6 悪堕ちに関する考察

(1) 悪堕ちの種類

悪堕ちは「①洗脳/②改造/③同調/④憑依/⑤同化/⑥寄生/⑦闇堕/⑧覚醒」の8種類に分類されますが、これらは図2のように、体系的に次の要素によって分けられています。

① 主人の有無

主人が存在する場合は「受動的」、主人が存在しない、または主人が対象者本人であった場合は「能動的」と分類します。

② 受動的悪堕ちにおける主人の物理的位置

受動的悪堕ちにおいては、主人と対象者の関係が重要です。主人が間接的に対象者を支配するのを「間接支配」、直接支配するのを「直接支配」と分類します。 これは、「主人の意思で対象者の体が動いているか」という観点での分類です。

③ 間接支配における支配手法

主人が対象者を間接的に支配する場合に、どのような経路で支配しているか、です。「精神的」な洗脳、「物質的」な改造、「空間的」な同調の3つに分類されます。「空間的」というのは主人が存在することで空間が汚染され、主人が手を下さずとも堕ちる、という解釈です。主人が場を支配しているという考え方もできます。

④ 直接支配における支配手法

主人が対象者を直接的に支配する場合も、「精神的」と「物質的」の2つに分類されます。間接支配にあった「空間的」は、直接支配では主人が必ず直接手を下すため存在しません。基本的に対象者の肉体を変化させずに堕とすのが精神的、変化させる必要があるのが物質的です。

⑤ 物質的直接支配における主人との位置関係

主人が直接対象者の肉体を物理的に支配する場合も、「境界外」の同化と、「境界内」の寄生の2つに分類されます。主に主人と対象者との大きさの観点で、対象者の肉体を超えて主人が取り付いているものを「外」、対象者の肉体がメインとなって主人がその中に入っているのを「内」、と分類します。このように直接支配を敢えて境界内と境界外に分けたのは、悪堕ちの持つ、主にギャップ萌えと浄化の側面からです。ギャップ萌えとは、対象者が悪堕ちしてどのような姿に変わるかという要素にも影響を受けますが、例えば怪物の胸部に埋まる生体ユニット化と、対象者の容姿に変化がなく支配を受けている寄生ではその性質が全く異なります。また、浄化される場合も、「対象者から主人を取り除く手法と難易度の違い」も大きいため「同化」と「寄生」を分けるべき、となった経緯があります。

⑥ 能動的悪堕ちにおける発現時期

能動的に悪堕ちする場合も、その因子を元々持っていたかどうかで「後天的」な闇堕(闇堕ち)と、「先天的」な覚醒の2つに分類されます。「元々そういう思想を持っていた」というような話ではなく、悪に堕ちることが運命づけられていたようなものを「覚醒」と呼びます。こちらの分類ですが、闇堕型の悪堕ちが色々なバリエーションを持ってきている現在、例えば

  • 先天的運命 「覚醒」
  • 先天的気質 「解放」
  • 後天的   「変質」

のように、3つに分類するのも間違いではないと考えています。ただ、これも少し議論が必要です。例えば「勇者王ガオガイガー」(1997-1998)に出てくる卯都木命は過去の事故の際に、とある種子を埋め込まれており、最終的にこれが覚醒する形でゾヌーダへと変貌します。これは間違いなく覚醒なのですが、先天的かと言われれば疑問が残ります。当面、闇堕型の悪堕ちを議論するには、次の3つを表現する言葉があれば解決しそうです。

  1. 遺伝子レベルで悪堕ちする運命が定められていた。時が来たので悪堕ち
  2. 悪堕ちするような心を持っていた。その心が解放される形で悪堕ち
  3. 善良な人間だったが、悪の心が芽生える。結果悪堕ち

能動的悪堕ちについては、まだまだ新しい解釈や発展がある分野として議論中であることを、ここに残しておきます。

(2) 悪堕ちの歴史

悪堕ちの歴史に関しては、2つの視点でまとめることができます。一つは、「悪堕ち」という単語が成立する前から存在していた悪堕ちを遡り、まとめることです。悪堕ちは、日本では「古事記」に記されているように遥か昔から存在し、世界中の古典でも散見されます。もう一つは「悪堕ち」という単語が成立した後に、実際に悪堕ちという言葉を用いて紡がれていった歴史です。ここでは具体的に後者を追っていきます。

悪堕ちの歴史は主に表1のようになります。ここには記していませんが、2002年以前の主な出来事として、悪堕ちの事例としてよく出される「ブラックレディ」は、「美少女戦士セーラームーン」内にて「ちびうさ」が「ブラックレディ」へと変化したのは1994年のことでした。また、「ダース・ベイダー」が初登場した「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」の公開は1977年です。

1999/10/07PS版ゲーム「ジルオール」発売
「闇落ち」成立
2002年匿名掲示板「PINKちゃんねる」にて「悪堕ち」成立
2004/01/30PC版ゲーム「Fate/stay night」発売
「黒化(間桐桜、セイバー、他)」の概念が規定される
2007/09/10イラストコミュニケーションサービス「pixiv」開始
同月「悪堕ち」タグが成立
2008年匿名掲示板「ふたば☆ちゃんねる」にて「悪堕ちスレ」が定例化
2008/06/20アダルトゲーム「エルフ姫ニィーナ~受胎蹂躙~」発売
「悪堕ち」が初めて商業作品の宣伝に用いられる
2008/09/26アダルトゲーム「音速飛翔ソニックメルセデス」発売
「悪堕ちプラグ」という名称で「悪堕ち」が初めて商業ゲーム作品内で用いられる
2008/12/18PS2版ゲーム「Fate/unlimited codes」発売
黒セイバーが「セイバーオルタ」と呼称されることで「オルタ」の概念が規定される
2009/07/12アニメ「フレッシュプリキュア!」第23話にて「イース」浄化、「キュアパッション」に
以降「光落ち」単語成立の礎となる
2009/11/27アダルトゲーム「VenusBlood -DESIRE-」発売
以降VenusBloodシリーズは「女神悪堕ち触手SLG」としての地位を築く
2011/01/07アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」放送開始(同年4月22日まで放送)
「魔女化」の概念が規定される
2011/07/10アニメ「スイートプリキュア♪」第21話にて「セイレーン」浄化、「キュアビート」に
キュアパッションの前例を受けて「光落ち」の単語が非公式に成立する
2011/11/25アダルトゲーム「突然怪人にされた俺と悪堕ちする魔法少女の話」発売
「悪堕ち」が初めてタイトルに入る商業作品が発売される
2012/09/08成年コミック「悪堕ちアンソロジーコミックスVol.1」発売
KTC発行の「悪堕ち」をテーマ・タイトルとした初めての商業作品
2013/02/03アニメ「ドキドキ!プリキュア」放送開始(翌年1月26日まで放送)
「レジーナ」が「敵女幹部が改心した後ふたたび悪堕ちするも最終的に浄化される」こととなり、「光落ち」「(再)悪堕ち」「再光落ち」要素が混在する極めて特殊な事例が発生する
2013/04/23ブラウザゲーム「艦隊これくしょん -艦これ-」サービス開始
味方である艦娘と敵である深海棲艦との関連性から「深海棲艦化」の概念が規定される
2014/11/01数多くの悪堕ち作品を生み出してきたPCゲームブランド「MAIKA」が無期限休止宣言
2015/04/23PS4版ゲーム「新次元ゲイム ネプテューヌVⅡ」発売
全年齢向けのゲームで初めて「悪堕ち」という言葉が作中に登場
2015年頃「悪堕ち」「闇堕ち」の概念が一般的となり公式記事でも単語が使用されるようになる
2016/07/10アニメ「アンジュ・ヴィエルジュ」放送開始(同年9月25日まで放送)
「闇堕ち」がオリジナル設定で登場
2019/06/15成年コミック「TS悪堕ち 女体化した正義漢たちが悪転アクメ!Vol.1」発売
KTC発行の「TS悪堕ち」をテーマ・タイトルとした初めての商業作品
表 1 悪堕ちの歴史

(3) 魅力的な悪堕ちを生み出すために

ここからは、悪堕ちを生み出す作者側の視点に立ち、魅力的な悪堕ちを描くためにどのようなことに留意すればよいかをまとめ、説明していきます。

① 悪堕ちにおける視点の違い

悪堕ちが絡む物語を描くとき、自分が表現しようとする悪堕ちが、「目的」なのか、「手段」なのかによって物語の構成が変わるということは注意しなければなりません。

「悪堕ちが目的」とは、対象者を悪堕ちさせることが物語の目的であるということです。例えば「聖女を残虐な人間に堕とす」という場合は、残虐な人間に堕とすことが目的であるため、悪堕ちの過程と結果、つまりどのように堕とすか、及び、堕ち後の姿が堕ちる前と比べてどれだけギャップ萌えできるかに焦点が当てられます。

一方で「悪堕ちが手段」とは、対象者を悪堕ちさせた先にあるものが物語で描きたい部分であり、悪堕ちはそこに至る手段であるということです。例えば「原作では病死する人物」が「もしも生き延びるために禁呪に手を染めたら」というような、避けられなかった運命を、悪堕ちという手段を用いて回避し、自分が望む結末へと改変する作品(原作が存在する場合は二次創作)が該当します。

端的に言えば、自分が表現しようとする悪堕ちが、悪堕ち自体を表現したいのか(目的)、それとも悪堕ちを通して何かを伝えたいのか(手段)によって物語の性質は変わります。そして「悪堕ち自体」を見たい読者は前者(結果)を求め、「悪堕ちの物語」を見たい読者は後者(過程)を求めるのです。これらを分かりやすく表2にまとめました。まずは、こういった視点の違いを認識して悪堕ちの物語を描き始めると良いでしょう。

 男性的視点女性的視点
表現者側 (悪堕ちに対する認識)目的手段
読者側 (悪堕ちに求めるもの)結果 (実用性)過程 (物語性)
表 2 悪堕ちにおける視点の違い

② 悪堕ちの形式美

悪堕ちはギャップ萌えが重要ですが、更にその中でも視覚的変化が重要です。これは悪堕ちジャンルは形式美を愛でる部分があり、この場合、視覚的変化、例えば服装の変化や容姿の変化などで悪に堕ちた点を強調することで、悪堕ちの物語を分かりやすく楽しめることが理由として挙げられます。形式美というのは、例えば映像作品「水戸黄門」における「商人を模して諸国を渡り歩き、旅先の悪事を解決しつつ最後に印籠を取り出して悪役を懲らしめる」という流れです。これは水戸黄門においてほぼ各話共通であり、視聴者は各話の最後に印籠が出されることで事件が決着し、溜飲が下がるわけですが、この「印籠の効果=出せば決着がつく」という形式美は、視聴者に物語が無事結末を迎えたという安心感を与えます。

逆に、例えば水戸黄門一行が、最後に印籠を出さずに実力でねじ伏せて悪人を連行していったとしましょう。実際にねじ伏せられるだけの実力は持っていますが、なんだか盛り上がりもないし、溜飲も下がらなくて物足りませんよね。このように「印籠を見せる」という形式美は、話に緩急を付けた上で、視聴者に安心感を抱かせる効果があり、この型にはまった流れがその通りに動くことを美しいと思うわけです。故に、悪に堕ちたことが視覚的変化によって現れると、読者は安心しますし、それを美しいと感じます。つまり、悪堕ちによって容姿や服装が変化するのは、水戸黄門で印籠を出すが如く、悪堕ちの形式美を楽しむために必要な要素なのです。特に意図がなければ、堕ちる前と堕ちた後で視覚的変化を可能な限り盛り込むと良いでしょう。

③ 悪堕ちをより魅力的に見せるために

堕ちた後の対象者のデザインが悪堕ちの様々な要素と絡んでいると、更に魅力的な悪堕ちになります。例えば、どういった原因で堕ちたかが分かるような衣装であったり、堕ちた後にどのような能力を使えるようになったかが分かるような衣装であったり、という方向性があります。

「魔法少女まどか☆マギカ」(2011)に登場する、魔法少女の成れの果ての姿である「魔女」はこういった要素が詰め込まれています。魔法少女の一人、美樹さやかは作中で悪堕ちするまでの過程が克明に描かれ、果たして魔女「Oktavia von Seckendorff(オクタヴィア・フォン・ゼッケンドルフ)=人魚の魔女」へと変貌しました。人魚の魔女は、上半身が騎士の鎧の姿で、下半身はその名の通り人魚の形をした異形の怪物です。上半身部分に見える騎士の鎧・マント・剣は彼女の魔法少女姿の名残、下半身の人魚は、彼女の恋の悲哀を童話「人魚姫」の展開になぞらえていると言われています。また、コンサートホールを模した魔女の結界や演奏などは、彼女が好きだった人物に影響を受けているとされます。なお、別の時間軸でも彼女は同様に人魚の魔女へと堕ちますが、魔女のデザインや魔女の結界の雰囲気が少し異なっており、彼女が好きだった人物がどのような状態かによって変化すると推測されています。このように

  1. (異形化する場合)その人物の象徴を堕ちた後のデザインへと継承する
  2. 堕ちる原因を堕ちた後のデザインに組み込む
  3. 堕とした人物の特徴や関係性を堕ちた後のデザインに組み込む

といった形で堕ちた後の姿を描くと魅力的な悪堕ちとなります。美樹さやかの例では、1は騎士の姿、2は人魚(姫)、3は音楽、といった形です。

また、3の例としてデザイン・能力のブレンドがあります。例えば薔薇のツタに捕縛された状態で主人の改造を受けて悪堕ちさせられたヒロインであれば、悪堕ちした後に全身に薔薇のツタを巻きつけたような衣装となり、ツタを鞭のようにして操る能力を身に着けていると、伏線の回収や設定を継承できている観点で魅力的な悪堕ちであると言えるでしょう。

こういった要素は、盛り込めば盛り込むほど悪堕ちとして奥が深くなりますが、同時に詰め込みすぎると歪な存在になってしまいますので(敢えて詰め込んで歪にする悪堕ちも方法論としてありですが)、ある程度、要素に優先順位を付けて取捨選択して、どのようなデザインに落ち着かせれば悪堕ちとして素晴らしい意匠となるかを検討するのが良いでしょう。

④ 悪堕ち作品の構成

悪堕ちの物語を組み立てる際には、「堕ちる前と堕ちた後のギャップ」と「悪堕ちする過程の描写」が重要です。イラスト作品では、堕ちる前と堕ちた後の2枚で悪堕ちを表現することが多いですが、これでは前者しか満たせませんので、キャプションできちんと過程を添えるなどのフォローが必要となります。

また、既に人物の設定が掘り下げられている二次創作と違い、オリジナル作品では、悪堕ちの対象者がどういう人物なのかを詳しく描写する必要があります。起承転結の流れに沿う場合は、起は世界観の設定、承は対象者の掘り下げ、転は悪堕ちしていく過程、結は悪堕ちした後の話、という構成ならバランスが取れているでしょう。後述する「二次元エンド」とならないためにも、悪堕ちして終わりではなく、悪堕ちしてどうなったかまで描くとなお良い作品になります。

一方で、起承転結のどこに力を入れるか、どこのボリュームを増やすかは、表現したいものの違いで決めると良いでしょう。悪堕ちが目的であれば「転結」に力を入れるべきですし、悪堕ちが手段であれば「結」に力を入れるべきです。前者も後者も気を付けるべき点があり、前者は、どうしても悪堕ちさせたことに力を入れ過ぎてしまって、悪堕ちした後の話を軽視してしまう傾向があります。後者は、むしろ起承転結自体がプロローグで、その後に来る後日談に力を入れ過ぎてしまう可能性があります。尻切れトンボにならないように、また、どこかが重すぎてバランスが崩れてしまわないように、全体の構成やボリュームを見て、バランスの取れた物語の展開を心掛けると良いでしょう。

⑤ 悪堕ちと性的要素

悪堕ちは、男性向けのアダルト市場から形成されていったジャンルでした。このため、狭義の悪堕ちでは、悪堕ちは性的なものであるという前提で扱われてきましたが、堕研がインターネット上で行った調査結果を元に実際に男女に話を伺いますと、男性は悪堕ちに性的さを感じる一方で、女性は悪堕ちに興奮することはあるが性的さを感じない、または求めていないという結果が得られました。悪堕ち作品が性的かどうか、そして性的さを感じるかどうかは、一般向けとアダルト向けを分ける重要な分岐点です。性的要素を含めばアダルト市場に作品が流通しますし、アダルト市場で消費される(≒アダルト市場の需要が高い)という結果を生みますから、悪堕ちジャンルが性的かどうかは、需要供給の均衡を崩すものになりかねません。

さて、なぜ男性は悪堕ちに性的さを感じるのでしょうか。ここまでの悪堕ちに関する説明を振り返れば、悪堕ちを性的に感じる要因の一つとして、悪堕ちして変化した対象者自身を性的だと感じている可能性があります。「ギャップ萌え」でも触れたように、基本的に女性キャラは悪堕ちすることで、身体的特徴や衣装、言動が性的なものになることが多いです。これにより、悪堕ちすれば性的になるというイメージが先行し、悪堕ち自体に性的さを感じるようになっている、という解釈です。一方で、悪堕ちの魅力である「ギャップ萌え」と「サディスティック・マゾヒスティック要素」には、性的さとは別に興奮を覚えることでしょう。つまり「変化の過程」は興奮できるものであり、かつ「変化の結果」には性的興奮を覚えるというわけです。生物学的知見によれば、男性が結果を重視し、女性が過程を重視するという傾向があるとのことで、「男性は悪堕ちに性的さ(性的興奮)を感じ、女性は興奮する」という調査結果にも合致します。

また、男性は結果、女性は過程を重視する故に、男性は目的の遂行を目指し、女性は他人に共感を求める傾向があると考えられています。これは、悪堕ちジャンルにおいては、悪堕ち作品が実用的であれば良いと考えている男性に対し、女性は悪堕ち作品への共感を重視する、ということに繋がります。共感が前提となる場合、共感できる相手を見つけ、繋がるための「棲み分け(フィルタリング)」を非常に重要視します。例えば、悪堕ち作品に対して、悪堕ち対象者が男か女かに始まり、カップリングがあるか相手は誰か、どちらが攻めでどちらが受けか、性的要素があるか、堕ちた後の救いはあるか、と切り分けていった最小単位の「場」を設定し、それらのどこに自分が所属しているのか、ということを明確に意識します。作品の「場」を形成することは、作者の立場では共感して欲しい人に確実に届ける意志の現れとともに、読者の立場では自分が共感できない作品に当たって嫌悪感を抱かないための自衛手段でもあるわけです。このように、場を尊重し、守りを固めている状態ですから、場の外側から侵食されたり、内側で認識の相違や解釈違いが発生したりすることは争いの火種になりかねません。

悪堕ちは性的要素を含む場合が多いですが、男女問わず性的要素が苦手な人は存在し、こういった理由で悪堕ちを忌避することがあります。しかしながら悪堕ち自体は非常に魅力的なジャンルですので、棲み分けを行うために「闇堕ち」を「性的要素を含まない悪堕ち」という意味で使用する場合があります。

最後に。改めて理解しておいていただきたいことは、こういった主張は「男性・男性向けはこうあるべき」「女性・女性向けはこうあるべき」と区別し、強制するものではありません。あくまでそういった傾向があり、またそのような理由で悪堕ちジャンルでも対立や抗争が起きているため、悪堕ちが好きな人同士お互いに理解し、歩み寄るのが悪堕ちジャンルのためになると堕研は信じています。特に、男性向け(成人男性向け)であれば性的要素をどう扱うかにそれほど拘る必要はありませんが、女性向けであれば前述の理由で慎重に判断したほうが良いです。

⑥ 悪堕ちする人の気持ちになって考えよう

悪堕ちについて深く理解するためには、実際に悪堕ちしてみるのがよいでしょう。とはいえ、現実世界では悪堕ちすることは難しいので、身近にできる悪堕ちに近い感覚として、堕研は「悪堕ちは無課金のゲームに課金する行為に近い」と主張しています。

課金により何かしらの恩恵を受けるオンラインゲームを思い浮かべてください。例えば通常なら十時間プレイしたら手に入る武器があるとして、これを百円課金すればすぐに手に入る場合、十時間と百円を天秤に掛けて、課金する人は多いのではないでしょうか。十時間の努力は百円よりも価値があるものだと思う人がいる一方で、課金すればその価値は即刻崩壊してしまいます。言い換えれば、プレイヤーが望めば簡単に力が手に入る、という状況を擬似的に作り出すことができます。でも、そうやって特殊なルートで手に入れた力は、その価値を忘れがちで、自分の中で本来の価値や掛けるべきだった労力、時間が霞んでいってしまいます。また、他のプレイヤーと争うようなシステムの場合、十時間程度の価値を一瞬で手に入れただけでは、他に課金している多くのプレイヤーと大差ありません。他のプレイヤーに勝ちたいという想いが、更なる課金に駆り立てて行きます。このようにして、『欲望』に忠実に『力』を求める行為を、擬似的に課金によって体験できる、という主張です。特に、これまで無課金で頑張ってきたゲームに対して課金してしまうと、「なんだ、こんなにも簡単に力が手に入る」と、課金の味を知ってしまうという点で、非常に悪堕ちらしい感覚を体験できると考えています。

課金行為を悪堕ちの感覚に近い例として挙げたのは、大抵の人が経験しやすい事例だと思っているからです。注意してほしいのは、課金も無課金も、どちらが正しいというわけではありません。ゲームにおいては、そのゲームを楽しむことが最も重要だと思っています。闇に飲まれないために重要なのは、お金や物事の価値を自分の中で見失わないことです。例えば宝くじを当てて大金持ちになったからといって贅沢三昧で過ごせば、大金とはいえ持っているお金は有限なのでいつか無くなってしまいますが、一度上げた生活水準は元に戻ることはなく、宝くじを当てる前より苦しい生活になってしまった、という例がよく報告されます。このように特殊なルートで手に入れた力は本来の価値を忘れてしまいがちなので、より一層、力の価値を理解し、常に忘れないでおく必要があります。能力も道具も、使う人次第でその性質が善悪に分かれるという話です。

(4) 「彼岸と此岸」理論

「憧悪」でも触れましたが、正義と悪の違いや、様々なギャップについて考える時、「此岸」と「彼岸」の関係で例えると理解しやすい場合があります。彼岸は川の向こう岸、向こう側の世界という意味で、理想的な世界のことや、あの世の世界という意味で使われます。此岸は彼岸と対になるこちら側の世界という意味で、現実世界、苦しみの多い世界という意味があります。具体的な例を表3にまとめました。

彼岸三途の川(分断)此岸
向こう岸現地点
向こう側の世界こちら側の世界
あの世この世
理想現実
救済される世界苦しみの多い世界
不明瞭具体的
大人子供
味方
正義
不真面目真面目
隣の芝生は青い
表 3 「彼岸と此岸」理論

例えば「大人と子供」のギャップ、対比を考える場合、子供を此岸、大人を彼岸とします。子供は大人から庇護される存在であるが故に、大人の指示に従わなければならないことを不遇と感じ、大人(特に親)や社会に強く反発し、「はやく大人になりたいな」と思うようになります。この場合、此岸にいる子供が、大人がいる彼岸を理想的な状態と思い、夢見るという構図になります。しかしながら実際問題として、大人になるというのは子供を庇護できるくらい立派な存在になるということであり、それは年齢や体格の条件を満たせばよいという話ではなく、人間同士が人間社会で協力して生きていくための知識や技能、倫理観やある程度の寛容さを身に着けるということです。故に身体だけ大人になっても、それは大人になれたとは言えません。

憧悪においては、自分の元(此岸)にない彼岸の悪を「理想」であるとし、向こう岸にあるものは手を伸ばしても届かないものなので、より一層、向こう岸に憧れます。ですが、向こう岸にたどり着いてしまったら帰って来られないのも特徴です。人間、自分が持っていないものに憧れ、欲しいと思います。それは力であったり、美貌であったり、お金であったり、名声であったりしますが、それらの価値とそれらを保つ苦労は、それらを自分の力で得られた人にしか分かりません。「あったらいいな」という考えは、いずれ自分の身を滅ぼします。「欲しい『だけ』のものを手に入れた瞬間から堕落の人生が始まる」という状況に繋がる可能性もあります。実際、そういう一連の行為や状況が悪堕ちであったり闇堕ちであったりするわけですが、こういう経路で堕ちる人は、自分が堕ちていることを認識していないのが大半です。客観的に考えれば、浮上していない、向上していないのだから、あとは堕ちるだけの状態なのですが、周囲の人間はそれを認識しているけど、本人が認識していない状況がよく発生します。

此岸は、いま自分がいる場所、自分が知ることができる範囲。対して彼岸は、存在は把握できるが、どういうものかは行ってみないと分からない場所です。此岸から彼岸へ、川を乗り越えて対岸へたどり着いたときには、逆にこれまで此岸だった場所が彼岸となり、元いた場所には戻れません。この、彼岸に憧れながらも、その本質は不可逆性という状況は、まさに悪堕ちの真髄ではないでしょうか。

(5) 魔法少女と悪堕ちの相性

魔法少女と悪堕ちは大変相性が良い組み合わせです。これを、魔法少女と悪堕ちの歴史と、魔法少女が持つ要素に焦点を当てて考えていきます。

① 魔法少女と悪堕ちの歴史

魔法少女の悪堕ちの祖は「美少女戦士セーラームーン」のブラックレディ(ちびうさ)で、悪堕ちが発生したのは1994年(美少女戦士セーラームーンR)のことでした。この悪堕ちがきっかけで悪堕ち好きに目覚めた人は多く、次いで、同シリーズ「美少女戦士セーラームーンS」(1994-1995)のミストレス9(土萠ほたる)、「コレクター・ユイ」(1999-2000)のエビルハルナ(如月春菜)、「魔法少女リリカルなのはA’s」(2005)の闇の書(八神はやて)、「魔法少女まどか☆マギカ」(2011)に登場する美樹さやかを始めとする魔法少女たち、そして「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語」(2013)の悪魔ほむら(暁美ほむら)といった魔法少女たちの悪堕ちが描かれてきました。

また、アダルトゲームでは「魔法戦士スイートナイツ」(2002)から始まるTriangleの「魔法戦士」シリーズも、悪堕ちジャンルの形成に深く関わってきています。本作は主人公が悪側であり、ヒロインである魔法戦士たちを陵辱により堕としていくという構成、更にヒロインが自身の陵辱される様子を実況するという独特のスタイルを確立し、後の多くの作品に影響を与えたとされる作品です。悪堕ちの成立が2002年ですから、本作の存在は悪堕ちジャンルと切っても切れない関係があるでしょう。

このようにして、魔法少女と悪堕ちの関係性、「悪堕ちするのは魔法少女」というイメージが形成されていきました。なお余談ですが、悪堕ちしやすい女性キャラとして、現在では魔法少女と並び、「対魔忍」(対魔忍シリーズ/2005-)が挙げられることがあります。

② 魔法少女が持つ要素と悪堕ちの関係

魔法といった不思議な力を扱う魔法少女の世界はファンタジー色が強く、衣装の変化や身体の成長などが容易に行える世界観であることが、悪堕ちと相性が良い理由として挙げられます。成長したブラックレディ、衣装が変化したエビルハルナ、異形化する「魔法少女まどか☆マギカ」の魔女たち。同時に、悪堕ちした後の能力の強化も行いやすい世界観でもあります。

また、ファンタジー色が強い故に、戦うべき悪の存在が明確であることも重要です。魔法少女は「悪を倒し、世界を平和にする」という使命を与えられることが多く、悪の存在が明確であれば、悪に堕ちた姿が具体的になるという観点でも悪堕ちと相性が良いと言えます。悪堕ちした魔法少女が敵となって出てくる展開もあるでしょう。

少女という姿も悪堕ちと相性が良いでしょう。魔法少女という名前ではあるものの、本質は少女であり、成長したら「魔女」になるという示唆が含まれています。これは「魔法少女まどか☆マギカ」では明確に規定された概念ですが、他のあらゆる魔法少女がその可能性を持っています。少女は無垢である一方で、多感な時期であり、環境に振り回されやすい状態にあると言えます。故に彼女たちは移ろいやすく、容易に悪に堕ちてしまう可能性を秘めています。無垢な存在を黒く染めていくことも悪堕ち的にポイントが高い点ですし、悪堕ちによる子供から大人への成長も、ギャップ萌えを生かせています。彼女たちは純真無垢な存在であるが故に、自らの気持ちを抑えきれなくなって、暴走してしまうこともあります。あの人が好き、あの子を守ってあげたいといった純粋さは、ときに「独占欲」となって悪堕ちした時に歪な形で発露することがあります。

(6) 悪堕ち用語集

ここでは、悪堕ちに関する語句を解説していきます。

① 覚聖

「覚聖」とは堕研の提唱する悪堕ちの反意語で、悪に堕ちてしまった人を救出する行為のほか、元々悪側にいた人物を正義側に引き込む行為も指します。

「悪堕ち」の反意語はなにか、という議題は定期的に上がりますが、結論が出ないまま長い月日が経っています。2019年現在では、2011年頃に造られた「光落ち」という言葉が覚聖以外では主力となっており、2014年頃は「善昇り」という造語が用いられることが多かったです。「光落ち」は「悪側の人物が改心して正義側に来る」というような意味で使われます。

しかし、「善昇り」や「光落ち」は「悪堕ち」の反意語として不十分です。それは、「悪堕ち」の反意語は次の3つの要素に対して、全て当てはまらなければならないと考えているためです。

 ①単語を品詞分解して反意語にしたもの

 ②悪に堕ちた人を救出する行為

 ③悪側の人を正義側に引き込む行為

①は「善昇り」、②は「浄化」、③は「改心」が適切ですが、「善昇り」では①を満たしますが②と③を満たさず、「光落ち」では①③を満たしますが②を満たしません。こういった経緯で堕研は2014年に覚聖を提案しました。

覚聖は浄化や改心のニュアンスを掛け合わせた新しい言葉です。「悪から復帰する」を一文字で表すと「覚」や「浄」であり、「悪から正義に転じること」を一文字で表すと「醒」などが該当することから、「覚醒」という既存の言葉が該当します。しかし覚醒は悪堕ちの種類の内の一つであるため、被りを回避するため、また別の語が必要です。そこで、「醒」の字を「悪」の反対、「聖」と掛け、「覚醒」と音が同じくなる「覚聖」を悪堕ちの反意語として提唱することになりました。覚聖と似たような言葉に「善醒め」という言葉も存在しましたが、主に②の観点で善醒めよりも覚聖の方が適切であると判断しています。

なお、覚聖は「エスプガルーダ」シリーズ(2003-)に登場するゲームシステムの名称としても使われており、本作では、主人公(自機)の性別を入れ替えることで主に敵弾の速度を遅くするシステムを指します。

② 夢堕ち

  1. 「夢オチ」の結末に対して読者が落胆して闇堕ちすること
  2. 登場する対象者の別個体が悪堕ちした状態のこと

ここでは後者について説明します。別個体とは主に

  • 対象者の陰や分身
  • 対象者のクローン
  • 平行世界の対象者
  • 未来の対象者

であり、これらが既に悪堕ちした状態で登場することを指します。「この物語は夢だった」という展開で締めることを「夢オチ」と呼びますが、夢オチはそれまでの世界をなかったことにされるという観点で、読者を落胆させることも多く、安易な使用は禁じ手とされています。このように本来世界に存在しないもの、偽り、消えることが前提なので儚く感じるものを「夢」と呼ぶわけです。

悪堕ちは堕ちる過程の描写も重要ですが、夢堕ちは、これらの過程を飛ばし、既に堕ちた状態で物語の中に、「現在の自分」の前に現れます。悪堕ちの要素として、ギャップ萌えを尊重する人にはあまり気にならず、むしろ素晴らしいシチュエーションですが、過程を重視する人には単なる色違いが登場した、これは悪堕ちではない、と捉えられてしまうことがあります。悪堕ちの解釈として、現在の自分(悪堕ち対象者)が堕ちないのであれば、たとえ未来や平行世界の自分、また自分のクローン体が悪堕ちした姿で現れたとしても悪堕ちと認めない人もいます。こういった状況を夢堕ちと表現し、区別する場合があります。

しかし、やはり夢堕ちは魅力的な悪堕ちと考えております。既に何らかの理由で悪堕ちした自分が、まだ悪堕ちしていない現在の自分を連鎖堕ちさせようとする状況。顔も記憶も一緒、ただ悪堕ちして性格は変わり、衣装も悪の装いになった自分が、自分の仲間にしようと、悪に引き込もうと迫ってくるのです。自分の弱点を知り尽くしているもうひとりの自分に、もはや抗う術はありません。悪堕ちした自分が、自分を連鎖堕ちさせようとする悪堕ちの予定調和は美しいものではないでしょうか。

③ 堕ち名残(名残悪)

悪堕ちした際に身に着けた能力や、容姿や衣装の変化の一部、または全てを引き継いだ状態であることを「堕ち名残(おちなごり)」、その引き継いだ部分を「名残悪(なごりあく)」と呼びます。例えば「ゼノブレイド」(2010)のフィオルンは、序盤で命を落としたと思われていたものの、後に機械化されて生存していることが判明、彼女の意識が眠っているため一時期主人公たちと敵対していましたが、最終的に覚醒し、機械化されてパワーアップした身体のまま仲間に復帰しました。また、「7悪堕ち戦略論」の「(6)悪堕ち戦略を用いる事例」で説明しますが、「ライン・ヴァイスリッター」も同じような堕ち名残です。

悪堕ちの反対は覚聖ですが、この覚聖と堕ち名残は非常に相性が良いです。単純に悪堕ち状態を経たという経験値の上昇だけでなく、悪堕ちした時に自らが取り込まれてしまった悪の力を克服するという成長の物語を実感でき、一方で味方に復帰したとしても元の姿には戻れないという不可逆性を同時に見せつけるシチュエーションであるため、覚聖する可能性がある悪堕ちでは非常に好まれる手法です。

④ 野良堕ち

誰かに洗脳されるわけでなく、自分一人で悪堕ちすることです。または、洗脳されて悪に堕ちるも、主人を殺害して一人になったり、主人に代わって天下を取ったりするような状況を指します。狭義の悪堕ちでは、洗脳された対象者が主人の下につくことが魅力的と考えられているため、主人が存在しない状況を嫌悪する人も多いです。

⑤ 二次元エンド

「二次元エンド」の「二次元」とは、KTC(キルタイムコミュニケーション)が発行するレーベル「二次元ドリームノベルズ」のことです。これらの作品群の中で、ヒロインの悪堕ちを期待していたのに、堕ちたはずのヒロインが最後の数ページで復活したり、堕ちる直前で意識を取り戻して堕ちなかったりする展開がよく見られるため、このような表現が生まれました。また、この派生形として、最後のコマだけで悪堕ちした姿がお披露目されて後日談がなかったり、そもそも最後まで堕ちなかったりすることも二次元エンドと呼ぶ場合があります。読者からすれば、悪堕ち目的で作品を購入したのにメインディッシュである悪堕ちの扱いに肩すかしを食らった状態です。悪堕ちは、悪堕ちの過程と、悪堕ちした後の描写が揃って魅力的な悪堕ちであると考えられるため、二次元エンドは避けるべきとされています。

⑥ 完堕ち

「完堕ち」とは悪堕ちの状態を説明する言葉の一つです。快楽堕ちとほぼ同じ内容を指しますが、こちらは堕ちてしまった後の状態を指します。「完全に堕ちる」の略であり、かつて対象を完全に堕としてしまうような状況は(性的な)調教により肉体も精神も屈服させることが多かったため、このようなニュアンスになったと考えられます。

⑦ 即堕ち

悪堕ちの過程を飛ばしてすぐに悪堕ちすることです。特に漫画では、登場した次のコマで既に堕ちているような状況です。ギャップ萌えのみを求めるのであれば問題ないですが、悪堕ちは過程も求められますので、なるべく堕ちる過程も描写したほうが良いです。

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