作品名
アルラウネ ~騎士の敗北~
ペンネーム
サチマ
作品内容
「──一体何が起きたのだ」
白銀の鎧を身につけた長身の女は、とある洞窟の入り口に立っていた。暗闇の中からは風の吹き抜ける音だけが聞こえてくる。
ダンジョンと呼ぶには小さすぎるそこは、縄張り争いに敗れたゴブリンがごくたまに住み着き、それを冒険者が掃討する──そのようなことが定期的に繰り返されている、それだけの場所のはずであった。
しかし、一年ほど前から冒険者が帰還しなくなり始め、調査に向かった複数の兵士も行方知れずになり・・・・・・こうして彼女、ヴィルニカが出向くことになったのだ。
(まさか、な・・・・・・)
ヴィルニカは肩まであるストレートのブロンドヘアを靡かせながら、ペリドットが嵌められたような瞳を曇らせた。
一年前といえば、この世界を脅かしていた魔物たち、それらを支配していた魔王が連合軍によって打ち倒された時期と一致する。ヴィルニカ所属している騎士団、その前騎士団長は、負傷し倒れた彼女の目の前で殉職したのだった。
──あのとき何もできなかった、守りたいものを守れなかった悔しさを糧として、彼女は鍛錬を続けてきた。その結果、もとより前騎士団長から目をかけられてきた彼女は、いまや騎士団でも指折りの実力者となったのだった。
そして、この場に彼女しかいないのには理由がある。ずば抜けた実力をもつ彼女は、その強さ故に歩調を揃えて戦える者が存在しないのだ。通常の戦場ならばともかく、少人数での探索を余儀なくされるこの狭い洞窟では、並の者では足手纏いになる。それよりも彼女一人が自由に動き回れる広さを確保したほうが、より安全に任務を達成できると判断したのである。
──ヴィルニカは孤独だった。慕っていた師を失い、強さを讃えられると同時に恐れられ、心を許す友も、肩を並べられる仲間もいなかった。それでも、民を守るという使命、誇りが彼女を支えていた。
──なんにせよ、確かめねばならない。人々を飲み込む、斃すべき悪の正体を。
彼女が兜を被ると、陽を浴びて麦のごとく輝いていた髪は覆い隠され、淡い緑の瞳が覗くのみとなった。
■
──広間のような空間だった。
洞窟の天井が一部破れ、空間の中心に陽光が降り注いでいる。
そしてそこには、巨大な植物──のようなものがそびえ立っていた。
地面から直接、円を描くように葉が生えている。ノコギリのような形状のその葉は、外側に大きく反り返っていた。おそらくは、魔物化した多肉植物の類いであろう。根元はくすんだ緑色だが、葉の先端にかけてしだいに赤褐色となっており、その色合いが妖しさを際立たせていた。
ヴィルニカは、周囲に敵性存在が潜んでいる可能性を考慮し、息を潜めて洞窟内を一通り観察した。
しかし、その空間にはコウモリや羽虫以外の生命の気配は感じられなかった。
(冒険者の装備とともに、騎士団の武具が散らばっているな。やはり元凶はこれか)
魔物化した植物、その中でもその場に根を張っているもの──通常、彼女ほどの実力者が、この手の敵性存在を相手にすることはない。その場から動けず、代わりに花粉などに含まれる毒素で攻撃し、死体を養分として溶解するそれらは、その日暮らしの冒険者にとって最高の獲物であり、存在が知られた時点で狩り尽くされることがほとんどだからだ。それが、ここまで被害者を増やすとは・・・・・・。
この形状の魔物植物は割と見かけたが、その中でもよほど強い毒を持つのだろう、とヴィルニカは身を引き締める。彼女はこれまでの修行や戦いの中で、毒素への耐性は身につけていた。その上で、軽度の呪いと毒程度であれば、鎧の纏う加護で無効化することができる。とはいえ、長期戦は避けたかった。
騎士は真っ直ぐ謎の植物を睨み付け、一気に踏み込んだ。
(一撃で、かたを付ける!)
頭から突進しながら腰に下げていた剣を勢いよく引き抜き、根元から斜めに切り上げようとして──。
ヴィルニカが振るう剣の切っ先は、しかし、それには届かなかった。
「!」
体制が崩れ、うつ伏せに引き倒される。ブレストプレートが激しい音を立てた。
ヴィルニカの左足には、植物の中心から伸びた一本の蔓が巻きついていた。
彼女がそれを視認した時には、すでに何本ものしなやかな蔓が彼女の右足、両腕、そして胴に絡みついていた。
速い。
本来このタイプの魔物植物が持つはずのない、触手を思わせる無数の蔓によって空中に持ち上げられたヴィルニカは、一瞬にして失策を悟った。
「くっ・・・・・・放せ!」
手首を返すことによって器用に剣を振り、利き手に絡まる蔓を断ち切る。だが、すぐに別の蔓が彼女の腕を捉え、剣を握っている手首を防具ごと締め付けた。
「──!」
喉からせり上がる苦痛の叫びを、誇り高き騎士の習慣として、ヴィルニカは無理矢理押し殺した。何かが砕ける音、そして土壌に剣の刺さる音がそれに続いた。
いくらもがいても拘束は解けない。ヴィルニカはあっという間に植物の上部へ運ばれてしまった。葉の中心、蔓の生えてきている部分には、なにやらテラテラとした粘性のある液体が溜まっているようだった。
急に呼吸が楽になり、遅れて、兜が外されたことに気がついた。もちろん蔓によって、である。
(首を折らなかった・・・・・・とどめを刺さなかった、だと? なぜ──)
そのとき、ヴィルニカの脳裏をある恐ろしい予感がよぎった。いや、こうでなければいいと心のどこかで思っていた事態が起きている、その可能性を無視できなくなったというべきか。
「まさか──」
あのとき。たくさんの騎士、戦士、魔術師──その命が魔王の前に積み重なり、ついに他国の勇士の手によって、魔王の纏う黒衣、その胸元が貫かれたとき。
ヴィルニカの横で瓦礫のように転がっていたクレリックが、温度を失いつつある唇から漏らした言葉が耳によみがえる。
『魔王の、たましいが、────』
彼は魔王の魂が消えていくさまを見たのだろうと、あのときヴィルニカは解釈した。実際、魔王は苦しみの声を上げて霧散し、神官からの報告によると、その気配は世界のどこからも感じ取れなくなったのだそうだ。したがって、魔王は地上から完全に消滅したものと思われていたのだった。しかし、あのときのクレリックの瞳は、おののいているようであった。そのことが、ずっと彼女の心に引っかかっていたのだ。
魔王の魂は逃げ延びた。
なんらかの方法で足跡を辿れぬようにした後、駆逐される運命だった各地の魔物の残党、それを再び支配し、人を襲わせ、力を蓄えている──?
騎士の戦慄を嗤うかのように、蔓は少しずつ彼女を引き寄せていく。
ヴィルニカの体が、つま先から蜜の中に沈んでいく。人肌ほどの温かさであるそれは、装備の加護をものともせず、鎧の隙間からぬるりと浸入して、彼女の肌にねっとりと、それでいて優しく撫でるように纏わり付いた。
むせかえるような蜜の香りが、彼女の頭を強制的に冒していく。白銀の鎧がみるみるうちに腐食し、蜜に浸った肌からゆっくりと離れていくさまを、とろんとした目つきでただただ見つめることしかできなくなっていた。
(心地よい・・・・・・蔓の締め付けさえも、甘やかになっていくようだ・・・・・・)
折れて痛む右腕を、自ら蜜に沈めようとして──蔓による拘束が視界に入った。
騎士として、民を守る者として、敗北は許されない。瞬間、ヴィルニカの胸から今の状況に対する屈辱が湧き上がり、彼女は我に返った。
「いかん、早く脱出しなくては・・・・・・!」
しかし、蜜はすでに彼女の胸の高さにまで達していた。葉にしがみついてよじ登ろうにも、左手だけでは蔓の牽引に対抗できない。
もがけばもがくほど、蜜の成分が肌に浸透していく。体が火照る。今までの、騎士ヴィルニカを形作ってきた使命感ですら強制的に麻痺させる、呪詛と悪意に満ちた毒に、再び脳がとろけていく。
ああ──舐めたい。
いま、眼前に広がる琥珀色を、舌にのせて味わいたい。
強烈な渇きであった。いけないことだと、破滅への扉を自らの手で開くことだとわかっているのに、さっきまで必死に抗っていた左手で蜜を掬うことを止められない。
震える指先が唇に触れ、舌が蜜を口内に迎え入れた。
「あま、い──」
前騎士団長を喪って以降、自らを律するためにほとんど糧食しか口にしなかった彼女にとって、その味はあまりに刺激的で、我を忘れるには十分なものだった。
たがが外れたように夢中で指にしゃぶりつき、どろりとした液体を嚥下する。身体が奥の奥から焼けるように熱くなり、根の伸びるがごとく、じわじわと快感が広がっていく。
「あひっ、こんなの、もっと、もっとほしい・・・・・・!」
かつての彼女であれば大いに忌み嫌ったであろう、淫らな笑みを浮かべて狂喜する彼女に、騎士の誇りなど残っていなかった。蔓による拘束が緩み、逃げ出そうと思えばできる状態になっていることも、装備はおろか肌着さえ溶かされていることも、もはやどうでもよかった。
頬も、髪も、身体中を粘度の高い液体にまみれさせながら、彼女はぴちゃぴちゃとそれを貪った。
ヴィルニカの体内はみるみるうちに毒の蜜で満たされていき。
騎士道に殉じていたはずの脳内が欲と快感で塗りつぶされたとき、その変化は訪れた。
すでに頭の先まで蜜へ沈みきろうとしていた彼女、その足先が葉の根元に触れたその瞬間、蔓が凄まじい勢いで彼女の両脚を締め付けるように巻き付き──そのまま溶け合ったのだ。
毒蜜の素となっていた、魔物を魔物たらしめるナニカが、魔王の「意思」が、融合箇所を通じてヴィルニカに注ぎ込まれる。
世界を侵す悪しきものの奔流が、肉も、骨も、血液の一滴まで、彼女の細胞を一つ残らず書き換えていく。
「はああああぁんっ!」
身体がミシミシと変わっていくのを感じて、ヴィルニカは瞼を閉じ、その隙間から涙を零しながら、快感に打ち震えていた。
蜜のかさが減ってゆき、生まれ変わったヴィルニカ──否、ヴィルニカであったそれの姿があらわになる。
古傷の多かった白い肌は、新芽のように柔らかくて滑らかな緑色に。
逞しかった胸筋とその上の慎ましやかな脂肪は、熟れすぎた果実のように柔らかく肥え太ったモノに。
マメだらけだった手は剣を握る役割を捨て、細くしなやかなモノに。
肩のあたりで切られていたブロンドヘアは勢いよく伸び、毛束が融合し、先ほど彼女を捕らえていた蔓と同じモノに。
一切手入れされず乾燥するままになっていた薄い唇は、多肉植物を想起させるようなぽってりとしたモノに。
仲間に檄を飛ばしていた淡紅色の舌は、獲物に体内から蜜を送り込むための長くぬらぬらとしたモノに。
そして、歓喜の涙が蜜と同じ琥珀色に変わったとき、閉じていた瞼がゆっくりと開いた。
あの美しい瞳の色はどこにもない。あるのは、肌と同じ緑色の白目と、その中心の、妖しい光を湛えた赤褐色だけ。
いま、生まれ変わった彼女の精神は、新たな魔物としての殺戮・繁殖本能と、この上なく素晴らしい身体を与えてくれた偉大なる魔王への忠誠にすっかり満たされているのだった──。
■
何人もの腕利きが消え、あの優秀な騎士すら帰ってこなかった洞窟には、恐ろしく蠱惑的な、アルラウネなる魔物が生息しているらしい。
そんな噂に惑わされた冒険者や、魔物を討伐する使命を遂行せんとする騎士たちが、今日も彼女の糧となる。
それは逃げも隠れもせず、堂々とその艶めかしい姿を顕わにする。ときに蔓を用いて死者の残した武器を振るい、ときに脳を冒す香りで惑わした相手に毒蜜を口移しして、新たな犠牲者を増やしていく。その魔族としての営みは、かつての日々よりもずっと輝かしく、素晴らしいものだと感じている。まあ、そもそもあんなつまらない過去など、今目の前に転がっている新鮮な肥料の爪の先ほどの価値もないのだから比べるまでもないが。
そんなことより、そろそろ種子を広める準備をしなければ。
アルラウネは瓜のように膨らんだ腹を、伸びたばかりの枝のように華奢な指でそっと撫でた。この中には、彼女の胎でさらなる進化を遂げた、次世代の魔物植物たちがつまっている。
──すべては魔王さまのため。この世界を、魔に染め上げるのだ──。
講評
定義 | 魅力 | 提示 | 企画 | 総合 |
---|---|---|---|---|
A | B | B | A | B |
今回のコンテストの小説形式の応募作品の中で、最も文字数の少なかった作品である。だが、文字数が少ないからといって魅力的に悪堕ちを描けていないわけではなく、むしろコンパクトに悪堕ちがまとまっており、初心者でも読みやすい小説となっている。
コンテストの評価基準であるが、
悪堕ちする前後があること
悪堕ちする過程の描写があること
堕ちた後の物語もあること
全年齢向けであること
初心者でも分かりやすい/取り組みやすいこと
作品としての体裁が整っていること
コンパクトであること
主に上記に基づいて評点を付けている。本作はいずれの基準でも最低限納得できるラインを越えつつ、無理のない構成で最後まで駆け抜けている。コンパクトながら「悪堕ちをテーマとする物語」の要素が全て揃っており、コンテストの趣旨に沿って評価が高い。
一方で、もちろん各要素の味が薄いということは課題である。
例えば堕ちる先の巨悪である魔王について深掘りして確固たる悪の地位を築くとか、堕ちた後の物語を補強することで魔族がいかに素晴らしいか、そしてどれくらいまで女騎士が堕ちてしまったか、そのギャップを描写すれば、より魅力的な悪堕ちの物語となるだろう。堕ち前後でビジュアルが挿絵として挿入されるのでもいい。
または、いわゆる「アルラウネ化」は悪堕ちや人外化において使い古された手法でありオリジナリティに欠けるという観点から、ここに独特の世界観を詰め込むという方向性もある。
いずれにしても、全体的に肉付けをすればどの方向性でも改良できるという観点で、基礎がしっかりとしている、お手本のような悪堕ち作品と言える。