作品名

高潔なる吸血鬼、人の手に堕ちよ

ペンネーム

緑日の王妃

作品内容

―これはどこかの世界の、どこかの国でのお話―

第一章 出会い

 暗い夜中に、場違いな足音が響いていた。フクロウのさえずる真夜中に、1人の少女が街道を走っている。彼女は必死の形相で手と足を前に出しつつ、目的の我が家を目指していた。
「待てよ、女の子ちゃん~」
「俺たちと遊ぼうよ~」
「い、嫌だ!」
「楽しいことしようぜ~」
 彼女を追いかける輩は、まだ三十路を迎えてもいない若造であった。粗雑な服装に似合う下品な顔つきが、女性に求める要求の浅ましさを、如実に物語っていた。
「きゃあ?!」
 男達の下品な顔つきを見てしまったからか、女性は足元の小石に引っかかる。勢いよく転んでしまった彼女の手元から、薄汚れた布袋がこぼれた。
「えへへ、ほらほら~。ころんじゃったねえ」
「これはもうそういう事だろう~」
 近寄る男達は、後ずさる少女に、不気味な動きの手を見せびらかす。手付きからして、彼等の目的は明らかだった。
「や、やめて…」
 少女とはいえ、理解できる。何よりも恐れた事態に、彼女は全身が恐怖によって支配され、身動きが取れなくなってしまった。
「神様が俺たちと遊べといっているんだよお~」
「楽しいことしようね~」
「た、助けて…」
 か弱い返事は、誰の耳にも届かない。ましてや村の光すら目に入らない現在地点では助けを期待するほうが間違っている。
「あ、ああ…」
 様々な後悔が押し寄せ、視界がにじんできた、まさにその時だった。
「やめなさいな」

澄んだ声色だ。恐ろしい現実をかき消すような、透明感のある音は、悲惨な犯罪が起ころうとしていた場を、一瞬で変えてしまう。

「な、なんだてめえ?!」
「か弱い女の子に何する気なの?」
「知ったことかよ」
「あらそう。私は時間をかけたくないから、さっさと終わらせるわ」
 声色の持ち主は、呆れの溜息の後、一瞬目を閉じた。
『私を視ろ』
 開かれた眼が、真紅の輝きを放つ。宝石に匹敵する光は、いとも容易く男達の目に、同じ輝きを宿した。
「う、うう…」
「ご、ご…」
 先ほどまでの余裕は皆無となり、病気に感染したかと疑うほど、男達の様子はおかしくなっている。
『犯せ』
「「は、はい…」」
 衝撃の言葉が、清々しい声で紡がれた。驚くのは、男達は言葉に従順にうなずくと、お互いの股間に顔を押し付け始めたのだ。
「む、むぐう…」
「お、おげ…」
 そして肉棒をくわえる。男同士でまぐわり出した彼らを横目に、声の主は呆然とする少女の横を通り過ぎた。

「…あ、ああ?!」
 手を差し伸べたとたん、布袋を燃やし始める。言葉もなかった少女であるが、この行動には反応せざるを得ない。
「何を、何をするんですか!」
「何って処分よ」
「これは私の母の薬なんです、やめてください!」
 赤々と燃える袋に手を伸ばす少女は、しかし目の前で袋をけ飛ばされた。
「これが何なのか理解していないのね」
「母の病気を癒す」
「ハァ…やはりね。その薬草に病治癒の効能はない。あるのは多幸感を与える効能よ」
「え…」
「要は麻薬よ。依存性の高い代物で、摂取すればあとは地獄への階段だけ」
 火で燃える薬草からは、紫色の煙が立ち込めている。声の主が手を一振りすると、煙は霧散し、黒いすすだけが残った。呆然とする少女は、自分がいつの間にか抱き抱えられ、何処かへ連れ去られていると気がつく。
「帰るわよ」

「ここでいいわね」
 優しく足を下された少女は、助けてくれた人が女性だと知った。暗闇の中よく見えないが、自分よりも一回り近くは歳上と思えるほど、大人びた雰囲気がある。
「あ、ありがとうございます…あの、でも」
「この街道の先にある村、夜中に薬草を取りに行くほど医薬品に乏しい規模、凡そ推測する材料は事欠かなかったわ」
 質問を先読みした女性は、村の入り口前で立ち尽くす少女の頬を軽く撫でると、背中を向けた。
「さようなら、もう一人では出歩かないようにね」
「あ、あっ」
「この世には危険が満ちているわ。用心は忘れず」
「あの」
 少女はお礼を言おうとするが、生来の人見知りが発動して、言葉が上手く出てこない。焦りを感じれば口はどもり、手汗が吹き出てきた。
「あ…」
 ふと、下に目を向けると、足元に物が置かれている。小さな箱は黒地の木箱で、留め具には高級そうな赤の宝石が施されていた。恐る恐る中身を覗けば、中には細い葉と枝が数本、糸で結ばれて入っていた。蓋の裏地には羊皮紙が貼られており、病に関する効能と、具体的な使用方法が記されている。
「あ、あの!」
 少女は与えられた木箱を胸に抱き抱えると、暗闇に向かって叫んだ。
「明日、正午にここで待っています!お礼を、お礼を言わせて下さい!」
 もう彼女は居ないだろう。少女はしかし、彼女はきっと来てくれると、何故か思えた。

「吸血鬼…」
「ええ。貴女も知っているでしょう?」
「そ、それは…」
「当然よね。有名だから」
 翌日の昼過ぎ、村外れの森の中で、切り株を挟んで座った二人は、お互いの自己紹介をしていた。吸血鬼を自称する女性は、エヴァという名前である。
「本当に居たんですね」
「信じられないでしょうけど、事実よ」
 少女ハルカは、再度エヴァの顔を見た。口元から剥き出しとなる犬歯の輝きが、伝承に伝わる魔の存在を確かにさせる。
「あの、日中…」
「あああれ?人間の血は夜に吸う方が栄養と味がいいの。身体が弱い個体は太陽の光にも弱いけど、私は何ら問題はない」
「へ、へぇ…」
大蒜にんにくも平気よ。十字架もへっちゃら」
「す、凄い」
「数百年前ならともかく、似非信仰の輩が使う十字に、何の力があると思う?」
 中々際どい発言に、ハルカは苦笑いするしかなかった。困惑する少女を揶揄ったエヴァは、ハルカの用意した紅茶を口にする。
「ハルカ。私が貴女に会ったのには理由がある」
「は、はい」
「端的に言えば忠告の為。貴女の純粋さは尊いもの、故に危険だわ」
「昨日の夜のことなら、反省しています」
「ただ真夜中に出た事をとがめてはいない。貴女が信じたい噂話の出どころに、私の懸念がある」
 ハルカは、姿勢を正した。

「再確認するわね。この世に魔力が発生し、人々は魔法を使えるようになった。その過程で肉体が変化し、尋常ならざる力を手にしたのが、私達魔族」
「はい。元は同じ人間だったけど、遥か昔に住む世界を分けた」
「そうよ。厳密に分かれてはいないから、お互いに生活圏内に出入りしている。だから伝承として形になるの」
 ハルカの住む世界にある摩訶まか不思議な力、魔力。魔力を行使して発動する魔法は、文明の発展に著しい結果を残した。
「昔はそれでよかった。でも最近、懸念すべき事件が起きている」
「もしかして昨日の?」
「ええ。徒党を組んで様々な犯罪を犯す彼等は、私達魔族の伝承を利用し、罪を魔族に押し付けようとしている」
「そんな」
「昨日の輩、変に口調が軽かったでしょう?西に伝わる悪戯猿いたずらさるは、ふざけた口調で女性に近づき、悪さをする」
「真似しているんですか」
「ただの猿真似じゃないの。気が付かないでしょうけど、輩の手足は毛が多くなっていた。恐らく魔法か魔薬を使って、悪戯猿いたずらさるに存在を近づけている」
 笑いどころではないわ、と呟いたエヴァの言葉の意味は、ハルカには最初伝わらなかった。悪戯猿いたずらさると猿真似の事だと知った時、ハルカは少し吹き出してしまう。
「…これは組織的犯罪。魔法や魔薬で構成員の身体を疑似的な魔族にし、犯罪を犯す。証拠に残る物は全て魔族を彷彿とさせ、罪や怒りを代わりに清算させるつもり」
「誰がそんな事を、もしかして手にあったあの紋様の事ですか?」
「気がついたのね。ええ、魔薬は私の養父が突き止めた。それを売りさばく奴の正体を突き止めていないけど、トップは相当な切れ物。下っ端の程度は低いけど、ある階層を超えると管理の行き届方が格段に上がる」
 エヴァは紅茶の縁を指でなぞった。
「ハルカ。貴女の聞かされた薬草の話も、出鱈目でたらめ。貴女みたいに早急な対応を必要とする人々に、偽りの情報を流す。そして人気の無い所で強盗やら何やらをして、トンズラするのよ」
「エヴァさんは、その人達と戦っているんですね」
「ええ、そうね。私も魔族の端くれ、同族が濡れ衣を着せられては困るわ」
 紅茶を一口飲んだエヴァは、スッと立ち上がった。
「そういう事よ、ハルカ。今この世界には、想像できない危険が広がっている」
「…はい」
「恐らくは母君の容体は良くなっていくはずよ。渡した薬をあと三日、欠かさず飲ませればね」
「ありがとうございます!」
「真偽を確かめずに噂を信じてはダメよ。面倒でも、先ずは確かめるの」
 味の感想を伝えたエヴァは、その場を立ち去ろうとする。ハルカは慌てて引き留めた。
「ま、待って下さい!」
「薬草ならあげたでしょう?」
「わ、私に魔族について教えて下さい」
「ハルカ、何を言っているの」
「危険なんですよね。魔族をうたう犯罪者がいるなら、私も魔族についてもっと知るべきだと思うんです」
「それはそうだけど」
「お、教えてくれないと、私また噂信じちゃいます」
「ハルカ、……ああ、もう」
 エヴァはハルカの苦し紛れな、しかし無視できない反撃に軽く舌打ちを打つ。その場を暫くウロウロして、エヴァは額に手を置いた。
「……毎日は駄目。週に二日、会いましょう」
「本当ですか?!」
「また襲われたら、吸血鬼として恥だもの」
 ぶっきらぼうに言いながらも、エヴァの頬はほんの少しだけ、赤くなっていた。ハルカは勇気を出した自分を心の中で褒めつつ、思わず拍手をしてしまう。

第二章 危機

 吸血鬼エヴァは、一足先に森の切り株に来ていた。何度も使って表面が幾ばくか滑らかになった木に、彼女は摘んできた花束を置く。
「喜んでくれるといいけど」
 優しく呟いた彼女の外観は、誰が見ても美しかった。長く伸びた黒髪は団子状に結えていて、宝石のついた針で止めている。髪の下の顔は全体的に小さいが、個々のパーツは大きめだった。細長い鼻や薄い唇、切長だが透き通るようなコバルトブルーの瞳、全てが合わさると、大人びた美女、という表現が似合う顔立ちになっていた。無論スタイルも宜しく、細身ながら力強いフォルムを際立たせるのは、灰色の一張羅のドレスだ。シンプルなデザインながら、彼女の几帳面な性格が見えるほど、丁寧に手入れがされていた。
「……」
 彼女を古くから知る人物は、もう数少ない。物故者ぶっこしゃである彼女の育ての親は、今の彼女を視たら、なんというだろうか。めったに見せない穏やかな表情には、ハルカへの深い親愛の情がうかがえた。
 こうしてハルカを待つ時間さえも楽しめるとは、エヴァ自身も知らなかったことだ。
「フフッ」
 前回約束したときは、エヴァが裁縫の手習いをする羽目になった。ボードゲームで負けた罰なわけだが、彼女はちゃんと裁縫一式を用意してきている。やや小柄なハルカに合わせて、縫い針も小さく整えている辺り、彼女の様々な面が分かるだろう。
 昼過ぎの心地良い日差しの中で、エヴァは言葉にならない幸福を噛みしめていた。
「……!!」
 だが続かない。突如彼女に襲い掛かる矢をよけると、横手から巨石が飛んできた。軽やかなステップでかわすと、巨石の陰から火の玉が狙いを定めている。
「フッ!」
 着地するや否や、エヴァは手に魔力をためた。彼女のパーソナルカラーである紅色の力が魔法陣へと姿を変えると、反撃の火の粉が彼女によって放たれる。
「ぬあ?!」
 言葉にすると長いが、実際は一分もかからない時間軸での話だ。襲撃者はたった一回の攻撃で位置まで特定したエヴァの敵ではなく、腹部に火の粉を受け、次々に卒倒していった。

「ぐあ?!」
「ふぐ?!」
 うめき声が森に響く中、エヴァは内心穏やかではない。襲撃の際放った使い魔によって、ハルカは森に近寄らないはずだ。賢い彼女は村にも警告して、何らかの避難指示を出している。
(とはいえ、心配性な子だから…)
恐れるのはそこだ。エヴァを気遣って森に来たら、苦労が台無しになる。何にせよ、この襲撃から逃れる手段を講じなくてはならなかった。

(こいつら、強い。訓練されている?)
 森の中をジグザグに走り抜けながら、何度目かわからない反撃を返しつつ、エヴァは首をひねった。当初から組織だった攻撃に違和感を抱いてはいたが、木という遮蔽物しゃへいぶつが多くなるにつれ増える死角からの攻撃に、彼女はある疑念を抱いた。
(もしかして、例の組織?)
 ありうる。まだ確認していないが、彼等の手に独特の◇を重ね合わせた文様があれば、疑う余地はなかった。
(となると、ハルカが危ない?!)
 一度襲われたこともある少女に、再度警告を発しなくては。咄嗟の判断はしかし、現状相応しいと言い切れないものだ。まずは逃げ切るべきであったが、エヴァの思考には、あのほがらかに笑う少女を救う、その一念しかない。
「隙を見せたな」
 冷たい空気が、周辺一帯を支配した。時が止まったように思えるほど、威圧的な一言が、エヴァの耳にいつまでも残る。身体の全方向に生じた衝撃が彼女の意識を刈り取る寸前、エヴァは最後の反撃を試みた。
「ほう、そこまで執着するか。吸血鬼の抵抗としては、似つかわしくない」
(…に、げて…)

 エヴァの使い魔の蝙蝠こうもりが、小さな影となって森に消える。

第三章 監禁

「…ん…」
 エヴァは重たい眼をしばかせ、頭を振った。徐々に戻る意識が体の異変に気が付くのに、大した時間はかからない。
(鎖か)
 両手を縛りあげる鉄の拘束により、彼女は身体をYの字に固定されていた。試しに振りほどこうとするが、吸血鬼である彼女の力をもってしても、鎖はびくともしなかった。寧ろ人間離れした力が普段よりも発揮されず、煙のように消えていく感覚もある。
「銀?」
「洗礼を与えた銀。太陽の光の下、教会にて三年もの年月をかけて祈りを捧げた」
 エヴァは今いる場所が、地下室であろうと予想していた。アーチを描く天井からは冷たい土気が伝わり、ほこりっぽい空気が満たされている。やけに響く室内となれば、地下室であろう。
「貴方がトップな訳ね。私も無様なもの」
 人を拘束できるほどの地下室を持つのは、数が少ないのだ。現実を考えた際、違法な手段で金銭を稼ぐ例の組織ならば、不可能では無いと考えられる。
「お初にお目をかける。本来会ったのはダーリ村の森であったが、君は眠ってしまったのでね」
「ええ、貴方の寛大なお出迎えのお陰で」
 地下室にやってきた男に、エヴァは嫌味を吐くぐらいしかできなかった。自分の無力さを恨む彼女だが、姿を現した男に、言葉を失ってしまう。
「…聖パレス騎士団?」
「知っているのか。これは光栄な事だ」
「知っているも何も、聖パレス騎士団は、この地域おけるありとあらゆる権力を監視する存在」

 ハルカの住むダーリ村も属するパレス王国は、付近の土地では一番の面積と規模を誇る大国である。特に中心地である都市パレスは魔法研究が盛んで、悠久の時を過ごすエヴァでさえも、驚嘆せざるを得ない研究結果を発表する、最先端な都市だ。
 その都市を管轄する警察組織が、聖パレス騎士団である。特徴的な桃色の薔薇の紋様を施した兜を脇に抱え、男は髪をクシャクシャとかいていた。

「やれやれ、有名人も楽じゃない。この格好は暑苦しくてたまらないね」
「騎士団長のヴィエラ。確かに貴方が有名人でなくては、誰が有名でしょうね?」
 ヴィエラ。桃色の薔薇の紋様を携えた彼は、高潔な人間として有名であり、都市部で発生した犯罪を公平な裁きで処理する事で有名だ。魔法戦闘に始まる技術もずば抜けており、国内外で知名度を誇る、パレス王国の誇りとも言うべき人物だ。中年の域に達しても尚、屈強な肉体に備わる髪は頭頂部が情けなく、脇に控える髪も心許こころもとない。しかしその顔には精悍せいかんな雰囲気が満ちており、特に赤々とした大きな瞳には、確固たる自信が溢れていた。
「そう、貴方が組織のトップだったのね。道理で全貌が掴めなかった」
「君が初めてかもしれない。私の裏組織、真パレス軍団の存在、そのNo.2まで突き止めたのはね」
『真パレス軍』。やっと知る事ができた犯罪組織の名称だが、エヴァには慰めにもならなかった。
「ああ、あの男がNo.2だった訳?ならさっさと対処しておくべきだったわ」
 最近防いだ犯罪現場で捕らえたデブ男は、例の紋様を手に施していた。特に注目すべきは彼が持っていた羊皮紙であり、手下への指示が記された物から直属の上司による手配書まであったのだ。今はエヴァが管理する森に監禁し、数日後に暗示を使って尋問する気だったのだが。
「まさかトゥーレを捕まえるとは。私も中々予測が甘かったようだ。彼を捕まえるなど、想定もしなかったよ」
「そう?簡単に捕まえられたけど」
「それはそうなのだろう。君は嘘を言わない人だ。いや、人は適切ではないか」
 ヴィエラはエヴァの前で徘徊はいかいをしだした。エヴァは彼が何をしようか、凡そ理解できた。耐えられる自信はあるが、不快感しか感じられないのは当然だった。
「フフフ、私が君を手篭めにすると?それは見当違いと言わざるを得ないな」
「あらそう?私男からの人気はあるけれど」
「だろうね。だが君は私に手篭めにはされない」

 意味深な言葉にエヴァは眉をひそめる。ヴィエラは何故か自信満々で、彼女と相対してくるのだ。自分の方が立場は上だと信じ切る自信は、何処から生まれるのだ?
「私の組織について勘違いしているかもしれない。話を聞いたら、君も協力してくれると思う」
「何かしら、裁縫好きが集まる同人会なら、喜んで出席するけど」
「面白い」
 心にも思っていない言葉を吐くヴィエラは、地下室の壁を撫で始める。
「君は人間の世界に、どれだけの魔族が紛れていると思う?」
「さぁ?」
「実に多い。多いのだ。彼等は自身の本性を隠し、だまし、人間社会に溶け込んでいる。その数は年々増加し、人間達の居場所を奪っている」
「奪うという表現はどうかしら。元からいない場所、人間が捨てた場所に居着く場合もあるのでは」
「かもしれないな。私が言いたいのは、人間の中に魔族を恐れる声が、次第に大きくなっている事だ。とても由々しき事態だよ」
「へぇ、そう」
「私は魔族が滅びるのは望まない」
「滅ぼす気なの?」
「風潮は加速する。今はまだでも、いずれ恐ろしい結論に達する可能性は高いだろう」

 エヴァはヴィエラを蔑んだ目で見ていた。彼の言葉は一見魔族に付き添っているように思えるが、本心は全く別だと見抜いている。
「黙れ、虫螻むしけら。お前の言わんとしていることを、代わりに言ってあげましょうか?」
「おお、恐ろしい」
「私達魔族を支配したいのでしょう?綺麗な言葉で取り繕うが、貴方の瞳に宿る醜い欲望は隠せていない」
「ほお、ほおほお」
 ヴィエラは拍手する。軽蔑の目を向け続けるエヴァに近寄ると、彼女の細い顎を掴んだ。
「よく分かっているな」
「この…」
「ああ、私が興味あるのはお前達の異能だ。吸血鬼の吸血能力と魔眼、狼人間の変化と体毛、人魚の魅了する歌声。我等が持たないその力に」
「地べたを舐めていつくばれ」
 渾身の力でにらみつけるエヴァを、ヴィエラは愉快そうに眺めている。彼女のにらみなど聞かないとばかりに、くぐもった笑いをした。
「私が組織する真パレス軍団は魔族支配を目的とする。魔族による技能集団を作り上げ、彼等に全てを行わせるのだ」
「クソやろう」
「そうにらむな。君もじき、軍団で指揮を取るのだから」
 エヴァは目を見開いた。
「君が捕まえた音、トゥーレは用がない。元々使う気はなかったが発足当時を知る者だから、切るに切れなくてね。手癖が悪いから敢えて前線にだし、優秀な敵に捕えさせる方法をとっていた」
「…罠にめたのね、私が目的ではなく、トゥーレの処分が目的」
「君は副産物だ。思わぬ幸運が私を救う」
「話が見えないわね」
「空いたNo.1の席には、君を迎えたい。是非私の目的に賛同し、魔族支配を促進させて欲しいのだ」
 ヴィエラの言葉に、エヴァが返すのは一つしかない。
「死に晒せよ、このクソ親父屑野郎」
 渾身の罵倒文句と共に、唾を吐きつけた。
「魔族に何をさせる?男は無理矢理働かせ、女性には慰めをさせるのでしょう?それが分かって、何故私が手伝うとでも?!」
吸血鬼として、魔族として、いやそもそも人族としてでも屈辱的な提案に、エヴァは心底嫌悪感を抱く。高潔な男をうたう男が口にする言葉ではなかった。ヴィエラはエヴァの罵りも気にすることなく、ニヤついた顔つきのままエヴァの頬を撫で続ける。
「そう怒るな。君はじき、私の眷属になると心から望むだろう。この世の真実を知ってね」
 そう言ってヴィエラは、額についたエヴァの唾液を拭き取ると、口に運ぶ。健康的な歯並びだが、やけに不気味さがあった。

 もう何日経ったのだろう。変わらず身体を固定されたエヴァは、変わりようのしない室内を見渡した。ヴィエラによって監禁された彼女は、この部屋で一日を過ごす。部屋には窓は備わっておらず、外の外気を取り込む穴は見えるが、外の光は微塵も差し込まなかった。
「く…」
 偉大なる宣告者の有難い祈りにより、ただの銀は魔族に対して強力なカウンターと化していた。抵抗するにも力が足りないから、壁を見つめるしかない。
「何が目的なのよ」
 監禁されてからの日々は淡々としていた。用意された食事と水を摂取すると、ヴィエラによる問答がある。聞いてくる文言は変わるが、結局結論の部分で、彼の組織への参入を求めてくるのだ。
(入る訳ない、なのに何故?)
 魔族を支配する為の組織に、何故魔族が入ると思うのか。彼女は心底不思議だが、ヴィエラは心底信じていた。
(せめて外と連絡さえ取れれば)
 助けを求められる。が、エヴァは今助けを求める気はなかった。彼女が気にかけるのは、あの清らかなる少女の安否のみである。
「無事でいて……!!」
 思わず溢れた言葉は、弱々しいの表現以外ない。
「ハルカ……!!」
「やぁ。元気にしているかい」
「貴方、腕を吊された経験はある?」
「あるさ。昔母に折檻せっかんとしてね」
「なら気持ちは分かるんじゃなくて」
「だから聞いた。元気かと」
 噛み合っているようで噛み合っていない会話に、エヴァは目線を切った。彼の話を聞くのも馬鹿馬鹿しく、相手にする気も起きない。
「今日も君と話したい。座っても?」
「好きにしたら」
「では自由に」
 団員らしき女性の用意した椅子に腰かける彼は、大きな鼻から息を吹きだした。やけに宝石が散りばめられた椅子は、彼の権力欲を具現化したようで、感じが悪い。思わず顔をしかめたエヴァは、自分をにらみつける仮面の女性に、ある点を見出した。
「……貴女、猫女じゃなくて?」
「知りません」
「待って。猫女は例の、いえ真パレス軍団の襲撃で全滅したと聞いた。もしかしてあなた以外も、軍団にいるのね」
「我々の使命は、栄えある軍団の、微々たる力になること。それだけが至上の喜び」
 猫女の特徴である長い尾と耳は見間違えるには、特徴的すぎだ。エヴァは、自分の立場がどんな立ち位置か、今更理解できた。欠点と裏返しになるほどプライドの高い猫女が、言う台詞ではないのだ。しかも彼女の着ている服は、胸の先端と股間部をかろうじて隠す程度の、薄いモスグリーンの布地でしかない。
「素晴らしいと思わないか。歪められた価値観に染まった女が、真なる使命に気が付き、奉公する様は」
「わ、私は絶対に屈しない!!」
 初めてエヴァは動揺した。ヴィエラの力を把握しきれなかったというべきか。
(この男、何をして猫女を手名付けたの?)
 エヴァの疑念は、彼女の心に暗い影を差す。
(彼女達が考えを改めてしまう、真実とは何?)
 ヴィエラの思惑通りに。

第四章 洗脳

「ク……」
 拘束は続く。永久とも思える間同じ体勢でいるエヴァは、いくら吸血鬼といえども、心身の疲労は隠せなかった。にじむ汗は脂っこく、身体の芯から噴き出るようだ。
「やあ、エヴァ。ご機嫌いかがかな」
 不快な汗を振り払う彼女は、近寄るヴィエラに頬を掴まれても、唾を吐いたり暴言をぶつける気力すらなかった。僅かな抵抗として、コバルトブルーの瞳でにらむのが精いっぱいだ。
「そろそろ真実を伝える日が来たと思う。今なら君も、私の話を聞く気になると思ってね」
 ニヤリと笑うヴィエラは、傍に控える猫女から小道具を受けとった。被せていた布を取り払うと、現れたのは透明な水晶玉だ。
「真実を見通すとされる、パレス王国に伝わる魔法道具だ。使用には強靭な精神力が要求され、歴代の所有者は、その当時最強をうたう者しか選ばれていない」
 彼は力なくにらむエヴァの前に水晶玉を見せつけると、片方の手を上に添えた。
「遠見を知っているか。はるか遠くを、目の前の現象として確認する、最高難易度の秘儀だ」
「……それが何?」
「今からある光景を見せる。君が知るべき真実を理解するには、最適な材料だ」
 ヴィエラの手が怪しく動くと、水晶玉に赤紫のもやが掛かる。面倒くさそうに水晶玉を見ていた彼女であるが、やがて驚愕の画を見せつけられた。

「な、何よこれは」
「今しがた起きている現実だ」
「そうじゃない、ハルカに何をしているのよ?!」
 エヴァが目にしたのは、あのハルカの姿だった。彼女は薄黄色のポンチョを着て、野原を走っている。文言だけは楽しげだが、実際は彼女を追いかける集団がいた。彼等は異様に興奮した目つきで、やけに長い体毛をなびかせ、ハルカを追い詰めていた。
「私は何もしていない。ここにいるじゃないか」
「ハルカに、あの子に何かしてごらんなさい! ただじゃ置かないわ‼」
 懸命の訴えも空しく、彼女は追手に捕まる。何事か叫ぶ言葉は聞こえてはこないが、エヴァには口がかたどる言葉は、嫌というほど分かった。

「や、やめて!」
「おいおい。私は何もしていないさ」
「お願いあの子に、あの子に危険を」
 エヴァはハルカへの心配が抑えられない。それだけ水晶玉の画は緊迫感を伝え、一刻の猶予もない現実を、彼女に突き付けてきた。
「お願い……お願い……」
 憎むべき敵に対し、エヴァは心からの嘆願を行う。その誠意が伝わったのかは知る由もないが、ヴィエラは猫女を呼び出して耳元にささやいた。頭を下げた女性が部屋を立ち去って間もなく、水晶玉の景色に変化が訪れる。
 ハルカを襲った男達に次々とやりが突き刺さり、鮮血が噴き出ていった。鎧をきた戦士にハルカが抱えられる一方で、襲撃犯たちは手を後ろ手に捕られ、その場に伏せられていく。
「あ、ああ……」
「間に合ったようだ。真パレス軍団を各所に配置した甲斐があったものだ」
「あの子は……」
「無事だ。今は軍団が保護するが、いずれ家に帰す」

「ああ、そうだ」
 猫女の耳元でまた囁いたヴィエラは、動揺するエヴァに背中を向けたまま、天井を見上げた。
「第一報が届いた。襲撃犯はいずれも西部から逃走していた、狼男のグループだそうだ」
 エヴァは返事をしない。ただ目の前に置かれた水晶玉に映る、か弱い少女が涙する様子を、白い顔で見つめていた。

「何よ、何なのよ!」
 エヴァは叫んだ。彼女は台に置かれた水晶玉に憎悪の言葉をぶつけながら、拘束された腕をガムシャラに振った。
「ハルカに何の恨みがあるの?!」
 透明な球体には、少女が血まみれになって座りこむ姿が移されている。彼女の服はボロボロで、何とか隠さなくてはならない箇所を覆っている程度にしか、残ってはいなかった。
「何で……」
 毎日のように、エヴァはこの画を見せられた。何れもハルカが魔族に襲われる画で、ここ数日では見知らぬ女性達も被害に遭っている。襲う魔族は皆嬉々として女性達の服を切り裂き、その肉体を無理矢理味わうつもりの輩ばかりだ。
「なんで……」
 連日ショックを受けるエヴァは、心に大きな歪みが生じていると気がついている。彼女の信じてきた物が、音を立てて崩れ落ちそうなのだ。
「エヴァ。これが魔族なのだよ」
 水晶玉に布地を被せたヴィエラは、陶器のコップを手に持っていた。彼は涙するエヴァの顎を持ち上げると、中の水を飲ませていく。
「私が教える真実とは、魔族の愚かさだ。君は例外としても、多くの魔族は己の欲望に忠実に生きる。人間の都合など考えずに」
「そんな、それはちがう……」
「違う?君の友人を傷つけるのは、魔族ではないと?」
「それ、は……魔薬によって変えられた人間の……」
「そもそもその点が奇妙だ。たかが薬で、魔族の力が手に入るとでも?」
「え……」
「魔族による情報操作だ。人間がその手の都合の良い薬を発見し、魔族をかたっていると。しかしそれは真実ではない。実際は魔族が自らの犯罪を隠す為に、人間の仕業としているのだ」
 エヴァはヴィエラの言っている事が信じられなかった。自分の活動の根幹が、そっくり嘘なのだと言われたからだ。
「そんな訳……」
「君の話をしたね。君は片方の親が人間で、故に人と魔族の共存を目指すと」
「そ、そうよ……」
「君のご両親は、本当に共存したのかね」
「あたりまえ……」
 エヴァは、自分の記憶を思い起こす。育ての両親はいつも笑う温かな雰囲気の人達だった。
 が、今浮かび上がる彼等の笑顔が、やけに薄っぺらく感じるのは何故だ。
「勘付いたのでは?魔族の親が、人間の親に暗示をかけた可能性にね」
「……嘘……」
 ありえない話だ。優しい彼のする仕業ではないと普段なら断言する。
「嘘よ……」
 しかし彼女は見てきた。魔族の非道な仕業、その欲望の途轍もなさと醜さを。一度目を覚ました疑念は、彼女の記憶の画に、新たな視点を生み出していく。
「そんな……」
 二人で見つめ合う愛のシーンが、魔族による暗示の光景に。
 二人でエヴァの将来を語るシーンが、暗示の補強の光景に。
「……私……」
「理解したか。魔族とは欲望に忠実な族だと。身内をだます事すら、躊躇ちゅうちょしない」
 いつの間にか、ヴィエラは部屋を後にしていた。一人残されたエヴァは、ひたすら涙し、悲しみに暮れる。

「……」
 エヴァは死んだ魚の目で、石床を眺めていた。碁盤目に広がる模様を目で追いながらも、考えているのは教えられた魔族の真実についてだ。
(だまされた……)
 あの水晶玉の画は、ずっと脳内にこべりついている。自らを真摯しんしに慕う、清らかな少女。彼女を襲う醜い魔族。
(私をだました……)
 育ての親、魔族であった方に対して、エヴァは怒りを募らせた。彼は人間との共存を、いけしゃあしゃあと語ったのだと、エヴァは思い至る。
(共存?する気がないじゃない)
 鎖を握る手に力が入る。拘束したヴィエラに対してではなく、魔族に対しての怒りによって。
(人を魔族に似せる薬?本当はただの魔族だった)
(私を、だました……)

 怒りと憎しみが、エヴァの脳内で反復し始めた。

第五章 変容

「フー、フー!!」
 また同じ画だ。魔族が人間の女性を襲うシーンを見せられるエヴァだが、最初とは様子が違う。彼女の目には魔族しかつ映らず、怒りの対象として捉えていた。
「コイツら、コイツら許せない」
「そうだエヴァ。許してはならない」
「許さない、許さない!魔族など、魔族など!」
 怒りで鎖をき鳴らす彼女に、ヴィエラは水を飲ませた。音を立てて飲み干した彼女は、自分の怒りが次第に引いていくのが分かる。
「落ち着け」
「……」
「怒りを感じるのは当たり前だ。しかし呑まれてはならない」
 ヴィエラは穏やかな笑顔を浮かべた。エヴァは自然と、彼に目線を向けている。

「その怒りを、正しく使う気はないか。怒りと憎悪を、もっと有意義に」
「……どういう事?」
「君に見せてきたこの世の真実。残酷なまでに非道な魔族だが、対処する術はある」
「対処……」
「そう、管理だ。私達の手で、真パレス軍団によって、魔族を適切に管理しよう」
 ヴィエラは再び水晶玉を見せた。映る画は今までと違い、どこかの広場のようだ。
 だだっ広い場所には、大勢の人々が隊列を組んでいる。いや、人ではなく皆何かしらの異を備えている。
「これが、」
「そうだ。真パレス軍団の中核を担う、管理された魔族による技能集団」
 一糸乱れぬ機敏な動作で行進し、各々武器を構えていた。皆ガラスのような無機質な瞳をしているが、今のエヴァには、同じ目をしている彼らが羨ましく思える。
「すごい……」
「分かったかな」
「ええ、素晴らしいわ。純粋に一つの理念に従って行動している」
「そうだ。魔族とは違い、本能ではなく理性で生きている」
「これが、管理……」
 見せつけられた魔族の姿とは、あまりに対照的だった。軍団の持つ無機質さは、エヴァにとっては清らかさすら見いだせるのだから。
「エヴァ。君は魔族にしては賢い。私の理念を、理解してくれると信じていた」
「ヴィエラ……」
「今日、君は新たな一歩を踏み出せた。次は新たな扉をお見せしよう」
 穏やかな笑みでエヴァの頬を撫でたヴィエラは、何事かを猫女に告げる。去っていく彼の後ろ姿は変わらなかったが、エヴァは少しだけその背中に、うるんだ瞳を向け始めていた。

「私達も、貴女のようにヴィエラ様と戦っていました」
「貴女、も」
「ええ。組織については知りえていませんでしたが」
 猫女は仮面を外しながら、エヴァの身体をマッサージしていた。長時間の拘束で強張こわばった身体が、あでやかな手つきによって解されていく。エヴァは全身に広がる微睡に身を委ねながら、猫女の言葉に耳を傾けた。

「しかし負けて、捕らえられました。最初は抵抗していましたが、ヴィエラ様は寛大な御心で、私達に教えてくれたのです」
 仮面の下の顔は、美人だった。大きな瞳や品の良い鼻達が、栗色の髪に彩られ、華やかな雰囲気を醸し出す。エリカと名乗った彼女は、手にエヴァの身体にオイルをかけながら、全身をほぐす作業を続けていた。
「ん……」
「根気良く教えてくれました。私は己の愚かさを知り、ヴィエラ様に忠誠を誓ったのです」
「あ……」
「エヴァさん。貴女も分かっている筈です。何が貴女にとって最善の選択なのかは」
「ああ……」
 全身に広がる心地良さは、エヴァの思考を削いでいく。彼女の心を癒す波に紛れて、エリカの言葉が心の奥底に沈んだ。
「気持ち良いですか?
「ええ…… とてもいい気分……」
「よかった。真パレス軍団に入団すると、女性はこのマッサージを習得します」
「そう……」
「では私はここで。また明日、御伺い致します」
「ありがとう……」
 夢見心地なエヴァの汗を仕上げにふき取ると、エリカは諸々の道具を片付ける。その後小さな壺に火種を落としたエリカは、部屋の扉の前で、エヴァに向き直った。
「エヴァさん」
「ん……」
「この施術は、接待以外では、真パレス軍団の幹部のみが受けられる特別な催しです」
「あ……」
「ヴィエラ様がわざわざ貴女に施術をお与えになる、その意味をお考え下さい。私から伝える事は、以上です」
「……いみ……」

(魔族は愚か。自らの欲望を制御できない)
(私をだましてでも、己が行動を優先する。人の痛みも無視して)
(あってはいけない、許してはいけない)
 一人になったエヴァは、脳内でこれまで叩き込まれた事柄を反復していた。人と魔族の共存を望んだ彼女であったが、今や魔族を蔑む考えに躊躇ちゅうちょは持たない。
(きっと他にもだまされた魔族は、無意味な戦闘を繰り広げている。その間も、愚か者は……)
怒りが湧いてきた。心に沸き立つ憤怒ふんぬの炎は、あるイメージによって制御される。
『魔族は支配するべきだ』
(ヴィエラ……)
『愚かな魔族は管理する。そうすれば、人間に危害は加えられない』
(そうだ。魔族は管理される必要がある)
『ヴィエラ様は、愚かな私達にも、根気強く教えてくれました』
(ヴィエラ。愚かな魔族である私にも、真実を教えてくれた)
 脳内に現れた人影は、段々とその姿を明確にした。銀の鎧には◇を重ねた紋様が刻まれている。たくましい肉体と大きな鼻、何より赤々とした瞳。
(ヴィエラ……)

 認識した瞬間、全身に広がる快感があった。エリカのマッサージの時にも感じた、心地よい微睡みである。エヴァは一瞬で虜になった。
(ヴィエラ……)
(ヴィエラ…)
(ヴィエラ)
 だが違う。彼女はもっと深い快感を欲した。脳内に居座るヴィエラは何も言わず、ただ手を差し伸べてくるだけだ。
『お考え下さい。ヴィエラ様が貴女に施術を施した意味を』
(ヴィエラは、私を幹部に)
『君にはNo.1を任せたい』
(愚かな私を、そこまで)
 ヴィエラからの評価の高さを、エヴァは痛感した。そして敵である自分をも仲間に迎えようとするヴィエラに、懐の深さを感じてしまう。
(彼は、上に立つ者なのだわ……)
 エヴァの口角が上がった。
(―――――)
 彼女は心の中で叫んだ。脳内のヴィエラの手を掴んだ彼女は、ある行動に出る。彼は何も言わずにエヴァの頬を撫でると、そっと耳打ちをした。

「ふむ。堕ちたな」
 牛の角をくり抜いた黄金のコップから、ヴィエラは蜂蜜酒を飲み干す。王族しか飲めない高級酒を水代わりに使う彼は、水晶玉の中で叫ぶエヴァを、満足そうに眺めている。
「この後はどのように?」
「まだ壺の麻薬が消えていないからな。暫くは様子を伺おう」
「はい」
「よくやった。君の手助けがあってこそ、私は最強の駒を手にできたのだ」
「ありがとうございます」
 エリカは大仰に腰を折ると、蜂蜜酒の代わりを注いだ。
「エリカのように美しい魔族は、そう見当たらないと思ったがね。これは幸運だ」
「必ずや、ヴィエラ様のお力になるかと」
「そう思うか?」
「少なくとも、接待にしか能が無い私よりは」
「そう卑下をするな。君達猫女の接待があればこそ、真パレス軍団の軍資金はここまで集まった。何より、君達に施した調教の記録が、今回のエヴァに役立ったのだ」
「ヴィエラ様のお力になれましたこと、猫女を代表してエリカが喜びの声をお伝えします」
 ヴィエラは深々と頭を下げるエリカの尻を、軽く撫でる。声を我慢する彼女の反応を楽しみつつ、無我夢中で叫ぶエヴァの姿を、また愉しんでいた。
「吸血鬼といえど、時間感覚の狂いでこうも容易いとは」
 実はエヴァが捕らわれてから、地下室にはある薬が散布していた。無味無臭のそれは、時間の流れを自覚しにくくする作用がある。本来大量に摂取すると廃人になる代物だが、エヴァの強靭的な肉体が、逆の意味で機能してしまった。
「エリカ。そろそろ始めるぞ。下々に伝達をしておくように」
「はい、ヴィエラ様」
 彼はエヴァの映る水晶玉を布で磨く。この水晶玉はエヴァの見せられたものと違い、本物の遠見が出来る逸品だ。彼女が目にしたのは、強力な暗示作用が発動する、ヴィエラ特製の魔法道具である。
 普段のエヴァなら見破れたであろう暗示も、洗礼を受けた銀による拘束、無味無臭の薬による時間感覚の狂い、親愛を抱くか弱い少女の危機という複数の要素が絡まりあえば無敵となる。
 長きにわたって計画を練ってきたヴィエラの前では、吸血鬼エヴァもひとたまりもなかった。
「楽しみだな。軍団は一気に晴れやかになる」
「はい」
「君達も嬉しいだろう?」
「全員で心待ちにしております」
 ヴィエラは部屋に続々入ってくる猫女達を整列させる。いずれも美形な彼女達は、黒のストレートドレスしか羽織らず、軽く頭を下げていた。
「さあ、まずは身体を温めようか」
 ヴィエラの一言に猫女達は、ドレスの紐を解いて応える。

第六章 転生

「エヴァ」
 その声が地下室に響いた時、エヴァは久方ぶりの睡眠をとっていた。気絶したとも表現できるが、一定時間意識を手放した事は事実だ。彼女は耳に届いた声色に敏感に反応すると、閉じていたまぶたをゆっくり開いていく。
「……」
 重いまぶたをしばかせ、彼女はだらりと下げていた顔を上げた。細い目でヴィエラの存在を認識した彼女は、微笑みを浮かべる。
 音を立てて鎖が千切れた。吸血鬼を完膚なきまでに封じていたくさびは、容易くエヴァの両手から転げ落ちる。
「洗礼を与える際、ある条件を付けた」
「……」
「拘束した者から、所有者に対する敵意が完全に消えた時、解放しろと」

 その場にへたり込むエヴァは、頭上から降り注ぐヴィエラの言葉に、歓喜を抑えられなかった。彼女はかつて、このような感情を抱いたことはない。
「今君から、私への敵意が消えた事が証明された」
「ええ、私は真実にたどり着いたのです」
「私が何を求めているか、理解しているね」
「はい。私で良ければ」
「君以外適任はないよ。決まりだ」
 吸血鬼としての力を取り戻しても、エヴァはヴィエラの前に立たなかった。それは彼女なりの敬意である。
「エリカ」
「はい」
「エヴァの処置を頼む。猫女達の紹介は後でいい」
「はい」
「エヴァ。エリカに従うのだ。やることがあるからね」
「……勿論です」
 エヴァはある言葉を言おうとするが、ヴィエラに止められた。唇に人差し指を押し当てたヴィエラは、小さく被りを振る。
「その言葉は、後で聞かせてもらおう。とっておきの楽しみだからね」
 立ち去るヴィエラの後ろ姿を、エヴァはうるんだ瞳で見送った。ヴィエラの指の熱が残る唇を触る彼女は、エリカに促されるまで、ずっとそのままだった。

 エリカに手を引かれて移動した先は、王宮の一室だった。実際は違うが、見間違うほど黄金に彩られた部屋だ。大理石で出来た風呂に身体を投げ出したエヴァは、全身を清めていく。彼女は何もせずに、洗浄は猫女達が代わりにしていた。
 風呂から上がると、ベッドにうつ伏せになる。エリカによるマッサージを受けたエヴァは、健康的な肉体を完全に取り戻した。
「ここから出ればいいのね」
「はい、エヴァ様」
「あら。もう敬意を持ってくれるの」
 裸体のまま扉の前に立ったエヴァの背後では、エリカを先頭に猫女達がひざまずく。全員がエヴァに対する敬愛の念を隠さなかった。

「貴女に感謝するわ、エリカ」
「ありがとうございます」
「今後頼りにさせてもらう」
「一族一同、喜んでお仕えいたします」
「もっと話したいけど、今は行くわね。ありがとう」
「いってらっしゃいませ、エヴァ様」
 扉の先は、大理石で囲われた広間だった。中央に立つヴィエラの足元には桃色の薔薇紋様が描かれ、彼の背後には◇を重ねた紋様が彫像となって静座している。
「エヴァ」
 手を広げたヴィエラに、エヴァはゆっくり近づいた。彼を焦らす様に一歩一歩踏みしめる彼女は、目的の地点に至るまでずっと笑顔だ。
「酷い女だ。男を揶揄からかうとは」
「この時は今しかありません。楽しませてもらいました」
「他の下僕がほざいたら処罰ものだが、君なら許そう」

 軽く頭を下げたエヴァが、背筋を伸ばす。斜め上に顔を上げると、少しだけ腕を広げた。
「これより、真パレス軍団入団の儀。及び下僕の契りをここに行う」
 低い声が広間に響く。ヴィエラと背後の紋様から魔力が溢れ出し、エヴァの足元に漆黒の魔法陣が展開された。禍々しいオーラを放つ、異様な力に囲まれても、彼女の心は澄んでいく。
「吸血鬼・エヴァ。其の身と心を、我に捧げよ!!」
 ヴィエラ詠唱とともに、禍々しいオーラがエヴァの口内に流れ込んだ。激流と化す魔の力が、内側から彼女を塗り替えていく。
「ぶごォ!? おごごご?!」
 下品な叫びと裏腹に、エヴァの顔は晴れ渡っていた。

 エヴァに流れ込んだオーラは内側から溢れ、彼女を包み込み、黒い球体と変化させた。いくばくかの時間が経過した後、球体にひびが入り、粉々に消滅していった。
「おお、目覚めたか!」
 ヴィエラの声が弾むのも当然だろう。
「……」
 姿を見せたエヴァは、以前とは全く違った。誰もが別人と認識するほど、今の彼女は根底から違う。
「……おはようございます」
 目を開けた彼女はヴィエラを目にすると、スカートの裾をまくりあげ、その場にひざまずいた。
「吸血鬼・エヴァ。今の君は何者か」
「私は吸血鬼・エヴァ。真パレス軍団の一員として、何より偉大なるヴィエラ様に忠誠を誓う魔族です」
 エヴァは自分が口にした文言に酔いしれる。信じられないほどの多幸感に包まれる彼女は、目の前の人物に、心から敬愛の念を抱いた。
(ああ、なんてたくましいの。なんて偉大なの。素晴らしいわ)
「君の忠義、真パレス軍団総団長・ヴィエラが認める。私は君の示した忠義に対し、統率長としての立場を与えよう」
有難ありがたき幸せ。この役目、命をして遂行します」
(嘘ではなく、本当に私を認めてくれた)
「君をだまし利用した魔族を決して許してはならない。力を合わせて、魔族の完全管理を成し遂げるのだ」
「はい。ヴィエラ様の栄光ある偉業にお力添えできる喜び、私は決して忘れません」
(愚かな私にここまで)
 ヴィエラによって塗り替えられた価値観が、エヴァの彼に対する見方を矯正する。今やヴィエラが屁をここうと感動するエヴァは、ふと自分の右手に浮かぶ紋様に気が付いた。
「エヴァ」
「ヴィエラ様」
 ヴィエラの手に口づけした彼女は、手の甲の紋様が熱くなった事が、たまらなく嬉しい。彼女は、ヴィエラの下僕になった証を、愛しそうな手つきで撫でていた。

第七章 暴虐

「た、助けてくれええ~‼」
 老人の叫びが聞こえた後、悲鳴に変わった。嘆願するような声がした気もするが、鈍い音のあと、パタリと声は途絶えている。穏やかな田園に囲まれた村落は、突如として襲撃してきた盗賊団の手によって、略奪の限りを尽くされていた。
「やめて、それは私達の宝物よ!」
「ウルセェウルセェ?!」
「あああ……」
 家の宝物を漁る輩に抗議した女性は、棍棒のような腕で殴られ、意識を失う。手辺り次第に物を壊し、家の全てを木切れにしてしまう彼等は、大猿のような見た目をしていた。
「足りねえ足りねえ!こんなもんじゃ足りねーんだよぉ」
 まだ破壊衝動が満たされないのか、男は気絶した女性の腕を掴むと、人形を扱う時と同じく、片手で振り回す。
「ギャハハハァ?!」
 女性で遊ぼうとした彼は、背中に生じた激痛に顔をしかめた。思わず振り返った彼は、続け様に浴びた水の矢に全身を貫かれ、仰向けにひっくり返る。
「オバさん!」
 水魔法を放った女性が駆け寄っていた。仲間を襲われた盗賊団が反撃に出るが、別の女性が相対する。
「邪魔しないで……!!」
 キッと顔を引き締めるハルカは、両手を伸ばして目をつむった。発生した魔法陣から放たれる風の刃が乱雑に盗賊を襲い、鮮血による絵画を描き出す。
「は、早くしてマユ!」
「ちょっとハルカ、馬鹿撃ちしたら逃げられないでしょ!」
「無茶言わないで、私これしか出来ないんだから!」
「もう!」
 マユと呼ばれた女性は気絶した叔母を抱えると、低い声を出した。彼女の顔が変化し、柔らかな体毛が湧き出てくると、彼女は大型の猫となっている。口に叔母をくわえ直すと、ハルカを背中に乗せてその場を退散していった。

「ハァ、ハァ……」
「逃げ、られたかな」
「分からない……」
 森の中に逃げた二人は、木々の間から見える光景に、絶句する。赤々とした熱に村は消え、微かに見える人影はどれも盗賊団にしか思えなかった。
「こんなのって……」
 悔しそうに地面を殴るマユを、ハルカは慰める。泣き果てる友人の背中をさすりながら、彼女は暗闇の夜空を見上げた。

 エヴァが遺した最後のメッセージを受け取ると、ハルカは一人で旅を始めた。家族への被害を考えた事もあるが、純粋に自分の力不足を感じたのである。彼女は自分が多少でも一人立ち出来れば、エヴァは捕まらなかったと思っている。
 旅をする過程を助けたのも、エヴァの教えだった。護身用に使いやすくした魔法の類は、吸血鬼仕込みとあって、大抵の輩の相手ではない。お陰で様々な村を巡れたハルカは、道中で友人を見つける。
 マユと名乗る少女は、さらわれた猫女の一族を探す魔族だった。エヴァと親しくしていたハルカはマユの正体を見抜き、自分の経緯を話した所、マユと意気投合できた。
「叔母さんは?」
「……あの人はこの森に詳しいから、きっと逃げてる……」
「そっか」
 涙する友人を抱きしめるハルカは、思わず目をつむった。
「エヴァさん……」
 その名前は、ハルカの知る限り、最も頼りになる人の名前だった。
「此処に居たのね、ハルカ」
 その声は、一度聞いたら決して忘れられない、澄んだ声色だった。
「エヴァさん……?!」
 聞きたくてたまらなかった返事が、返ってきた。ハルカは思わず振り返る。
しばらく見ないうちに、強くなったわね」
「え……」
「良い魔法ね。私の教え通り……でも少し手が加わっている。その子かしらね」
「エヴァさん……?」
「あら猫女。まだ逃げ延びていたの?全く困ったものね」
 溜息を吐くエヴァは、絶句するハルカに気がつく。
「フフ、分かるか。流石にね」
「エヴァ……さん……?」
「ハルカ。本当にこの人が例の人なの」
「ご機嫌よう、ハルカのお友達」
 マユは自然とナイフを構えていた。かばうようにハルカの前を塞ぐ彼女に、エヴァは愉快げな視線を向ける。
「ううん、いい構え。掘り出し物ね」
 そしてエヴァは姿勢を伸ばす。
「ならば真パレス軍団統率長、吸血鬼のエヴァが相手する」

「逃げるよ、ハルカ」
 ハルカを突き飛ばしたマユは、その場で固まった。ナイフを構えたまま微動だり出来ない彼女は、微かな抵抗として首をぎこちなく動かすだけだ。
『動くな』
 吸血鬼の魔眼を発動させたエヴァは、尻餅をつくハルカに微笑んだ。
「頑張ったけど、そこまでだったのね」
「エヴァさん、何を……」
「ああ、この子?大丈夫、猫女は接待で人気あるのよ。隣のアストン王国の貴族達は、大枚をはたいて買ってくれるわ」
「接待……?」
「ええ。そうよ」
「もしかして……」
「猫女の新規は無いと思っていたけど、まさか生き残りが居たとは。帰ってエリカ達と記憶魔法に関して協議する必要がある」
「嘘ですよね……」
 まさかとは思った。ハルカは頭の中で浮かんだ最悪の回答を、何度も消そうとしていた。しかし眼前にいるエヴァの装いと言動を鑑みるに、回答は正しい。
「嘘では無いわ。私は真実に目覚め、ヴィエラ様の目指されている魔族の完全管理に、命を賭けている」
 聞きたくも無い言葉を、エヴァは嬉々として口にした。

 エヴァの装いは、昔と違う。以前もシンプルなデザインのドレスしか着なかったが、清潔さと質素さに重きを置いていた。旅や戦闘が多かったから無駄な露出も避け、極力布で足や背中を隠すデザインだった。
 今のエヴァは、男を誘惑する事しか考えていないようだ。黒一色のドレスは胸元が大きく開かれていて、谷間が露出している。脇腹から太腿にかけては切れ込みが入り、エヴァの健康的な肌が見え隠れしていた。チラリとしか見えなかったが、背中側も肩甲骨付近までは布一枚も被さってはいない。何より顔の化粧が違う。簡素な口紅しか施していなかったエヴァは、黒のアイラインや紫のリップといった派手なメイクを施していた。大人びた雰囲気は今や妖艶の域にまで達し、並の男なら見ただけで股間を怒り立たせるに違いない。
「どうして……何で……」
「話すと長いわ。でも言える事は、私達はだまされていた」
「違う、違います。エヴァさんがだまされているんです」
「私も似たような反応だった。大丈夫、ヴィエラ様はね。貴女の話を聞いて、是非我が軍団にと仰って下さったわ」
「嫌……嫌!」
「わがまま言わないの。軍団の連中も宴に入るから、無駄な問答もしたくない」
 エヴァは再び目を閉じる。何をするか察するハルカは対策として魔法陣を発動させ、自分も目を閉じようとした。
「キャァ?!」
 しかしいきなり頭を拘束される。驚いたハルカが目にしたのは、紅の光に満たされた目で見つめるマユだった。
「マユ……」
 そしてエヴァの口から、無情な言葉が紡がれる。
『私に従え』

「入りなさい」
 ヴィエラは広間に設けた玉座に腰掛けていた。真パレス軍団の紋様を模ったレリーフの前に置いたそれは、金と色とりどりの宝石で彩られた、王国一のきらびやかさを誇る逸品だ。エリカに上等な葡萄ぶどう酒を注がせている彼は、入室した人物達にほくそ笑む。
「エヴァ。大手柄だ」
「ありがとうございます」
 入室したエヴァは、背後に控える女性をチラリと振り返ると、先ずはヴィエラの前にひざまずく。
「この度、新たな下僕が誕生した旨。ヴィエラ様にご報告申し上げます」
「早速」
「はい。二人とも、自分の口でお伝えしなさい」
「「はい」」
 エヴァに促されて前に出たのは、ハルカとマユであった。二人は静かにひざまずくと、淡々とした口調で自らの立ち位置を示す。
「私ハルカは、愚かにもマユとともにヴィエラ様の栄光ある使命を妨害してしまいました」
「私マユは、ハルカとともにエヴァ様に捕らわれ、真実を教えてもらいました」
「私達は自らの愚かさを自覚し、生涯をかけて償います」
「私達は自らの醜さを認識し、生涯をヴィエラ様に捧げます」
「「私達は真パレス軍団の一員として、この身と心を、ヴィエラ様に献上します」」
 ヴィエラは二人に顔を上げるように促した。ゆっくりと顔を上げた彼女達は、初めて見た己の主の姿に興奮を隠せない。
「いい目だ。それに…… ハルカ。君はエヴァに血を吸われたのかい」
「はい。エヴァ様に血を分けて頂きました。元は人間でしたが愚か者故、魔族として堕ちるのも罰かと」
「そう言うな。私としては吸血鬼と猫女のストックが出来て嬉しいよ。ハルカ、君はエヴァの補佐に回れ。マユはエリカの下で接待の勉強だ」
「「はい、ヴィエラ様」」
 もの扱いされても、彼女達は喜びを感じる。ヴィエラの調教術にエヴァの工夫が混じった事で、より下僕として完成度が増していた。彼女達の服装は勿論変化していて、ハルカはエヴァと似た露出の多い黒のドレスに濃い目の化粧、マユはモスグリーンの薄い布地で性感帯を隠し仮面を後頭部にしまっている。
 再び前に出たエヴァに対し、ヴィエラは手招きをした。蛇のように地面を張って彼の胸元に滑り込む彼女は、女としての色気を存分に出している。
「満足だ。君の力は証明されたね」
「ヴィエラ様の教育方針があってこそです。私の力など些細ささいですわ」
「これからも頼りにさせてくれ。私の野望は果てしない」
「どこまでもお力添えを、ヴィエラ様」
「君を見ていたら我慢できないな。早速新入りを味わうとしよう」
「かしこまりました」
 エヴァはヴィエラと軽いキスをすると、玉座の傍に立った。控えていた猫女達も玉座を中心に集まると、エヴァをひざまずいた格好で見上げる。
「猫女達は床間の用意を。エリカ、マユを連れて指導なさい」
「はい、エヴァ様。マユ、ついてきて」
「はい、エヴァ様。エリカ様」
「ハルカ。貴女は私と共にヴィエラ様を浴場へ。マッサージによる奉仕を」
「はい、エヴァ様」
 玉座の傍から離れるエヴァを尻目に、下僕達が支度を始めた。一糸乱れぬ連携でみだらな時間が整えられていく様子は、ヴィエラが最も好む光景でもある。
「ハルカ」
「エヴァ様」
 彼の足元で手を取りあった二人は、そんな主人の興奮を肌で感じた。この後、二人はマッサージと称した、様々な遊びをヴィエラと行う。興奮が高まったヴィエラがどんな嗜好を凝らすのか、エヴァにすら想像できない。しかし言えるのは、二人にとって至極の時間になる事だ。
「ではヴィエラ様。こちらにどうぞ」
「私達がお相手致します」

 とある世界があった。魔法が世を駆け巡り、人々の創造に彩られていた。
「真パレス軍団の者達!これより我等は隣国のアストン王国を襲撃し、金品を奪うのです!」
 人々と人ならざる魔族が息づいていた。
「かの国は愚かなる魔族が大勢いる!すべて見つけ出し、この世の真実を伝えるのです!」
 しかし今、彼等に大いなる危機が迫っていた。
「ヴィエラ様の偉大なる目的の為!愚民たる魔族の完全支配の為に、我等は命を捧げる時です!」
 邪悪なる思想に染まった人間と、彼に堕とされた吸血鬼によって。
「真パレス軍団統率長・エヴァが宣言する!」

「全ての魔族を、ヴィエラ様の支配下に!」

講評

評価基準について

定義魅力提示企画総合
AABDB
評点一覧

吸血鬼の女性が、信じていた価値観を汚すことで言葉巧みに洗脳され、巨悪へとその身を捧げさせてしまう展開となっており、各々の要素を見れば目新しいものはないが、人間と魔族の立場の違いをきっちり描き、堕ちる対象となる女性の心を入念に折っていく堕ち過程は尺も十分で過酷であり、特に堕ち描写に関する評価が高い。

構成としても、女性の強さの描写から始まり、人間の少女を助けるくらい心優しい存在であったこと、女性を堕とすために先に堕ちている猫女を登場させること、魔族が人間を襲うといった悲惨な情景を見せるなどの洗脳手法の入念さはもとより、堕ちた後に新しい主人を素晴らしい存在と崇め、恭しく付き従う変わり様など、悪堕ちの物語として魅力的な要素が一通り揃っており、それぞれが独自の世界観によって納得できる形で組み上げられている。
最後の仕上げとして黒い球体に包まれて存在が変わっていく描写や、前述の少女と無慈悲に相対する様も、堕ちて全く変わってしまったということが感じられて素晴らしい。

一方で難しい漢字を含み、古風や難解な言い回しが含まれていたり、残虐さや淫らな行為を是とする描写が差し込まれていることもあり全年齢向けとは言い難い。全体の文量も比較的多く、それに対して洗脳の描写の部分の比重が大きいため初心者にとっては話が重く、これらを総合して企画合致度の点で評価が低くなっている。

また、今回敢えて吸血鬼を選んでいるが、魔眼や各種特性、最後に少女を下僕とする展開を含めて吸血鬼である必要はなく、物語全体を通して吸血鬼を軸に据えている理由が弱く感じられる。これは他の猫女や狼人間といった魔族全般にも同じことが言える。
女性の堕ちる前の姿と堕ちた後の容姿の描写も入念ではあるが、要素を挙げてまとめているという印象が強く、物語を前から読んでいく中で彼女の容姿を想像していくことが難しい。
こういった点を含め、各登場人物の「らしさ」に深く取り組み、自然な表現で読者の心を掴むような小説となっていれば、読者の心に深く刺さる、興奮できる魅力的な悪堕ちの物語となるだろう。