まえがき

『ヴァルキリープロファイル』(エニックス, 1999年)は北欧神話を舞台としたゲームとして極めて完成度が高いが、これだけ「北欧神話」に焦点を絞った作品が当時の日本に受容されるにはそれなりに「北欧神話」に対する理解、ないし興味が熟成されていたに違いない。そう考えていたのだが、どうも『ヴァルキリープロファイル』で北欧神話を知ったという人は意外と多い。「もしかしてヴァルキリープロファイルこそが北欧神話を日本に広めたエポックメイキング的な作品だったのか?」そのような疑問とともに、Twitterで下記投稿をきっかけとして調査を開始した。

ちょっと00年代以前のファンタジーに詳しい人に意見を伺いたいんですが、 北欧神話って ヴァルキリープロファイルが成立するくらい有名だった のではなく ヴァルキリープロファイルによって日本でメジャーになった って感じなんです?

https://twitter.com/utakuochi/status/1227803872267100168

なお、いただいた意見(ほぼリプライや引用RT)は「togetter」へとまとめている。

また、意見を伺う上で、既に似たような内容を取り扱った論文を紹介されているため、こちらからの引用も「正」として論述する。もしtogetterのまとめ内容やそのコメントを読むこと、または前述の論文を読むことが億劫だと考える人がいれば、リンクは開かずにこのまま読み進めることを推奨する。

推論

「北欧神話」自体はゲルマン神話の一種である。キリスト教化される前のノース人の信仰に基づく神話で、記録としては13世紀まで遡る事ができる。

北欧神話自体を有名にしたのはワーグナーの楽劇『ニーベルンゲンの指環』(リヒャルト・ワーグナー, 1848年から1874年に掛けて作曲)であることは反論もないだろう。当時のバイエルン王国(ドイツ南部)で成立したこの楽劇は、ワグネリアン(ワーグナーの音楽に心酔している人々を指すが、反ユダヤ主義を内包する可能性がある)であったナチス・ドイツのヒトラーの影響もあり、プロパガンダとして利用された。このため、ドイツの軍事兵器に北欧神話由来の名称が付くこともあり(例えば1930年代に開発された「ミドガルドシュランゲ」)、ミリタリー方面で一足先にこれらの経路から北欧神話に触れたという人も存在する。

さて、前述の論文では、日本に北欧神話が入ってきたのは明治時代、1878年に薗鑑訳『北欧鬼神誌』が原点とされている。また、1960年代や70年代にエッダ・北欧神話の解説、翻訳が進んだことも挙げられている。例えば山室静『ギリシャ神話 付・北欧神話』(1963年)や、同じく山室静が邦訳したグレンベック『北欧神話と伝説』(1971年) の影響力が高いものと指摘されている。

また、前述の論文は漫画に焦点を当てて文献をまとめているが、漫画媒体で最も初期に登場したのは水野英子「星のたてごと」(1960年-1962年)であった。続いて石ノ森章太郎『サイボーグ009:エッダ(北欧神話)編』(1976年)が刊行される。ただし、これらの作品は「名前の借用」に留まり、「北欧神話」の展開を目指したものとは言えない。しかしながら、作品の知名度として「北欧神話」の存在を知るきっかけとしては十分だろう。

歴史的フィクションという観点では、あしべゆうほ『クリスタル☆ドラゴン』(1981年-)が元祖と言ってよいだろう。あずみ椋の『戦士の宴-ミッドガルド・サーガ-』(1983年)や『緋色い剣』(1986年-1993年)などの作品群も無視できない。

このような流れで登場したのが、アニメにおける車田正美『聖闘士星矢』のアスガルド編(1988年)である。なお、アスガルド編は原作の漫画にはなく、1988年公開の映画『神々の熱き戦い』のリメイクである。

なお漫画媒体における『ニーベルングの指環』自体の導入は、あずみ椋『ニーベルングの指環』(1989年-1991年)が元祖である。この頃には、Twitterで言及の多かった作品、藤島康介『ああっ女神さまっ』(1988年~) が成立するまでの土壌が整っていたように推測される。

さて、ミリタリー、漫画やアニメ以外の流れはどうだったか。海外の情勢として、1970年代にゲルマン復興運動が盛んとなり、『ニーベルングの指環』の再演が行われた。日本でも1984年から公演が行われており、この公演によって日本に北欧神話の概念が紹介された、と考えることもできるだろう。

ちなみに、togetterにて多く言及されている作品の中で、岡崎つぐお『ラグナロック・ガイ』は1984年から1985年、 田中芳樹 『銀河英雄伝説』は1982年から、アニメ『マクロス』は1982年、ゲーム『ワルキューレの冒険』(ナムコ)は1986年、ゲーム版『女神転生』は1987年である。前述のように1960年代から70年代に掛けて盛んに導入された、という言説を元にすれば、1980年代に北欧神話への引用が増えたことは妥当であろう。こうして、1980年代には「北欧神話」は日本でも馴染みがあるもの、という下地が整ったと言える。

なお、ワーグナーの曲「ワルキューレの騎行」単体の知名度も高い。ベトナム戦争を舞台とした映画『地獄の黙示録』(1979年、日本では1980年公開)には「ワルキューレの騎行」が採用されており、また1991年に勃発した湾岸戦争では、そのニュースやドキュメンタリーに「ワルキューレの騎行」が採用されるなどし、「ワルキューレの騎行」といえばヘリ、または進軍をイメージする人も多いことかと思われる。 ゲーム『スーパーロボット大戦F』(1997年, バンプレスト)では、レオナルド・メディチ・ブンドルが、 原作『戦国魔神ゴーショーグン』(1981年) では彼の嫌いな曲であるにも関わらず、彼の専用戦闘BGMとしても採用されている。

ここまでの推論を元に判断すると、『ヴァルキリープロファイル』が発売された1999年から見ると、1980年代には既に受容される環境が整っており、1990年代にはマイナーな神話というわけではなく、メジャーな神話として受け入れられていたのではないか、と考えられる。そういう観点では本議題は前者「ヴァルキリープロファイルが成立するくらい有名だった」と結論付けていいだろう。

しかしながら『ヴァルキリープロファイルシリーズ』は、初代が国内63万本、2が 国内39万本、DS版が 国内16万本、アプリ版『ジ・オリジン』が2018年6月18日の時点で350万ダウンロード達成、という数字からも、2000年代以降のコンシューマ事情を考えればかなり健闘している作品、アプリ版(いわゆる「ソーシャルゲーム」)としても中堅クラスのタイトルと判断できる。前述の論文でも幸村誠『ヴィンランド・サガ』(2005年~)と共に引用されており、また

人気マンガ『聖☆おにいさん』でも「北欧モチーフのRPG」として言及されるほど知名度も高い(中村光 2015,104)。

ヴァルハラは理想か?─現代日本のフィクションと北欧神話(松本涼, 2019)

とあるように、筆者の主観でなくても知名度は高いようである。そもそもヒットした作品でなければ続編が作られることもない、というポジティブ解釈もできる。

同時期の作品として木下さくら『魔探偵ロキ』(1999年-)があるが、いずれも1999年の作品である。これらを原点と主張する人も多いため、少なからず日本に影響を与えた作品という見方ができるが、これらの作品がヒットした背景にあるのは、1999年という年がノストラダムスの大予言での世界の終末とされる年であり、これが北欧神話のラグナロクと重なっているためではないか、と目されている。

1999年以降、『ヴァルキリープロファイル』の他には『オーディンスフィア』(2007年, アトラス)や『斬撃のREGINLEIV』(2010年, 任天堂)といった北欧神話を舞台とした作品は数々発表されたが、日本での売上は『ヴァルキリープロファイル』に敵わず、ゲームの分野においては『ヴァルキリープロファイル』の影響が決定的になったもの、と結論付けていいだろう。

ちなみに、ピクシブ百科事典「北欧神話」では、「北欧神話をモチーフにした作品」の中に「北欧神話に由来する固有名詞が多い作品」が項目として存在しており、『ヴァルキリープロファイル』『オーディンスフィア』『斬撃のREGINLEIV』は前者の無区分、『ああっ女神さまっ』『銀河英雄伝説』は後者に分類されている。この分け方は興味深い。