも混乱気味に周囲を見回す。
 イエローワスプはただ呆然と立ち尽くしていたが、やがて我に返ると慌ててレッドビートルを揺すり始めた。
「ちょっと、ねぇ、起きてよぉ。これどういうこと?」
 しかし、いくら呼びかけても反応はない。完全に気絶してしまったようだ。
「そうだ! 皆は……」
 あたしも立ち上がり、セイギーズの姿を探そうと辺りを見渡す。
 だが、そこにあったのは無残な光景だった。
 爆殺され、バラバラの屍となって散らばっている仲間の姿。
 超古代文明の技術で作られたセイギスーツも、現代兵器による容赦ない飽和攻撃の前には無力でしかなかったのだ。
 一人だけ全身が黒焦げになりながらも、人の形を保っている者がいた。
 近くで確かめなくても分かる。捏結だ。
 でもピクリとも動かない様子からは、もはや命がないことは明らかだった。
 守りたかった相手はあたしを信じてくれず、守るつもりがなかった相手にあたしは救われた。あまりにも皮肉な現実に涙も出やしない。
 どうしてこんな……あたしだけならまだしも、何故セイギーズの皆が殺されなければならないんだ!
「おい、何か来る!」
 ブルースパイダーが空の一点を指差す。その先には、こちらへ向かって飛来する航空機の姿があった。
 あの形はC-17輸送機だろう。だとすると米軍の部隊か?
 だけど米軍はジャーククロス出現の初日に完敗をきっしたはずだ。戦闘機が呆気なく撃墜され、空母が轟沈していく映像は全世界に衝撃を与えた。
 それがどうして、今またジャーククロスに戦いを挑もうとするのか。
 混乱するあたしを他所に、要塞からローチ兵の群れが飛び出し、輸送機へと襲いかかっていく。すると輸送機が空中で扉を開けたのか、機体後部から黒い影がばら撒かれた。それらは次々と要塞に向かって飛来してくる。
 戦闘機じゃない。ドローンでもない。
 人間の姿……それもセイギスーツを身につけているように見える。
 ただ色はセイギーズのように一色ではなく、青・白・赤のトリカラーで、頭部には星形のエンブレムがあった。
 人数もかなり多い。セイギストーンはあたしと融合しているものも含め、今まで六個しか見つかっていないはずなのに、輸送機から飛び出してきた奴らは少なくとも五十人はいた。
 セイギーズのパチモノでも用意してきたのか?
 でも、奴らはローチ兵をそれこそムシケラのように蹴散らしていく。強さは本物と遜色ないように思える。
 わずかに感じるエネルギーもセイギストーンに似ているようだ。何なんだコイツら。
 ローチ兵を全滅させたセイギーズモドキは、ビームガンでムカデ要塞を攻撃し始める。ムシレンジャーの生存に気が付いたのか、狙いがこちらに集まろうとしていた。
 つなたい。あの人数に襲撃されたらひとたまりもない。
「皆、離れてろ!」
 グリーンバッタが駆け出し、両手を振り上げて叫ぶ。
ーーーーーッ!」
 彼の雄叫びに呼応し、ジャークストーンのエネルギーがオーラ状になって全身を包む。緑色の体表が暗褐色に変化していき、周囲のオーラが徐々に形を成していく。
「バッタ・ランペイジ!」
 オーラが爆発し、何十体もの分身が現れた。
 それぞれが空高く跳躍し、セイギーズモドキに襲いかかっていく。
 多数の分身を作り出し、聖書にすら記されている全動物界最強最悪の害虫たる飛蝗ばったの猛威を振るう、グリーンバッタのピッチ能力。勘違いされがちだが、数千億以上もの物量で国を滅ぼしかねないほど植物という植物を食って食って食いまくるのはイナゴではなくバッタなのだ。
 ただし、この分身は本体であるグリーンバッタにすら制御が利かない、とにかく目につく相手を片っ端から食らい尽くすだけのバーサーカーという厄介な能力でもある。味方にも被害が出る恐れがあるため、今までは封印していた。デカいバッタに人間の手足が生えた姿という分身のキモさも封印の一因だったりするが。
 今回、分身達は上手い具合にセイギーズモドキだけを狙っている。
 空中で繰り広げられる大乱闘を眺めながら、あたしは一息つきながらも、この事態の異常さを飲み込めずにいた。
「ねぇ、何なのコレ? アイツら、人間でしょ? 何でセイギーズを殺しちゃうわけ?」
 あたしの隣に立ったイエローワスプがはねを引っ張りながら尋ねてくる。
 そんなのこっちが聞きたい。こんな作戦、何も説明されてない。
 ミサイル攻撃を防げたのも、ギリギリのタイミングで長官の通信が届いたからだ。
 そうだ、長官!
「長官! 応答願います! 長官!」
 必死に呼びかけ続けていると、長いノイズの後、ようやく声が聞こえた。
「その声は……セイギパピヨンか。無事だったのだな」
 連絡は繋がったものの、やはり様子がおかしい。
 声に力がないし、長官の周囲が妙に騒々しい気がする。まるで戦場にいるかのような雰囲気だ。
 そのことを尋ねる前に、長官が聞き返してきた。
「他のメンバーは?」
 あたしは返答に詰まる。
 でも、その沈黙だけで伝わってしまったようだった。
「そうか……もう少し早く情報を掴めていれば、むざむざお前達を死地に追いやりはしなかったものを……!」
 悔しさをにじませるような声で呟く。
「長官、この状況は一体!? あの米軍の部隊は何者なんですか!?」
 あたしの質問に対し、しばらく答えは返ってこなかった。どうやら考え込んでいるらしい。
 やがて彼は言った。
「……ネオセイギーズ計画」
「ネオ、セイギーズ計画……?」
 オウム返しするしかないあたしに、長官は静かに語り始める。
「あの日、ジャーククロスは世界中に現れた。だがセイギーズが誕生したのは日本だけだ。その理由が分かるか?」
「それは……偶然なのでは」
 セイギストーンが発見された場所が偶々日本に集中していただけのことではないのか。
 あたしが答えると、長官は「違う」と短く否定した。
「アメリカが仕組んだのだ。最初のセイギストーンはメキシコで発見された。それを秘密裏に入手し、日本へ持ち込んだ。後の五つも同じ。実際に日本国内で発見されたセイギストーンは一つも無い」
「何でそんな、メンドーなことすんの?」
 問い返したのはイエローワスプだ。
 ふと見れば、ムシレンジャー全員があたしの近くに集まり、長官との通信に耳を傾けている。
 長官も質問の相手がイエローワスプだと察しているようだけど、気にする必要は無いと判断したのか、そのまま話を続けた。
「米軍も最初はセイギストーンの適合者を見つけ、戦士としてジャーククロスと戦わせるつもりだったようだ。だが世界規模の軍事力を備えるジャーククロスに対し、セイギストーンの数はあまりに少なすぎた。そこで新たな方針が打ち出される。現代の科学力による現代のセイギストーンの製造と適合者の量産……それこそがネオセイギーズ計画なのだ」
 あたしは絶句してしまった。
 運命によってセイギーズに選ばれ、戦ってきたと信じていたのに。
 それが全部、作られたシナリオ通りだったというのか。
「新しくセイギストーンを作り出すには、実際に適合者を用意し、戦わせ、詳細なデータを集める必要があった。そのために日本は実験場として利用されたに過ぎない。アメリカによって装われたセイギストーン発見に、日本政府はロクに疑いもせず飛びついたそうだ。議員の先生方にとっては自分達の責任で自衛隊を国防軍として運用するより、国の危機に颯爽さっそうと現れた正義のヒーローへ丸投げする方がはるかに楽だからな。そしてセイギーズは誕生した。だが君達は、我々は、ただのモルモットでしかなかったのだ。ムシ怪人に改造された君をセイギポリスに受け入れさせたのも、多様なデータを欲しがったアメリカの意向だ。もっとも日本政府はネオセイギーズ計画の存在すら知らされていなかったようだがな」
 あまりにも残酷な真実を聞かされ、頭が混乱して思考が纏まらない。代わりにグリーンバッタが口を開く。
「じゃあ、あの連中はアメリカが人工的に作ったセイギーズ……言わば量産型セイギーズって訳か。しかし、何で俺達だけじゃなく、セイギーズまで殺すんだ?」
「完璧なコピーさえ完成したら、オリジナルなど邪魔だってことさ」
 今度はブルースパイダーが会話に加わる。長官は感心するように続けた。
「その通り。セイギーズが消えれば、ジャーククロスに対抗できる戦力はアメリカの独占状態だ。この戦いの責任は全てジャーククロスに押し付けられ、誰にも責められない。まさに理想的な展開だよ」
 長官の言葉からは自嘲の響きが感じられた。
「我々の信じていていた正義とは何だったのだろうな。あるいは初めから、正義など存在しなかったのかもしれない」
 長官は疲れ切った様子で語る。その気持ちはあたしにも痛いほど分かった。
 戦いの果てに悪の手によって倒れるならともかく、今まで自分達が命を懸けて守ってきた側の手で殺されるなんて、あんまりじゃないか。
「お前達はなかなか優秀だな。できるなら、俺もそちらへ寝返りたいくらいだよ」
 冗談っぽく言う長官。それを聞いて、あたしはようやく一つの可能性に思い至った。
 アメリカがセイギーズの排除を目論んだのなら、セイギポリスだって攻撃目標になっているはずだ。呑気のんきに通信なんかしている場合じゃないだろう。
「長官! 逃げてください! セイギベースも襲われるかも知れません!」
 必死に訴えかけるも、長官は落ち着いた口調で言い放った。
「もう遅い。既にジャーククロスによる総攻撃が始まっている」
 咄嗟にレッドビートルを見下ろすと、彼は小さく首を横に振った。
 ムシ怪人軍団も知らない作戦か、あるいは。
「セイギポリスにも少なくない内通者がいたようだ。セイギデバイスへの細工まで済ませているとはな」
 長官は溜息を吐くように呟く。だからあの時、他の皆には長官の通信が届かなかったのか。あたしの端末は皮膚に埋め込まれているから、手出しできなかったみたいだけど。
「できればアメリカの陰謀を暴露してやりたいところだが、恐らくこの通信が限界だろう。我々は間もなく全滅する」
 通信の後ろに聞こえる騒音が次第に激しくなっていく。破壊音や爆発音まで聞こえてきた。
「諦めないでください! 今すぐ救援に向かいます!」
 あたしは精一杯の気力を奮って叫ぶ。けれど長官は冷静だった。
「君の正義に感謝する……だがもはや俺はここまで。従って、現時点を以ってセイギーズを解散する!」
 いつも頼もしさを感じていた、長官の決断の声。
 でも今は、死刑宣告のように冷たく響いて仕方がなかった。
「君にはもう、人類の平和を守る義務はない。己が心の正義に従って戦え。君の未来に幸多きことを祈る……さらばだ」
 そう告げると、長官は一方的に回線を切断した。
 あたしは呆然と立ち尽くすしかない。
 これからどうすればいいのか、まるで分からなかった。
 いっそネオセイギーズとやらに殺してもらおうか。そう思って空っぽの視線を上げる。
 その時、生首が飛んできて床に転がった。
「げ」
 あたしは反射的に声を上げた。分身バッタにやられたネオセイギーズの一人だろう。
 じっと見つめれば、不思議と悲しみも哀れみも湧かなかった。無造作に蹴っ飛ばし、生首を海に捨てる。
 空を見ると、最後に残った分身バッタとネオセイギーズが、もつれ合いながら海に落下するところだった。
「どうやら殲滅できたか」
 グリーンバッタが安堵あんどした声で言った。彼のピッチ能力は特に強力なため、再使用までには一日近い充填時間が必要になる。
「いや、あれは敵の一部だな。既にニ部隊、要塞へ侵入されている。直にここへも押し寄せてくるぞ」
「ヤバいじゃん。早くゲルマリオス様を助けに行かないと」
 通信端末で戦況を調べていたブルースパイダーに、イエローワスプが慌て気味に詰め寄る。その直後、部屋が揺れ、床の一部が下から吹き飛ばされた。
 もう他のネオセイギーズが現れたのかと身を固くするも、床に空いた穴から現れたのはゲルマリオスだった。
「ゲルマリオス様!」
「ご無事でしたか!」
 ムシレンジャー達が駆け寄っていく。
 だが、ゲルマリオスが無事ではないのは明らかだ。全身は血塗れになり、左目が潰れ、右腕も肩口から千切れかけている。左手には力任せにへし折ったらしい、ネオセイギーズの上半身を握っていた。
「始めに突っ込んできた連中は皆殺しにしたが……全員、無事か」
 苦しそうな呼吸を繰り返しながらも、何とか絞り出すようにして尋ねるゲルマリオス。たった一人で、恐らくは百人近いネオセイギーズを倒したのか。その凄まじさに圧倒される。
 こんな化物幹部が揃っている悪の組織に、たかが五人程度のヒーローで勝てる訳がないのだ。アメリカが数の力に頼ったのも無理はなかったと思う。
「ゲルマリオス様、この場は我々が引き受けます! 直ちにご撤退を!」
 少しは回復したのか、起き上がったレッドビートルがひざまずいて進言する。だがゲルマリオスは厳しい表情のまま、ゆっくりと口を開いた。
「吾輩のコアはとうに限界を超えておる。今更逃げたところで、どのみち助からんよ」
「ならば、我々も最後までお供を!」
 レッドビートルに続いて、ブルースパイダーも迷いなく言いきる。
 ゲルマリオスは静かにかぶりを振った。
「捨て駒は一枚あればいい。お前達の戦闘力はジャーククロスにとってまだ価値があるだろう。我が友、ゼノ・カゲ将軍を頼れ。奴ならば悪いようにはせん」
 動揺する四人に背中を向け、ゲルマリオスはあたしの方へと向く。
「ピンクモス……いや、セイギピンク」
「どっちでもいいですよ」
 あたしは投げやりに答えた。
 もう何が正しいとか、間違ってるとか、そんなことは考える気にもならない。
「一つだけ聞きたい。アレは正義か?」
 途中で切断された触覚で空を指し示す。
 その先には、第二陣のネオセイギーズ部隊を乗せているだろう複数の輸送機が飛んでいた。
 もう一度、無惨に殺されたセイギーズの皆に視線を向け、あたしは答える。
「人類の、正義です」
「……そうか」
 ゲルマリオスは大きく息を吐き、あたしを正面に見据えた。
「人間の感覚はよく分からん」
 呟くようにそう言うと、あたしの横を通り過ぎ、崩れ落ちた部屋の端まで歩いていく。
「だが己の生存のため、時には同族すら踏みにじり、ただひたすら生き永らえんとする姿は理解できる」
 振り返り、彼はあたしを見下ろして続けた。
「何が万物の霊長だ。ヒトもムシも、変わらんではないか」
「ですね」
 嫌味でも何でもなく、自然にそう思った。
 いや、むしろ人間の方が質が悪いかも知れない。
 人間は異質なもの、管理できないものを絶対に許容しない。超古代文明が遺したセイギストーンとジャークストーンは、現代の人類にとって本質的に同じものだったのだろう。
 正義も悪もない。人類の異物という、同一のカテゴリの中にあった。
 だから排除するしかない。ネオセイギーズを、人類の秩序を守る正義の力を生み出して。
「さて、お喋りはこの辺にしておこうか」
 ふっと笑うと、ゲルマリオスは左手を突き出す。
 周囲の空気が渦を巻き、黒い電撃を放ってゲルマリオスの体を取り巻いた。
「ぶるぅうあぁあああああっ!」
 雄叫びをあげ、ゲルマリオスを中心に巨大な雷球が形成される。激しく放電しながら雷球が大きさを増し、ゲルマリオス自身の肉体も膨れあがっていった。
 ものの数秒で数十メートルもの巨人へと変貌を遂げる。こんな切り札を隠し持っていたのか。
 だけど、その体は全身にヒビが入り、焼けただれたようになっている部分もある。明らかに異常な、いつ崩壊してもおかしくない状態だった。
 これが彼の最後の攻撃なのだと直感的に悟る。
「ゲルマリオス……様」
 これもごく自然に、様、と敬称を付けてしまった。
 我が身を顧みず、仲間のために死を覚悟して戦う。
 それはあたしが憧れ、目標としてきたヒーローの姿そのものだった。
「行け。無駄死には許さん」
 ぶっきらぼうに言い放ち、振り向かずに前を見据える。
 ゲルマリオス様の巨大化を察知したネオセイギーズが、次々と輸送機から飛び出し、要塞に迫ってきていた。
「ジャークサンダーインフェルノォ!」
 漆黒の雷光がゲルマリオス様の全身から迸る。はねを広げ、自らを稲妻と化したゲルマリオス様が、ネオセイギーズ部隊と輸送機に向かって突撃した。
 凄まじい衝撃と閃光、轟音。輸送機が炎を噴いて爆散していく様は、まるで汚い花火のようだった。
 ムシレンジャーがジャーク敬礼でゲルマリオス様を見送る。
 あたしも躊躇とまどわず、同じ姿勢を取った。
「ゲルマリオス様の温情を無駄にするな! 速やかに撤退する!」
「要塞の自爆装置を起動した! 最終フェーズまで五分だ!」
 レッドビートルの言葉を受け、ブルースパイダーが叫ぶ。全員が慌ただしく走り出した。
 あたしはただ一人、皆に背を向け、黒焦げになった捏結の遺体へ歩み寄る。
「何してんの! そいつら、もう死んでるじゃん!」
 イエローワスプがあたしをとがめるが、構わず捏結や、バラバラに吹き飛ばされた皆の体を集めていく。
「この人達は、人間だから」
 昆虫は死ねばただ土に還るだけだ。けど人間にはとむらいの文化がある。あたしはもう人間を辞めるけど、彼らには最後まで人のままでいてほしい。
 実験体でも、捨て駒でもない、この世界に生まれてきた尊い命として。
 それが、あたしが彼らにしてあげられる唯一の手向けだと思うから。
「……フン」
 小さく溜息をつき、ブルースパイダーが進み出る。六本の腕を振り、ピッチ能力でクモの巣を放ってセイギーズ全員の遺体を包み込んだ。
「いいの?」
 てっきりこのまま置いていかれて、要塞ごと海の藻屑になると思っていたのに。
 ブルースパイダーは肩をすくめ、少しだけにらみつけるような視線を送ってきた。
「運賃代わりだ。また忘れられたら洒落にならんからな……しっかり運べよ」
 いつぞやのボーリング大会で置き去りにしたこと、きっちり根に持ってたらしい。
「どうするよ?」
「まぁ、死体からセイギストーンを回収できれば、ゼノ・カゲ将軍への良い手土産になるかもしれん」
 レッドビートルの判断に、渋い顔をしていたグリーンバッタもやれやれといったふうに納得したようだ。イエローワスプは特に文句も無いのか、クモ糸を引っ張って、あたし達をグルグル巻きにしている。
「いーよ、ピンクモス!」
 イエローワスプの合図を受け、あたしは胸に手を当てて深呼吸をした。
 この身に宿っているのは、セイギストーンなのか、ジャークストーンなのか。
 どっちでもいいか。力は力だ。あたし自身の、正義の力だ。
 全身にエネルギーを行き渡らせ、意識を集中する。あふれ出る力がはねに流れ込み、はね全体が光り輝いた。
「モス・エアリアル!」
 光のはねが大きく引き延ばされ、怪獣の翼のように形を変える。虹色に光り輝く巨大なはねは、さながらオーロラを背負っているかのようだった。
 エネルギーで強化された光のはねでの高速飛行があたしのピッチ能力だ。
 突風を巻き起こし、ムシレンジャーとセイギーズの遺体を引き連れて、軽々と空へ舞い上がる。
 ネオセイギーズに追撃されないよう、一気に上空へと飛び上がった。
 遥か眼下ではムカデ要塞が自爆を始めている。真っ青な大海原に紅蓮ぐれんの火柱が立ち、黒煙が天高くまで昇っていた。
 あれは墓標だ。
 世界の平和を守るために戦い続けた、誇り高き正義のヒーロー達の。
 米軍部隊は全滅しただろうか。それとも、まだ残存戦力が残っているのか。気になるけど、今は無事に生還しなければ。光のはねを羽ばたかせ、あたしは更なる上空へと飛翔した。
 さよなら、人間共。

 * * *

 空一面に、どんよりとした雲が広がっている。今に崩れそうな天気は、まるで目の前の光景を表しているかのようだった。
 雑草だらけの狭い裏庭。高い塀に囲まれ、多少騒いでも外に聞こえないだろう。集まっているのは幼い子供達ばかりだが、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべた姿は、とても子供とは思えないほどに醜悪だ。
 手には玩具の剣、バット、棒切れなどが握られていて、明らかに暴力に慣れ親しんでいる様子が見て取れる。
 壁際で彼らに囲まれているのは、せ細った一人の女の子。自分を守るように体を抱き締めたまま震えている。
「お願い……もう止めてよぉ」
 弱々しい声で訴えかける彼女の声は、まるで小鳥が鳴いているかのように細く小さいものだった。
「ちゃんと毎日お掃除してるよ……プリンもいらないよ……もう許してよぅ」
 涙目で訴える彼女に対して、子供達はますます嘲笑を強める。
 リーダー格らしき男の子が、持っていた木の枝を思い切り振り下ろした。乾いた音を立てて彼女の頬が叩かれる。
「うるせぇよブス! 黙れ!」
 再び、バシッと音が響く。
 痛みと恐怖に耐えきれず悲痛の声を上げると、他の子供達が一斉にはやし立てた。ゲラゲラという耳障りな笑いが辺りに響き渡る。
「ただでさえ怪人退治がなくなってストレス溜まってんだよ……これ以上いらつかせんな!」
「あんたは恵まれた幸せ者なんだから、可哀想な私らに奉仕するのは当然でしょうが」
 女の子は泣きらした顔のまま、うつむいて体を震わせていた。
 その姿が更に気に食わなかったらしく、先頭にいたリーダー格の男子が再び腕を振り上げる。女の子は固く目を閉じて身を強張らせた。
 おびえながら痛みをこらえようと唇を噛む。
 しかし、いつになっても予想していた衝撃は来なかった。
 不思議に思って恐る恐るまぶたを開くと、腕を伸ばしたまま硬直している男の子の姿があった。目を見開き、口の端からはよだれが垂れている。
 彼だけではない。他の子供達も皆、喉を押さえ、えずくような仕草をしながら、一人、また一人と膝を突き、地面に突っ伏していく。
 数分も経たないうちに、全員が白目を向いて気絶した。
 女の子は何が起こったのか理解できず、呆然となっている。
 余計に怖がらせてしまわないよう注意しながら、あたしはそっと彼女に近寄った。
「絽莉ちゃん、大丈夫?」
 声をかけると、彼女は一瞬、ビクリと肩を揺らす。
 しかしすぐに相手があたしだと気づくと、大きな瞳に溜まっていた涙をポロポロとこぼし始めた。
「お姉ちゃんっ……!」
 そのまま駆け寄って来ようとしたみたいだけど、足がもつれてしまったのか転んでしまう。
 慌てて抱き起こすと、絽莉ちゃんはあたしの胸に顔を押しつけて泣きじゃくった。
「お姉ちゃん……お姉ちゃぁん……うわあああぁぁぁん!」
 我慢していた感情が爆発したらしい。嗚咽おえつを上げながら必死にしがみついてくる。
 背中をでながら、あたしは優しく語りかけた。
「どうしたの? 絽莉ちゃんはそんなに泣き虫だったかな?」
「だって……セイギポリスの人達、皆死んじゃったって……!」
「……そうだね」
 あたしは目を伏せてうなずく。
 セイギベースの壊滅は確認済みだ。それこそ痕跡一つ残さず、何もかもが徹底的に破壊され尽くしていた。そのやり口から見て、襲撃したのはジャーククロスではないだろう。
 もっとも、日本国民がその事実を知ることはない。
 アメリカにまんまと乗せられた政治家達は誰一人としてその責任を取ることなく、今ものうのうと議員の椅子に座り、自国の力でジャーククロスと戦うどころか、多額の資金提供を条件としたネオセイギーズ部隊の日本配備を推し進めている。そのうち日本はアメリカの特別行政区にでもなるんじゃないかな。
「そうだ……庶太くん達はどうしたの?」
 絽莉ちゃんは地面に倒れて動かない子供達を見回して尋ねる。自分を散々痛めつけてきた相手なのに、心配するなんて優しい子だ。
 あたしは安心させるよう微笑んだ。
「絽莉ちゃんが虐められてたから、ちょっと懲らしめただけ。酷いことはしてないよ」
 こいつらには、あたしの鱗粉をたっぷり吸わせてやった。
 命を奪うような毒性は無いが、生身の一般人が大量に吸い込めば、気持ち悪くなって、苦しんで、気絶してしまう程度の効果はあるのだ。
「あたしね、絽莉ちゃんに隠していたことがあるの」
「お姉ちゃんが、私に?」
 あたしの胸に顔を埋めたまま、絽莉ちゃんは上目遣いで見上げてくる。
 うるんでいた瞳が大きく揺れ動いたのを見て、罪悪感が胸の奥底に湧き上がった。
 それでも今更引き返すことはできない。あたしはゆっくりと話を続けた。
「あたしは、本物のピンクモスなの。本物のムシレンジャーで、ジャーククロスの仲間なんだ」
 途端、大きく息を飲む気配を感じる。
 見る間に顔色が青ざめていき、小さな体が震え始めた。当然の反応だよね。
「じゃあ……セイギポリスの人達を殺したのは……」
「それはあたしじゃない。今の絽莉ちゃんには難しい話だと思うけど、セイギベースを襲ったのはジャーククロスじゃないんだ。それだけは信じてほしい」
 絽莉ちゃんの頭をでながら、真っ直ぐに目を見つめて話す。
 信じてもらえなくてもいい。拒絶されてもいい。
 ただ、絽莉ちゃんに嘘や誤魔化しだけは絶対に言いたくないと思った。それがどれだけ残酷な真実であったとしても。
 だからあたしは、自分の全てを晒した。
 しばらく黙り込んでいた彼女は、やがてぽつりと呟いた。
「お姉ちゃんは……これから、どうするの?」
 ああ、この子はあたしを受け入れてくれたんだ。
 それだけで、あたしは報われた気がした。
「あたしはジャーククロスに戻るよ。もう世界の平和を守る気は無いからね」
 そう答えると、あたしにしがみつく絽莉ちゃんの手の力が強くなった。
 なだめるように背中を擦りながら、あたしは言葉を続ける。
「だから、もし絽莉ちゃんが望むなら、一緒に連れて行ってあげる」
 彼女が顔を上げ、信じられないとばかりに目を見開いた。
 一人ぼっちにされるとでも思ったんだろうか。そんなことするはずないのに。
 顔も名前も知らない人達のヒーローなんかお断りだけど、絽莉ちゃんのヒーローにはなりたい。
 あたしはずっと、彼女の味方であり続けたい。
「本当に?」
「本当だよ。でも、よく考えて。ジャーククロスに行けば、絽莉ちゃんがお父さんやお母さんと暮らしたこの街には二度と戻れない。お友達にも会えなくなるよ」
 彼女はうつむいて考える素振りを見せた後、意を決した表情であたしを見上げた。
「私、お姉ちゃんと一緒に行く!」
 迷いの無い口調と強い眼差しに気圧されながらも、思わず苦笑した。
「そんなに簡単に決めちゃって良いの? 後で後悔しない?」
 絽莉ちゃんはあたしの腰にしがみつきながら叫ぶ。
「しない! パパとママが私を置いていった街なんて大嫌い! 友達だっていない! 誰も私を助けてくれなかった! 私に優しくしてくれたのは桃お姉ちゃんだけだもん!」
 彼女は泣きらした顔をぐしゃりと歪め、あたしのお腹に強く額を押しつけた。
 今まで誰にも言えなかった苦しみを全て吐き出すかのように。
 優しくしてくれたのはあたしだけ……か。
 ねぇ、絽莉ちゃん。それ、こっちの台詞なんだよ。
 あたしは彼女を抱き締める。最後に会ってからまだ半月も経たないというのに、その小さな体は驚くほど細くなっていた。
 食事もろくに与えられてなかったのか、肌の色艶いろつやは悪く、髪もボサついている。
 こんなになるまで頑張ったんだ。
 たった一人で、孤独に耐えて、絶望と戦い続けてきたんだ。
 君は強いんだね。あたしなんかより、よっぽどヒーローらしい。
 そんな子をジャーククロスに連れて行かなければならないことは心苦しいけど、その代わり、何があっても君を守り抜くことを誓おう。
 例え世界を滅ぼしてでも、君の笑顔を守るよ。
「お疲れ様、絽莉ちゃん」
 あたしの腕の中で小さく丸まった彼女に、少量の鱗粉を吹きかけた。少しだけ吸い込めば、苦痛は無く、安らかな眠りだけが与えられる。
 すぐに穏やかな寝息を立て始めた彼女を抱えて立ち上がった。
 地面に倒れている施設の子供達を見下ろしながら眉をひそめる。一番前で棒を持ったまま泡を吹いているのは庶太くんだ。
 残念だよ、庶太くん。
 君の絽莉ちゃんへの態度は好意の裏返しだって信じてたのに。
 本当にただ弱い相手をいじめたかっただけなんだね。
 ただ、この子達はまだ子供だ。それこそ善悪の区別などつかない年齢だろう。
 だからこそ、本来なら大人が教え導いてやらなければいけなかったというのに。
 あたしは建物の陰に倒れている男の元へ歩み寄った。
 子供達のことなど気にも留めず、逃げ出そうと手足をばたつかせていた吐瀉物としゃぶつにまみれの男は、あたしの姿を目にして顔を引きらせる。
 大人は同じ量の鱗粉を吸っても子供と違って意識までは失わないが、逆に苦しみが長引いてしまうのだ。
「ひぃっ! た、助けてくれぇ!」
 必死に命乞いをする醜悪な姿を冷たく見下ろす。
 こいつはずっと、絽莉ちゃんが殴られても蹴られていても見向きもしなかったくせに、自分の番になると途端に命を乞うてきた。
 吐き気がする。
 どうして命を懸けて、こんな奴らを守らなければならないと思い込んでいたのだろうか。
 絽莉ちゃんをそっと地面の上に寝かせ、しゃがんで男の顔をのぞく。恐怖で歯を鳴らしながら震え上がる姿に、嫌悪感しか湧かなかった。
「お前さぁ、この施設の職員でしょ? 何でいじめを止めようとしなかったの?」
 淡々と問いかけると、怯え切った目が左右に揺れ動いた。やがて目を泳がせた彼は、恐る恐るという風に口を開く。
「べ……別にいいじゃねぇかよ……これが一番楽にガキを大人しくさせられるんだからよぉ……」
 言い訳にすらなっていない答えを聞いて、呆れも通り越す。
 黙っていると、男はベラベラと弁解を続けた。
「親に死なれたガキの一人や二人、どうなろうが何も問題ねぇだろ!?」
 あたしは無感情のまま、頭の中をただすり抜けていく雑音を聞き流す。クズすぎる相手に手を上げる気にもならない。
「さっき言ってた、恵まれた幸せ者って、何?」
 ふと、気になった言葉を拾って尋ねてみると、恐怖に歪んでいた男の顔に喜色めいたものが浮かんだ。
「そ、そうだ! そのガキは幸せなんだよ! そいつは一人だけジャーククロスの被害者じゃないんだ! な、不公平だろ? この施設にいる奴らは皆ジャーククロスに家族を殺されたってのによぉ!」
 ああ、絽莉ちゃんのご両親は交通事故で亡くなったって言ってたっけ。
 でもそれが何だってんだ。絽莉ちゃんをしいたげていい理由にはならないと、それこそ子供でも分かる話だろうに。
「ガキだけじゃない、俺だってそうだ! 親父はジャーククロスに献金先の企業を根こそぎ潰され、議員を失脚して首を吊った! おかげで俺もガキのお守りに落ちぶれちまった! テメェらさえいなけりゃ、俺は今でも上級こ」
 さすがに鬱陶しくなったので顔を蹴飛ばした。鼻血と折れた前歯を散らして悶絶する男に構わず立ち上がる。
 施設の方へ目を向ければ、同じ様に藻掻もがき苦しんでいる数人の大人を引きずりながらイエローワスプがやって来た。
「殺してないよね?」
「とーぜん! 死体じゃムシソルジャー育たないもん」
 無邪気に答える彼女だったが、その目は冷酷に光っている。
 あたしはここに絽莉ちゃんを迎えに来たのと、もう一つ、施設の人間を使ってムシソルジャーを増やす目的もあった。
 ゲルマリオス様が戦死され、全滅したローチ兵はもう増やせない。あたし達が独自に動かせる兵隊は少しでも多い方がありがたかった。
「すぐに終わらせてよ。早く戻って、絽莉ちゃんを休ませてあげなくちゃ」
「あいあーい」
 元気良く返事をしたイエローワスプが両手を振り上げると、指がこぶのように膨れあがる。
「ワスプ・ドミナント!」
 イエローワスプが裏庭を飛び回り、指先の針からムシソルジャーの卵を次々と植え付けていく。寄生された大人達は体を痙攣けいれんさせながら、言葉にならない悲鳴でのたうち回った。
「た……助けて、くれぇ……っ!」
 絽莉ちゃんを抱えて飛び去ろうとしていたあたしに向かって、男が懇願してくる。
「同じ台詞、絽莉ちゃんは何回言ったのかな」
「お願、いだ、助け」
 はねを広げながら告げると、男は質問に答えず、命乞いを繰り返すだけだった。しかし、それもすぐに続かなくなる。白目をき、全身が震えて泡を吹く。体内でムシソルジャーの卵がかえったのだろう。
 子供達には慈悲をあげる。意識が無いまま、楽に死ねるようにしてあげた。
 でも大人は許さない。
 ムシソルジャーが羽化する瞬間まで、体内を食い荒らされる苦しみを味わい続けて、死ね。

 * * *

 ムカデ要塞が自爆した海域に降下する。
 とっくに太陽は沈んでおり、月明かりを頼りに辺りを見渡せば、おびただしい数の残骸が海に浮かんでいた。
 大き目の残骸の上に立ち、光学迷彩解除フィルターを起動させる。
 途端に視界に飛び込んできたのは、真っ黒な海面に浮かぶ、ガマガエル型の巨大戦艦だった。
 ゼノ・カゲ将軍率いるニンジャ怪人軍団の旗艦、ア・ガマである。陸海空のみならず、宇宙空間ですら活動可能な万能戦艦だ。
 しばらく待っていると、ア・ガマの口がゆっくりと開いていく。単なる出入口なのだが、自分がムシ怪人であるためか、カエルの口に入るのには妙な抵抗感があった。
「どしたん? 早く行くよ」
 怪訝けげんそうに見てきたイエローワスプが一人で先に行ってしまう。脳天気な彼女がたまにうらやましい。まぁ、考えても意味が無いのは分かっているけど。
 溜息混じりに、後を追って乗り込んだ。
 医療班に絽莉ちゃんを預けると、衰弱と影響失調により数日間の安静が必要だが、命に別状は無いの診断が出た。胸をでおろす。
 一先ず安心できたところで、今度は別の気がかりを解決するため奥の部屋へと足を向けた。
 狭い廊下を通り、突き当りの一室の前で止まる。腕組みして壁にもたれ掛かっていたグリーンバッタが顔を上げた。
「おう、良いタイミングだな」
 言いながら、部屋の中を顎で示す。窓から見ると、そこには漆黒に染まったジャーク・シンカマユが設置されていた。保険として用意されていた最後の一つである。
 既に脈動は止まり、表面も乾いて固くなっていた。羽化が近い状態だ。
 部屋に入って様子を見守っていると、まゆの中から音が漏れ始めた。内側から叩くような音だ。やがて黒い表面にヒビが入り、ドロリとした液体が垂れ落ちてくる。
 次の瞬間、まゆの中から黒い装甲に覆われた腕が真っ直ぐに突き出された。そのまま強引に残りのまゆを引き裂き、新たなムシ怪人が姿を現した。
「おはよ。気分はどう?」
 手を振りながら声をかけると、怪人は自分の手の平を見つめながら、何度か握ったり開いたりを繰り返していた。
「思ってたより、悪くない」
「そっか」
 短く返しながら、彼の周囲をぐるりと回る。
 レッドビートルよりはスリムながらもガッシリとした体型。レッドビートルが西洋の騎士甲冑なら、こちらは日本の鎧武者を彷彿とさせる姿をしている。頭部には日本刀のように鋭い角が二本生えていた。
 黒いダイヤとも称される、クワガタムシの怪人だ。
「赤くなくて良かったの?」
 一応聞いてみると、ぎこちなさが残った動きで肩をすくめられる。
「元々本部から割り振られただけだし、別にこだわりなんかねーよ」
 そっけない口調で言われてしまった。
「あたしはちょっと慣れないかなぁ。捏結って言えば赤! ってイメージあるし」
 名前を呼ぶと、彼が顔をしかめる。
「もうその名前は呼ぶな。赤井捏結は死んだんだ」
 少し間を置いてから、分かった、と返事をする。
 あの時、米軍の空爆に晒されながら、捏結だけは辛うじて生き延びていた。
 ムカデ要塞から敗走し、ニンジャ怪人軍団に拾われ、回収したセイギーズの遺体を調べてもらったところ、捏結から微弱の生命反応が見つかったのだ。
 捏結はレッドビートル同様、セイギストーンのエネルギーを全て防御に回していたらしい。ミサイル攻撃を伝えたあたしの言葉を信じてくれたのだ。
 だが、彼の生命はすぐにでも尽きようとしていた。典細の技術を以てしても、人間としての蘇生は不可能だと告げられた。
 残された唯一の手段が予備のジャーク・シンカマユを使ったムシ怪人への改造だった。ただし、あたしと違って人間の姿は完全に失われてしまう。
 そう言えば……セイギポリス壊滅に話題が移った時の典細の顔が印象に残っている。
わしについてくればよかったものを……正義などと幻想に溺れた挙句がこのザマか。馬鹿弟子め」
 狂気の瞳の奥底に、ほんの一瞬だけ哀れみの感情を見た。
 あたし達は捏結の脳とコンピュータを接続し、彼の意思を聞いた。このままヒトとして死ぬか、ムシになって生きるか。
「……恩菜はもう、人間じゃなくなっちまったのか?」
 長い沈黙の後、捏結は尋ねた。あたしは躊躇とまどわずにうなずく。
「うん。あたしはピンクモス。ジャーククロスのムシ怪人」
 再び長い黙考が続く。そして、彼は言った。
「俺も、お前と同じ場所に立ちたい」
「それは人間を辞めるだけじゃないよ?」
 念押しするが、迷いの無い声で返される。
「それがどうした。もう未練はないさ。俺を人類の悪に堕としてくれ」
 表情なんて分かるはずもないけど、その時の捏結はきっと、屈託のない笑顔を浮かべてたと思う。
 そして、六人目のムシレンジャーが誕生した。
「俺は、ブラックスタッグだ」
 差し出されたブラックスタッグの右手を、しっかりと握り返す。
 ゴツゴツと硬くて冷たい怪人の手。だけどその手触りは、幼い頃からずっと繋いでいた幼馴染みのものと何も変わらなかった。
「ちっくしょおおおおお!」
 崩れ落ちるグリーンバッタ。
「あれだけブラッククワガタにしてくれって嘆願したじゃねぇかあ! 何でだあ! 何で俺だけバッタなんだあああ!」
 うるっさ。

 * * *

 ア・ガマ内の怪人用居室に戻ると、イエローワスプの他に、単独任務に出ていたレッドビートルとブルースパイダーが揃って待っていた。
 三人はあたしの隣に立つブラックスタッグに視線を注ぐ。最初に口を開いたのはレッドビートルだった。
「目覚めたか。なかなかの面構えだな」
 ブラックスタッグは「そうなのか?」とでも言いたげな様子であたしを見る。
 いや、いくらムシ怪人になったからって、昆虫の顔の良し悪しまでは分かんないよ。
「まぁ、ナンだ。お前らとは色々あったけどよ、これからは仲間としてよろしく頼むぜ」
「はは、心配するな。昆虫に人間のイザコザなど関係ないさ」
 気不味そうに頭を掻くブラックビートルに、レッドビートルが笑って応えた。それから二人は力強くグータッチを交わす。
 三人分の拍手を送るブルースパイダー。スマホで写真を撮るイエローワスプ。ハンカチを噛むグリーンバッタは視界から排除しておこう。
「それで早速だが……提案というか、頼みがあるのだが」
 レッドビートルが神妙な態度で切り出すと、あたし達も何事かと顔を見合わせた。彼が頼み事を持ちかけるなんて珍しいというか、今まで一度もなかった気がする。
「ムシレンジャーのリーダー、お前が引き受けてくれないか? 正直、俺には荷が重い」
 数秒の間があって、ブラックスタッグはまたあたしを見た。
 どんなフォローを期待してるのか知らんが、無茶振りは止めてくれ。
 固まってしまった場の空気にしびれを切らしたらしいブルースパイダーが、ブラックスタッグの肩に手を置いた。
「リーダーの交代自体には反対しない。確かにこいつ、典型的なタンクだからな。いつ敵の攻撃を食らって「ぐわああああーーーーッ!」と戦闘不能に陥るか分からん奴をリーダーに据えとくのは不安が残る」
 割と酷い言われようだが、的を射ているだけに反論の余地がない。レッドビートル自身も我が意を得たりとばかりに深く首肯しゅこうしている。てか、不安だったんならお前が変われば良かったじゃん。
「アタイは自分以外なら誰でもいーよ」
「俺も」
「うむ」
 イエローワスプに続いて同意を示す他の二人。
 おい。テメーら。この野郎共。
「どうだ、ブラックスタッグにリーダーは務まるだろうか?」
 だからあたしを見るなっつーの。レッドビートルはともかく、ブラックスタッグは自分で答えんかい。
 仕方なく、あたしは溜息混じりに呟く。
「まぁ、やってできないことはないんじゃない?」
 セイギーズのリーダーは青山くんだったけど、別に捏結もリーダーの資格が無かったわけじゃない。
 ただ彼は自分が不器用なことをよく知っていたから、皆の上から指示を出すよりも、一番前に立って体を張る方を選んだのだ。
「後は本人がやる気になるかどうかでしょ」
 これ以上はあたしは口を出さない。
 ブラックスタッグの方を見ると、彼はしばし腕組みして考え込んでいたが、やがて静かに首を縦に振った。
「分かった。やれるだけやってやるよ」
「ありがとう。これで、これからは心置きなく皆の盾になれる」
 心底ホッとしたようにレッドビートルが礼を言う。
 再度のグータッチを交わす二人を見ながら、あたしはちょっと首をかしげた。
「何か意外。てっきり断ると思ってたんだけど」
 あたしの言葉を受けて、ブラックスタッグは「ああ……」と短く呟いてから、ふっと遠くを見るような目をした。
「駆潤の声が聞こえた気がしたんだ……俺ならできる、って」
「青山くんが?」
「身勝手な幻聴だよな。俺にはもう、あいつらの声を聞く資格なんか無いってのによ」
 自嘲気味に言うブラックスタッグに、あたしは小さく笑みを漏らす。
「そうでもないんじゃない?」
「あん?」
「黙ってるつもりだったんだけど、実はあんたの体、セイギーズ全員が融合してるんだよね」
「……は?」
 正確に言うなら、人の形が残っていたとはいえ、ミサイルで黒焦げに焼かれた体じゃ改造が成功するか分からなかったので、気休めでもと回収した遺体を片っ端からジャーク・シンカマユにブチ込んだのだ。
 その結果、五人の体とセイギストーンは一つに統合されて、ブラックスタッグへと生まれ変わった。
 だから彼には五つのセイギストーンの力が宿っている。今は肉体同様一つになって、スーパージャークストーンとして変化しているけど。
「そうなのか……俺の中に皆がいるのか……じゃあ俺は、また皆と一緒に戦えるのか……!」
 感動に打ち震えながら自分の両手を見下ろす彼を見て、あたしは自分の口元がほころぶのを感じた。
 やっぱり、こいつはこういう奴なんだ。
 単なる気持ちだけの話じゃない。ブラックスタッグの屈強な体格には確かに黄原くんの面影がある。
 そこに青山くんのリーダーシップと緑野くんの頭脳が加われば、まさに最強無敵のパーフェクトムシ怪人だ。椎華さんは……別にいなくてもいいや。うん。
「駆潤や皆のこと、許してやってくれよな。あいつらだって、お前自身が憎かったわけじゃないんだ」
「分かってるよ」
 彼らはただ、自分自身の正義を貫いただけだ。
 彼らの正義の中に、悪に堕ちたあたしの存在は認められなかった。ただ、それだけの話でしかない。正義の反対は慈悲・寛容だとは、よく言ったものだ。
「よっし! そんじゃ、ブラックスタッグの加入を祝って歓迎……」
蟲連邪むしれんじゃ
 イエローワスプが勢いよく手を叩いたと同時に、頭上から声が降ってきた。
 ギョッとして見上げると、天井の一部が歪み、大きな目玉を持ったトカゲのような姿の怪人が現れた。
 彼は確か、姿を隠す能力を持ったニンジャ怪人・ゲンメイだ。
 ニンジャ怪人軍団は隠密作戦を専門とするため、物理的な戦闘力より特殊能力に秀でた怪人が集っている。同じタイプの怪人であるあたしとしては親近感を覚えるけど、多分全員あたしより強いだろうなぁ。
「棟梁がお呼びである。速やかに司令室まで来られたし」
 言うだけ言うと、ゲンメイはまた消えてしまった。
 愛想がないのもニンジャ怪人の特徴らしい。
 水を差された気分だが、将軍からの招集では逆らえない。あたし達は慌てて廊下に飛び出し、全力疾走で突っ走った。

 * * *

「ムシレンジャー一同、お呼びにより参上致しました」
 ア・ガマ最上部の司令室で、ゼノ・カゲ将軍を前にひざまずく。
 陽炎のように揺らめく赤黒いマントで全身を隠した将軍は、影崎長官やゲルマリオス様とは逆に、目の前にいながらまるで存在感が無い。
「盟友の形見のようなものゆえ情けをかけたが、期待に背くようなら即切り捨てる。肝に銘じておけ」
 抑揚に欠ける淡々とした声。凡庸なようでいて、間違いなく十二神将の一人だと感じさせる不気味な威圧感がにじんでいた。
 思わず身震いしてしまったが、ここでひるんではいられない。意を決し、全員で頭を上げる。
「亡き主君、ゲルマリオスの信頼に叶う行動を」
 納得してくれたのかは分からないが、将軍は黙って司令室のモニタへと視線を移した。
 画面に映し出されているのは、恐竜の姿をした怪人達に蹂躙されているサンフランシスコ市街の様子だった。
「知っての通り、対人類の主戦場は日本からアメリカへと移っている。現在はジュラシック怪人軍団が陣頭に立ち、量産型を中心とした米軍部隊と熾烈しれつな戦闘を展開中だ」
 映像ではちょうど、体長十メートルはある巨大なモササウルス怪人がゴールデン・ゲート・ブリッジを破壊する場面が映っていた。あの橋、よく壊されるよね。
「米軍も既に量産型を改良し、パワーセイギーズなる新型を実戦投入しておる。今後、人類との戦力差は追いつかれていくだろう」
 毒々しいほど無駄にカラフルなセイギスーツを身につけた量産型の集団が、ヴェロキラプトル怪人の群れと正面からぶつかり合っている。
 怪人は量産型の頭や手足を食い千切り、量産型は重火器で怪人の体を吹き飛ばす。双方の血肉が飛び散る凄惨極まりない光景だ。
 正直、ジャーククロスの世界征服に興味はない。
 だけど量産型は絶対に許さない。必ず根絶やしにしてやる。
「だがまぁ、我が軍は影の存在。表立って戦うはニンジャ怪人の役目ではない」
 将軍はモニタから視線を外し、ゆっくりとかぶりを振った。
 てっきり自分達も参戦するものと思っていたあたし達は顔を見合わせる。
「あの、ではその映像は何の為に?」
「チバトロン将軍めが戦果の自慢に送りつけてきおった。一人で見てはしゃくさわる」
 あっさりと個人的な理由を口にする。本当に感情が出ないなこの人。
 モニタの中ではティラノサウルスの怪人が「ウェーイw ゼノ・カゲくん見てるー?ww」とピースサインを見せつけていた。うわ、むっかつく。
「ティラノもラプトルも白亜紀の時代なんだけどなぁ」
 引っ込んでて緑野くん。
「オヌシらのミッションはこれだ」
 モニタの画面が切り替わり、世界地図が表示される。拡大されたポイントは中国の西南部だった。
「ここは……チベットですか?」
「うム。チベット自治区でジャーククロスによる破壊活動が行われているとの情報を得た。無論、総統閣下はそのような命令を下されてはおらぬ。十中八九、中国の量産型が起こした三文芝居であろう」
 中国も量産型を実用化していたのか。
 第二次大戦後、アメリカの核の独占は五年で終わったが、今度は一月持たなかったとはね。日本はスパイ天国とか言われてるし、情報抜き取り放題だったろうなぁ。
「未確認だが、恐らくロシアも同等の技術を手に入れているものと思われる。旧ソ連構成国の周辺で不穏な動きが見られるようだ」
 あまりにも低レベルな内輪揉めの様相に呆れてしまう。
 人類共通の敵というSF映画のような存在が現れてなお、物語と違って世界が一つにまとまることはなく、人間は泥沼の同族殺しを続けている。
 ゲルマリオス様の言った通り、人類はもう地球という舞台から退場するべきなのだ。
「オヌシらは直ちに現地へ飛び、量産型を殲滅せよ」
「ですが将軍、敵がジャーククロスをかたっているのであれば、それを倒した我々は正義の味方になってしまいますが」
 レッドビートルの指摘に、将軍は知ったことかとでも言いたげに手を払う仕草をした。初めて体の一部を見せたが、生物とも機械ともつかない歪な形に、かえって将軍の正体不明さが深まってしまう。
「我らニンジャが正義だ悪だと考える必要はない。ただ己の使命を全うするのみ……それはムシとて変わるまい。なればこそ、拙者とゲルマリオスは妙に気が合ったのやもしれぬなァ」
 懐かしむように語る将軍へ、あたし達は忠誠の証として深く頭を垂れた。
 開け放たれたア・ガマの口に並び、はねを広げて飛び立つ準備をする。ブルースパイダーが巨大たこに括りつけられているのは……もうちょっと何とかならなかったんですかニンジャ怪人軍団。
 水平線の彼方では、分厚い雲の向こうに太陽が顔をのぞかせ始めていた。
 あの朝日が誰がために昇るのか、今のあたしには分からない。選んだ道が正しかったのかどうかさえ。
 それでも、選んだからには前に進まなければならない。
 幸い、あたしには道連れがいる。
 同じ道を歩む仲間達。彼らと一緒なら、辿り着く場所が地獄の果てだろうと恐れはしない。
 皆の視線がブラックスタッグに向けられる。大きくうなずいた彼は身をひるがしてア・ガマのひたいに跳び乗り、大声で最初の号令を発した。
「怪人戦隊ムシレンジャー出動!」
 一斉に大空へと舞い上がる。雲の隙間から射す陽光に照らされながら、新たな戦場へと向けて六匹のムシは羽ばたいていく。
 ジャーククロスが向かう先に未来があると信じて。
 この生命が燃え尽きる、その時まで。

「あたし達の戦いはこれからだ!」

講評

評価基準について

定義魅力提示企画総合
CBADB
評点一覧

10万字に迫ろうかという大ボリュームであり、今回のコンテストの応募作品の中では最長を誇る小説作品である。その圧倒的な文字数にも関わらず、文章自体は大変読みやすいものとなっており、展開としても順を追って丁寧に物語が進んでいくため、最後まで読むことに抵抗がない作品である。

しかし、所々にメタ要素が差し込まれたり、昔に流行ったが現代では馴染みのないネタや、知っている人が限られるパロディなどが出現することで話の流れが急に止まることが多々ある。
これに加え、登場人物の名前の読み方がずっと分からないということ、表現としても不必要に難しい漢字に変換している箇所が多いこと、殺傷・肉体損壊の表現が随所に差し込まれていること、これらと前述のネタの性質を合わせて全年齢向けとは言い難く、総じて初心者に対しては不親切であり、そこの評価が低くなっている。

また、大ボリュームであるが故に話を広げすぎている。確かに戦隊ヒロインが洗脳改造によって悪堕ちするシーンは盛り込まれているものの、後で洗脳が解けることもあり、悪堕ちの物語というよりはダークヒーローの物語となっている。最終的に「なにが悪か?」と問い掛けるテーマとなっていることも、悪堕ちとしては悪の軸がぶれる要因となってしまっている。
そして、唐突に時間が過ぎるなど急に場面転換が起こる展開により物語に空白が目立つ。大ボリュームでありながら納得感がない場面が多いというのが物語の軽さを引き立ててしまっている。

戦隊ヒロインが堕ちるまでの物語の展開は納得行くものであるため、話を広げ過ぎず、また物語の空白を埋めるように堕ちる人物に向かって物語を凝縮させていけば、悪堕ちが主題となった魅力的な作品になるだろう。